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この日もふたりは、ゆっくりと過ごして夕方チェックアウトをして、小樽の自宅に帰った。
帰りの海辺の道で、向こうにある石狩海岸にぼんやりとした蜃気楼が浮かんでいた。
小樽の春の知らせだ。
大澤夫妻は、二度目の結婚をした。嘘偽りのない結婚を。
五月末、ライラックが咲くころ。夫妻はつつがなく、これまでどおりに家業を繁栄させるために邁進していた。
長男の一颯は小学生になった。次男の一清もしっかりしたやんちゃな年中さんに。優吾叔父ちゃんは卒園式でも入学式でも号泣。甥っ子たちラブの生活を満喫している。
ガラス工房では、今日も厳しい親方の指導の下、若い花南が技を極めていく。
夫もまた凜々しいスリーピーススーツが似合う麗しい社長の姿で書斎にいる。
その手元には愛機の『ライカ』。
杏里が用事があって訪ねると、最近はすぐに表情を和らげて冷徹な社長の雰囲気を崩してしまう。
「なあ、次の休みなんだけれど。ライラックを撮影しに行こうと思うんだ。杏里も行けるだ……ろ、」
夫が入ってきた杏里を一目見て、顔色を変えた。
「杏里? 大丈夫か。顔色がよくないようだが」
愛機をすぐに手放し、デスクの上へ置くと、彼がすぐに立ち上がって入ってきた杏里のそばにきてくれる。
杏里も仕事の途中で、いつものオーソドックスな黒いスーツ姿だったのだが、夫が家にいると優吾に聞いて戻って来たのだ。
「病院に行ってきたところで。あなたに相談が」
一気に樹の表情が強ばる。
「なんだ。どこか悪かったのか。なにかの検査結果で再検査でも?」
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