㉑菜の花の、坂の上

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「小樽で私が吹いたグラスが初めて商品になったのは、美紗さんのカフェに通っていたから、でしたよね。いまもあのときのグラスをお店で使ってくれているんです。料理も小樽の修業時代を思い出す懐かしいもので、景色も素敵で……。おふたりもお店も変わらなくて……。うちの航、美紗さん特製のレモネードが大好きなんですよ」  あれから美紗がどうしているのか。知りたくて、でも、知ろうとしないで時が過ぎた。  花南は知っていたのか知らないのか。いや、もう知っているのだろう。美紗が樹の愛人だったこと。そして杏里の大親友だったこと。複雑な関係を築いていたこと。わたしたち三人の『たくさんの嘘』を。 「いつか是非、行ってみてください。待っていると思いますよ。美紗さんも大槻シェフも」  なんと言葉を返せばよいのかわからなかった。樹も杏里も。  最後の挨拶をかわし、倉重夫妻に見送られ、樹と杏里は倉重リゾートホテルを後にした。  金春色の海がまた続く、レンタカーの車窓。二日間の楽しく美しさを堪能した気分が、一気にしぼんでいるのがわかる。  だが、ハンドルを握って運転をしている樹が唐突に言いだした。 「杏里。仕事はあと一日、二日、なんとかなるか」  なにを言いだしたかわかった。杏里の目に一気に涙が浮かんだ。 「もちろん、どうにでもなります」 「このまま行こう。どう行けるか調べてくれすぐに」 「はい、あなた」  山陰から小豆島へ行くルートを調べた。一泊できる宿も確保した。  ふたりの心は通じているし、ふたりの心はひとつだった。  翌日。杏里と樹は、瀬戸内の青い海が見渡せる丘の路を歩いていた。
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