⑰桃のお出迎え

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⑰桃のお出迎え

 痛む感覚が短くなってくる。  朋重が産婦人科の医院へ向かう準備を忙しく整えてくれ、実家の両親にも連絡をしてくれる。 「いよいよか」  運転席に乗り込んだ朋重がハンドルを握りながら、表情を引き締めている。喜びはまだ押し寄せず、いまからが正念場という緊張感を漂わせていた。  後部座席で徐々に痛むお腹を抱えながら、朋重を心配させないようにと千歳は息みそうになる声を必死に堪えた。 『大丈夫、大丈夫。千歳、無事に産まれますからな』  扇子を持って『大応援』を始めるのかと構えていたが、福神様が千歳の頭を撫でるような仕草を見せてくれている。そのとおりなのか、それだけで千歳は痛みが和らぐ感覚を覚えた。  産科に到着してすぐに分娩室へ。朋重も付き添いの準備を整えた。  父と母も到着して、伊万里も駆けつけてきたという報告をスタッフが届けてくれる。 「ちぃちーちゃん、千歳、頑張れ」 「朋重さん……。もうすぐパパだね」 「うん。……『千歳さん』とここまで来られたんだって、俺、もうなんか泣いちゃいそうで」  ほんとうに朋重が涙ぐんでいたので、千歳は『早いから』と笑い出してしまった。手と手を取り合う、お互いに交わした銀のリングが千歳の目に映る。  恋は諦めていた日々から。お婿さんに出会って、婿入りしてくれて、妻夫になって。ついに母と父になる。  そのうちに途切れることのない痛みの連続になる。  もう無我夢中とはこのことか――。  いつもならここで、太鼓の音がどどんと響き、しゃんしゃんと鈴の音が鳴り、金の扇子を両手に持った福神様が『よっせよっせ』と賑やかな応援を始めるはずなのに――。
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