⑩あなたの微笑みのために

11/12
前へ
/916ページ
次へ
「旅団長が先に帰れとうるさくて。後輩の秘書官に任せて帰らせてくれたんだ。飛行機で急いで戻って来た」  照れくさそうな彼が、寿々花のそばに置かれているベビーベッドにいる小さな赤ちゃんへと目を向けた。  ちょうど授乳でそばにきていた時間で、娘はすやすやと眠っているところ。 「ひとりで頑張ったな。お疲れ様。でも、また出産には立ち会えなくて……」 「自衛官だもの。絶対に立ち合わなくちゃ父親になれないわけじゃないって話したじゃない」 「だから、お義父さんが、今度は産まれた日ぐらいいてやれと。それは間に合ったかな。でも明日はまた旅団長のもとに戻るよ。せめて今日だけ――」  職務第一のはずの旅団長なのに。父に感謝をしなければならない。寿々花の目からも涙がつたう。  制服の彼がそっと、その子に近づいた。  拓人も一緒に将馬と覗き込んだ。 「清花、お父さんが来たよ。ぼくと、清花のお父さんだよ。おなじお父さん」  拓人から出た言葉に、将馬も嬉しそうにして彼の頭の撫でながら、優しい眼差しで眠っている娘を見つめてくれる。  その拓人が制服姿の将馬を見上げて微笑む。 「お父さん、清花、すごく小さいね。お父さんがいないときは、ぼくが清花を守るよ」  将馬の表情が固まった。寿々花もだった。  拓人が『お父さん』と――。  ベビーベッドのそばで跪き、息子を抱きしめて泣き崩れる自衛官の男がそこにいる。 「お父さん、はやくだっこしてあげて。パパも、お父さんの次じゃないとだっこできないって待ってるから」 「うん、そうだな。岳人君にとっても、清花は家族になるからな」  自衛隊制服姿の父親、その腕に初めて娘が抱かれた。  いま窓の外には雪が降りしきっているのだけれど。  彼の紫紺の制服には、白いアカシアの花が降り注いでいるように寿々花には見えた。しあわせの香りに包まれて、初夏のやさしい風に、家族といっしょに微笑むことができる世界にいる。深い雪は、優しい花びら。凍てつく世界に、あなたはもういない。
/916ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5118人が本棚に入れています
本棚に追加