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「最初から美紗は、杏里に俺を渡す心積もりだったんじゃないかと……」
杏里の心臓がどくりと大きくうごめいた。急速な衝撃が襲ってきたと同時に、なんとなくひっかかってはすぐに消えていた『心当たり』ある場面が一気に流れていく。
『愛する彼を預ける気持ちを察してください』
和室の畳の上で正座で深々と頭を下げていた美紗。
『美紗が、あなたが了承したらそうしろと……。結婚してからでは遅いからと』
初めての夜、最愛の男を覚悟して送り出しただろう美紗。
『愛人としての立場に異存はない』
最愛の男が契約した妻と入籍をするとき。姑を目の前にして愛人の立場を誓った彼女の毅然とした美しさ――。
『私はもう恋に振り回されるような若い娘ではない。自分が決めたことだから遠慮はいらない』
長男の一颯に兄弟も必要だろうと、夫をもう一度、杏里へと預けようとした決意。
この決意を最後に、彼女も男女の営みから身を引いた。
「俺が美紗と別れられないから、だったら自分から、美紗から離れる準備を少しずつしていたんだと思う。気がついていたんじゃないだろうか。契約といいながら、十代の頃から長く愛しあってきた自分とは『別の好意を抱く女性ができたのだ』と……。俺だって、契約とはいえ、妻に迎えるならやはり相性がいい、妻にとしっくりした女性でなくては結婚なんてしない。美紗が『認める』と言いつつも、『認めたから、私との関係はもうこれから終わっていくのよ』と心に決めていたんだと思う……」
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