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そして、彼女が『ここから抜け出して、彼女の本当の人生が始まろうとしている』ことへの祝福。
「お、」
『おめでとう』。言いたいのに、言えない。言えば今度は隣の夫に深い悲しみを与える。
だって。夫にとって妻のように最愛の女性だったのだ。だが……そう思っていたのは杏里だけだった。
「おめでとう。ここから旅立つんだな。やっと……。祈っているよ。今度こそ、本当のしあわせの日々を」
樹からそう告げた。その言葉をすんなりと言えた樹の目は、いままでのどんな時よりも優しく澄んでいた。
「ありがとう、樹。いままで、ほんとうにありがとう。私のために日々を費やせてしまってごめんなさい。だからこそ、私、行くね」
「うん。俺は大丈夫だ。俺こそ、長い間、そばにいてくれて感謝している。美紗がいてくれたから、いまの俺がある」
夫ではない。杏里が号泣していた。涙が止まらなくて、夫のように言いたいことが伝えられなくて。そんな杏里にも、美紗は綺麗な笑顔を見せてくれる。いつも親しく楽しく女だけで過ごしてきた時に、杏里を明るくさせてくれた大好きな笑顔だ。
「杏里ちゃん。この世界で、誰よりもあなたに感謝をしている。樹よりも、何百倍も。あなたのこと、うんと尊敬している。あなたと出会えたから、私、ちゃんと出て行けるのよ」
いまここでいちばん取り乱しているのは杏里なのだろう。
優吾がいまにもそばに来て杏里を抱きしめたいような心配顔でおろおろしている。そんな義弟のかわりに、杏里を抱きしめてくれたのは姑の江津子だった。彼女もなにも言わず、無言に。取り乱す嫁を抱いてくれている。
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