⑧悲劇のヒロイン

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 それを聞いても萌子は逃げ出すと柚希は思っているからだ。  でも柚希からは言えない。柚希は小柳店長より数年後に入社したが、いままで小柳母子の事情が耳に入ってきたことはなかった。店長自身が知られたくなくて、気を遣われたくなくて、内密にする姿勢をとっていたからだと思っている。だから千歳お嬢様も、寺嶋リーダーも『実は店長のご家庭はね……』とは喋らなかったのだろう。  柚希はたまたまでかけ先で遭遇して知ってしまっただけなのだ。 「でも。萌子言っていたよね。店長が言えない理由があるなら、それが結婚してもずっとつきまとうということだから、聞くまでもないフェードアウトするって」 「そうだけど……」  伊万里主任に想いを寄せても敷居が高いことがわかったから、また目の前にいる出世確実の小柳店長に狙いを戻したということらしい。  確かに、近いうちに販売員から、現社長の秘書室への異動が決まっている。萌子はまだ知らないが、知ったら『もう将来は、千歳お嬢様の補佐ってことじゃん。荻野上層部の一員』と飛び上がって喜ぶのだろうし、目の色を変えるに違いない。  だが柚希からは言えないのだ。だから。 「謝って、聞いてみればいいじゃない。それなら」 「その、柚希……。一緒についてきてくれない」  あー、もう駄目だ。柚希はもう顔に出していたし、額を抱えて顔をしかめていた。 「嫌だ。なんでいつも一人で向き合おうとしないの。誰かがそばにいたところで、私になにができるの? 萌子さんは本気なんです。友人の私からもお願いしますと言って欲しいの?」 「そうじゃないけど……。そばにいてくれるだけで心強いだけだから……」
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