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木製の扉を開いて、ビルの谷間に差し込む太陽を浴びた瞬間だ。
「まだ暑いですね」
僕は無意識のうちに彼女の方を向いていた。
彼女は無言だった。離れた場所を見詰めている事に僕は気がつく。
「どうかしました?」
「……あそこに父が居ます」
彼女がビルの谷間を指差していた。続けて寂しそうにする。
「すこし痩せてしまいましたね」
僕は彼女が指差す方向に視線を移した。ビルの陰に隠れるように立っている男性がいる。
三十代半ばに見える男の人だ。細身で黒いスーツに黒いネクタイ。見た目は若いけれど、彼女の年齢を考えるともう少し年上かもしれない。
「男を尾行している?」
僕は彼女に訊く。
「どちらかといえば、圧力をかけている、と言った方が正しい気がします」
彼女が寂しそうに目を伏せる。
「父にはわたしの事が見えません。声を届けることも出来ないのです。……お亡くなりになっても思い通りにはいかないものですね」
そう言って薄ら笑みを浮かべる彼女の事を、とても寂しそうだな、と思わずにはいられなかった。
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