⑯花は見ている

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 少しだけ。背を向けて紅茶を淹れている遠藤親方を気にする目線を向けていたが、杏里へと視線が戻ると気後れした様子で彼が呟く。 「また外に俺の家を持ってもいいんだ」 「それは、やめてください。またあなたが独りになってしまう」  そう気がついてくれた妻の言葉にも、夫が面食らっていた。  独りになってでも、契約妻の居場所としてきた家を快適にさせてやることが、契約夫の努めと覚悟してきたのだろう。なのに、苛立っていた妻が一晩明けたら『一緒に家に居てもいい』と気持ちを変えていたからだ。 「よく考えたら。当然のことだったな。ずっと、毎日、一緒に過ごしてきたわけではなかったのに。我が物顔で帰宅するようになったのだから」 「同じです。我が物顔で妻として主のようにして住んでいました。あなたの居場所も作らずに」 「仮に帰るときの居場所はちゃんとあったよ」 「気が済みましたから。これからは、あなたの家なのできちんと帰って来てください」 「わかった……。ありがとう」  今度は杏里の憑きものがとれた感じだった。  荒れて荒れて逃げてきて、優しい歳上の男性がいて、その人は穏やかで懐が広い人だから、杏里の話を聞いてくれるなんて下心がきっとあったのだ。そんな遠藤親方のところに駆け込んで『それは苛々しますね。ご主人に愛人がいたのだから、突然毎晩いたらそれは奥様も気持ちが落ち着かないでしょう』と同調してくれると思ったら、『愛人がいなくなってお困りですか。結婚を甘く見ていたでしょう』と――。永遠に亡き妻を愛し続けている男性に突きつけられた。強い愛を持つ人に、偽りの妻は思い知らされる。  今度は杏里の完敗だ。
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