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デミタスカップのコーヒーが手元にきてから、樹が窓辺の木々を遠くに見つめて黙り込んだ。
杏里も彼が様子を変えたことに気がつく。
「こんな日だけれど。腹を割って話していいかな」
こんな日だから。去年とはもう違うから話してほしいと杏里も思うから頷いた。
きっとこれまでのことだろう。美紗が去ってから、そこについて話合ってはいない。ここを流して『夫婦』としていられるのか? それは杏里もずっと気にしていた。だから、こんな日だから腹をくくる。
「俺と美紗を好きなままに生かしてくれて、ありがとう。美紗が言ったとおり、誰よりも杏里に感謝をしている。どうしても離れられない彼女と俺の関係を壊さずに、気が済むまで、その終わりを迎える果てまでとことんつきあってくれたと思っている」
「それは契約でしたでしょう。私は私で、実家から遠ざかって、父の手も届かないところに逃げたいという目的があって、樹さんはその意図を汲み取って手を尽くしてくれたでしょう。優吾君を連れてきてくれて、仕事に復帰できる手助けも整えてくれたもの。あなたの見立て通り、お姑さんとの関係も良好で、申し分がない義実家との日々はほんとうにしあわせでしたから」
「そう感じてくれているなら、俺も救われる。俺と美紗と杏里、三人の利害が一致したから始まった関係だとしても、やはり三人で一生はあり得なかった。三人で分け合っても、誰かになにかが欠ける。いまは、美紗が去って気がついたことがある」
ここ一、二ヶ月。樹はとても穏やかだった。そう『不惑を迎える男』と呼ぶに相応しい、なににも揺るがない芯がある落ち着きを垣間見せる。
その男が見つけたことはなんだろうかと、杏里も樹を見つめてその答えを待つ。
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