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だから杏里は素直に叫んだ。
「なんで、なんでなの。行かないで……。どうして。わたしたち、三人一緒じゃないと駄目でしょ。約束でしょう。ずっと、ずっと一緒じゃなかったの? ねえ」
杏里は彼女より社会的にはしっかり者のキャリアウーマンだったかもしれない。でも、本当は女が肩肘を張って社会に切り込んでく毎日を、優しく包んでくれていたのは、ほんの少しお姉さんの美紗だった。
その彼女がまたお姉さんの顔で杏里に微笑む。
「大丈夫よ。杏里ちゃん。歪んでいたけれど、あなたと樹はちゃんと夫と妻だったわよ。私が見届けたからね。これからもずっと、夫と妻でいられる。そしてあなたは、かわいいあの子たちのお母さんなの。樹もお父さんなの。あの子たちが素敵な男性になる日を楽しみにしているからね」
涙に濡れて嗚咽を漏らす杏里をそばに、樹は落ち着いているそのまま、向かい側のふたりに頭を下げた。
「シェフ。彼女をお願いいたします」
「はい。そのつもりです」
シェフのご両親も小豆島で飲食業をしていて、引退をするためその店を引き継ぐとのことだった。改装をして、またおなじようにイタリアンカフェにしてリノベーション開店をする。美紗はそこで同居をすることが決まっているらしい。つまり、それは。
「いままで苦労をした彼女が、しあわせになるよう努力します」
シェフから美紗の手を握った。優美な微笑みでシェフの顔を見上げる美紗。そんな顔など見せたことがない。もしかして樹にも? 彼が切なそうに美紗を黙って見つめている。でもそこに悔しさとか憎しみとか、情けなさなど微塵も見えない。彼もそう、愛した彼女が決めたことを見届けているのだ。
抱きしめてくれている姑も少しだけ涙を滲ませていた。そして杏里にそっと呟いた。『見送ってあげなさい』と。そこで声を上げて泣いてしまった。
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