本当ですか?

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本当ですか?

 今朝、私はいつも通り高校生の息子の涼真のお弁当と自分のお弁当を作り、トーストと目玉焼きと袋サラダとカップスープの朝食を涼真と食べて、家を出た。  ごみを出してから自転車を漕いで職場に向かう。少し大きなスーパーのお総菜売り場で働いている私はただのパートだけど、なんとか涼真と二人生活している。  慎ましい生活の中、たまに贅沢して回転寿司に行くのが楽しみという毎日がこれからも続くと信じて疑わなかった。少し前までは。  最近、食欲がなく、総菜を作っていても気持ち悪くなってしまうことがある。毎年夏バテしてこんな症状が出るものだから、今年はいつもよりひどいかなと思う程度だった。  けれど、涼しくなってきても一向に治らない。健康だけが取り柄だと思っていたから不安になる。  四捨五入すれば40歳。体に気をつけなくちゃならないお年頃。来月の健康診断で見てもらえばいいと思っていた。だって、基本は元気なんだもの。  そんなことを考えながらだらだら坂をゆっくり上っていた。最近この坂もキツイ。降りて押して歩こうかなと思った時だった。猛スピードで降りてくる自転車が歩行者を避けて私にめがけて突っ込んでくる。 「危ないっ」  自転車から降りる前に横から突っ込まれてバランスを崩して転倒した。だけではなくて私の体の上に自転車ごと相手が落ちてきた。 「大丈夫ですかっ」  わらわらと人が寄ってきて、私を助け起こしてくれたけれど、その瞬間目の前が真っ暗になって、私は気を失った。  のは一瞬だったけれど、誰かが救急車を要請してくれていて、他の人が呼んでくれた警察官に促され、私はやってきた救急車に乗せられた。大げさな気もして恐縮する。  私にぶつかってきた高校生は無傷だったらしく、そのまま学校に行ったらしい。周囲の人は高校生に憤り、だからこそ私を救急車に押し込む。  目撃者の証言もあり、自転車側に過失があるからと事故処理してくれた警察官に相手側の連絡先などのメモをもらった。  救急隊員は事故の様子を聞き、私の血圧や脈拍、手の指につけたもののデータを見てちょっと眉を寄せ、そして大学病院に運んでくれた。近所の病院で傷の消毒をして終わりだろうと思っていた私は意外だった。  だって、手足も動くから骨折はしていなさそうだし、あとは擦り傷打撲程度だと思うから。どう見ても重症ではない。  大学病院の救急外来で自己診断で軽症者の私はちょっといたたまれない気分。だけど、看護師さんも先生も明るくテキパキとして、私の気後れを払しょくするように丁寧に接してくれた。 「えっと、石上亜美さんですね。確認のため生年月日をお願いします」  何回訊かれただろう。処置や検査のたびに確認、そしてそれぞれの検査内容の確認。病院というところは大変なところだと思う。  救急車の中で職場には連絡を入れておいたけれど、これは一日休みになってしまうかな…と思いながら救急外来の外の待合室に座っていたら、外来から医師が一人出てきてあたりをきょろきょろし、私を見つけるとソファの隣に座った。 「石上さん、事故の傷は今のところ問題ありません。打撲は数日でよくなると思います」  ああ、客観的にも軽症者決定。忙しい大学病院の救急外来のお世話になるなんて申し訳ない。 「ありがとうございます。お世話になりました」 「いえ、酸素飽和度という数値があるのですが、とても低いのです。で、血液検査をしてみたら貧血がかなり進行しています。他にも気になる数字があります。多分、どこからか出血していて、貧血を起こしているのだと思います。このまま検査入院されることをお勧めします」 「…え? あの事故で?」 「いや…急激に進んだ貧血でしたら今も座っていられないと思いますよ。じわじわと出血が続いて少しずつ進行した貧血です。輸血が必要なレベルです。出血部位を確定して処置を行わなければ、仮に今日は家に戻られても近い将来、また病院に救急車で戻ってくることになります」 「…その…私、母子家庭で、息子が一人になってしまうので…」 「そのあたりは塩澤さんっていう相談員さんが相談に乗ってくれますから」  私の戸惑いに対して、笑顔で先生が押し切る。 「最近、食欲がなかったり、疲れやすかったりしませんでした? それも関係していると思うんですよ。病気があるならば早期発見、早期治療が鉄則。ご家族のためにもその方が絶対にいい」 「はい…」  あれよあれよという間に入院が決まり、私は涼真にメッセージを送る。  涼真は高校2年生。学校の許可を得て、アルバイトをしている。近くのスタジアムで試合の日だけ、清掃などのアルバイトをしているのだ。  今日は試合のない日で、学校が終わってからすぐに病院に来てくれた。 「ここんとこ顔色が悪かったし、夏バテにしては変だと思ってたんだ」  涼真の学校は私服OKなので、ファストファッションのポロシャツにチノパン姿だ。大学生に見えなくもないくらい大人びている。 「一人でも食事くらい作れるから大丈夫。それよりも誰かに連絡する?」  私の両親は既に亡い。涼真の父親は私が妊娠した時に失踪、行方不明だ。彼の両親とも音信不通に近い。  兄弟は姉がいるが海外在住なので、簡単に呼ぶことはできない。つまり、頼れる親族は一人もいない。 「いいよ。保証人なしでもいいと言ってもらったし」  その代わり、病院内のATMで補償金をかなり支払った。正直、痛い。職場に入院を告げた時の反応も私の心配よりもシフトの心配をしていた。  早く戻らないと戻る場所がなくなるかもしれない。 「美穂さんは?」  美穂は唯一の友達だ。が、最近義母の介護で忙しい。それに少し遠方に住んでいる。 「美穂も忙しいから。そんなにたいしたことないし大丈夫。それよりもこれ、この病院の相談員さんにもらったの」  それは地域交流スペースの案内。家から離れているけれど、高校の帰りに行けないこともない。そこは子ども食堂も併設している。 「うーん、困ったら行くけど、大丈夫だよ」  涼真は鞄にパンフレットをしまった。 「とりあえず3日間だから。ごめん、よろしくね」 「了解。明日くるときにさ、アンパン買ってきてやるよ」  ベーカリーアサミのアンパンはとても美味しい。 「ラッキー」 「入院してラッキー?」  こんな調子で軽く考えていた入院だったのだけど…。  検査結果は胃癌、ステージ3。リンパ節転移があるということだった。  まさに青天の霹靂とはこのことだと思った。
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