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だってもう契約は崩れたのだ。これからあの人と毎日過ごす約束など結婚の時にはなかったのだから。
だが子供たちは? パパは社長さんだから忙しい人。だからおうちにいない日も多い。ただそれだけのことだと信じている。パパの弟の優吾叔父ちゃんは、忙しいパパとママの代わりにおうちの家事をしてくれる。パパとママと叔父ちゃんに見守られて、健やかに過ごせる家で伸び伸びと育っている。なのに。そんな息子たちに、離婚するから、パパとママはもう一緒にいられないのと、いきなり突きつける?
勝手すぎる。杏里はハンドルを握りながら、信号待ちのところで項垂れる。
頭を冷やそうと、杏里が辿り着いたのはガラス工房だった。
まだ灯りがついていた。
誰がいるかもわかっていた。ストーブの火がまだ入っている事務所のドアを開けると、その音に非常に驚きおののいた男の目がこちらに向いた。
「杏里さん。ど、どうしたんですか。こんな時間に」
「ごめんなさい……。少し、ここにいさせて」
どんな顔をしていたのか。遠藤親方が杏里の顔を見て、息を呑んだのがわかった。涙を流した覚えもないのにだった。それだけやつれた顔をしてたのだと思う。
だが遠藤親方は、いつもの穏やかな笑みを見せてくれると、いつもの応接テーブルのソファーへと促してくれた。
「紅茶。入れますね」
席を立った親方がなにをしていたのかと、テーブルを見ると、そこにはいくつものガラスの大皿に、切子のボウルにグラス、箸置きなどが並べられていた。彼が弟子たちが作ったものを『検品』していたのがわかる。
紅茶を入れてくれた彼が、ティーカップを置くために、テーブルにあったガラス製品を片付けた。
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