⑫信じてないよ

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 でも、確かに珈琲のいい香りは漂ってくる。  店内も若いカップルが何組も入っていて賑わっている様子が窺える。 「とりあえず、入ってみようか」  長谷川社長がせっかく選んでくれたのだからと朋重が微笑んだので、千歳と長谷川社長も店のドアへと向かう。 『ダメダメ』  ん? そんな声が聞こえてきて、千歳は立ち止まる。  福神様の声ではなかった。もっとかわいい声?  その途端だった。両足がかちんと固まったように動かなくなったのだ。  朋重も腕に掴まる千歳を連れてドアへと向かおうと一歩踏み出していたのに。妻がそこに立ち止まって動かずついてこないので、後ろへと腕をひっぱられるように感じたのか立ち止まった。 「千歳?」 「お、おかしいの。足が動かない」 「え? な、なんで?」  夫が千歳の肩を抱き寄せて前へと優しく連れ出そうとしたが、千歳の身体は前に傾くだけ。転んだら怖いと、思わず朋重の腕に掴まって抱きつく格好になっていた。  長谷川社長も異変に気づき、当惑している。 「千歳ちゃん? まさかどこか具合が悪いのか。無理はいけないよ。お腹が張ったりしているなら、もう今日はかまわないから帰るようにしよう」 「そ、そうではないんです。そちらへ向かおうとすると地面に足がくっついたみたいに動かないんですっ。え、なんで、なんで?」  ほんとうに靴裏に接着剤がついて地面とくっついている感覚で、足も重りがついたようにずっしりしている!  そこで眉をひそめて黙っている朋重が、長谷川社長を気にしながら怖々と千歳へと呟く。 「福神様がなにか言ってるのか? この店はやめておけとか?」
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