⑬お嬢さんこちら、ご縁の成る方へ

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「ありがとうございます。祖母と父が珈琲好きだったもので、私で三代。ついに店にしてしまいました。庭は祖母と母、そして妻が引き継いできたものです」  導かれてきた驚きで固まっている妻のかわりに、夫の朋重が愛想良くマスターと言葉を交わす。だが彼らの会話の内容にも、千歳の心は震えている。  家族が紡いできた空気と長年積み重ねられてきた感性の集結。それを他人に心地よくさりげなく提供する柔らかな心根。つつまれて安心できるこの雰囲気のわけを知り、そしてこのカフェに辿り着いたキッカケも思い出し、千歳は思わずお腹を撫でていた。  その驚きに打ち震えているのは千歳だけではなく、目の前の長谷川社長もだった。  荻野のバタークッキーの袋を手にして、だまって凝視している。その目がまた真剣すぎるほど真剣で、ひとり物思いに耽っている様子だった。 「奥様、おなかに赤ちゃんがいらっしゃるんですね。お寒いようでしたらブランケットもご用意しております。デカフェもご案内すればよろしかったでしょうか……」  優しい気遣いにも千歳は感動して、自分が荻野の娘であることなど伝えるのも烏滸(おこ)がましい気持ちになり『ありがとうございます。大丈夫です』と答えるのが精一杯になっていた。  そこでやっと長谷川社長が口を開いた。 「どうして荻野のお菓子だったのですか。他にも道内で名が知れた製菓会社、土産の菓子どころ、いっぱいありますよね」  出会った時のような、人を窺う厳しい目をマスターに差し向けている。
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