私はただ、欲の存在しない世界を目指しただけです。

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
【注意】  本文はX町大量死事件で逮捕した容疑者の事情聴取を録音したデータを書き起こしたものの一部です。自殺および他殺を推奨するととらえかねない発言がありますが、事件についての記録として価値が高い事を鑑みて、そのまま書き起こしています。  ■  「何故こんな事をした」か? ……私はただ、欲の存在しない世界を目指しただけです。  人間には、三大欲求があります。食欲、睡眠欲、そして性欲。あと、それ以外にも様々な欲があります。お金が欲しい金銭欲、お金以外にも欲しいものを手に入れて保持したい獲得・保存欲、人に認められたい承認欲、傷つきたくない防衛欲、相手を従わせたい支配欲、逆に相手に従いたい服従欲、仲良くなりたい親和欲……。人は色々な欲に見舞われ、苦しんでいます。三毒や七つの大罪で示しているそれです。  「欲」こそが人の成長を促すという考えを聞いた事がありますが、私からすれば「欲」などというものは邪魔で有害です。飢えだの、痴情のもつれだの、苦しい生活から抜け出す為だの、不快だの、生きる為だのと、様々な理由で自らの欲求に負けた獣と成り果て、平和に暮らせるためのルールを破る者が現れ、秩序を乱します。成長を促すという対価を得てまで、欲求という呪いを受容するなど、それこそ思考停止の極みですし、成長に欲は必要ない。成長が必要だと合理的に判断できれば、欲など必要は無いはずだと、私は考えました。  そこで、欲のない世界を創ろうと決意しました。  しかし、考えただけでは机上の空論です。それに価値はありません。そこで、両親の遺産や、今までの研究で生み出した成果で得た収入、そしてパトロンの支援などから得た膨大なお金をつぎ込んで、X町の住民達に協力を仰ぎました。その町を箱庭版・欲のない世界として始動させました。とても皮肉な事ですが、謝礼を提示したら、住民全員が承諾してくれました。金銭欲とはこんな簡単に判断能力を低下させるのかと思いましたが、研究の為だと眼をつむりました。  「X町の住民に何をした」か? 薬と外科手術で、主に大脳辺縁系を改良し、欲求が発生しない人間にさせたのです。私の賛同者が多数いる大学病院に協力していただきました。私はそちらと繋がりがありますので。ああでも、ロボトミー手術とは違います。切除はしてません。わかりやすく言えば、配線を組み替えたとお考え下さい。  その町の住民全員に行いました。だいたい二万人近く、およそ三ヶ月かけて。結果、失敗はありませんでした。皆さん全員が特に後遺症もありませんでした。欲求が無くなった事で、無表情になって、行動に無駄な動きも無くなってました。  半年以上観察しました結果、私の予想通りの結果になりました。例えばあるサラリーマンは、会社勤めの方は、寄り道せず勤務地につき、ほぼ定時通りに出勤・退勤しました。家にいる方も、食事は決めた時間通りになるよう逆算して合理的に料理し、掃除や洗濯もルーチンワークを各自で設定してその通りに動きました。映画やゲームなどの娯楽は一切止めてました。  犯罪や事故はほとんど無くなりましたが、ゼロにはなりませんでいた。とはいえ、犯罪は過失や無知が原因のものです。危険物取扱時に安全確保を怠ったとか、柵が無かったので私有地と知らずに無許可で侵入したといったものでした。完璧とは思っていないので、これは誤差の範囲内です。悪意が原因のようなものはありませんでした。ある事故が発生した時、目撃者は慌てふためいたり混乱をおこしたりはせず、冷静かつ適切に救命措置を行いました。興味本位の欲求が無いので、野次馬が集まるという事もありませんでした。警察がわざわざ野次馬の対応をするという余計な仕事が減りました。とても合理的で、私の理想ともいえる動きでした。  ……何故、私は捕まえられ、取り調べを受けているのでしょうか? いいえ、逮捕の理由はわかります。町長に賄賂を渡し、実験の協力のために公務員を私的に利用したり、住民の個人情報を取得したりしました。それはわかります。ですが、手術については当人の承諾を得ていますし、書類もございますから、その点については問題ないはずです。それは先月話した通りではないですか。それで実験の詳細を聞きたいだなんて、何の関係があるのですか?  ……住民達が全員自殺した? 何故でしょうか。……ほとんどが突発的に? 包丁で喉を突いただの、ロープで首吊りしただの、様々だった、と。遺書はあったのですか? ……幾つかあり、全て共通していて、「生きる必要性がないから死にます」といった事が書かれていたと……。  「生きる必要性がないから死にます」……「生きる〝意味〟」ではなく、「生きる〝必要性〟」……。  ああ、そうか! そうだった! 何という事だ! それは気がつかなかった! そうだ、そうだ! 私はとんでもない事に固執していた! 「生きる」という事! それが絶対の前提としていた事! それ自体を疑うべきだったんだ! そうだ! いや、そうだったんだ! 聴いてください! 何故、いやそもそも生きる事自体に必要性なんてあると……っ!?  何故、私を取り押さえるのですか、頭を押し付けないでください! 思わず興奮してしまったのは謝ります! 何故「何も喋るな」と命令するのですか!? これは取り調べです! 正直に喋りますし暴力を振るうなんて獣みたいな行為はしま……「そんなおぞましい事を考えるな」? 「絶対に口に出すな」? 「恐ろしい発想だ」? 「テロリストより危険」? ……どうしてですか? どうしてですか!? どうし……。  ■ ※本作は「monogatary.com」(お題:欲の存在しない世界)に投稿していた同名小説を部分改稿した作品です。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!