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親友とのサシ飲み
わたしはこの日、同じ大学に通う親友の双葉に飲みに誘われた。彼女と飲むのはしょっちゅうで、先々週ぶりのサシ飲みである。
指定された居酒屋に入ると、双葉がテーブル席の椅子に右足を乗せて枝豆を食べていた。
「よおっ、睦月」
わたしに気付いた双葉は緩く右手を上げた。酒もずいぶん進んでいるようで顔は赤い。
わたしは彼女の対面に腰を下ろした。
「足、下ろしなさい。行儀悪い」
「はいはい。あんたはオカンか」
「わたしと飲みたいんだったら、ちゃんとして」
双葉はちぇっというような表情でのそりと右足を床に下ろした。わたしに指摘されたのが不満なようだ。
そのとき、レモンサワーです、と店員がわたしの前にジョッキをドンと置いていった。
双葉は得意げに顎で示す。
「感謝してよ」
「どうも。でも、足は上げないで」
「チャラにはならないんだね」
「これとそれとは別」
そう言いながら、わたしたちは互いのジョッキをカチンと鳴らした。もうここまで頻繫に飲みに行っていると、乾杯なんて言葉は不必要だ。
双葉は酒をごくんと飲みこむと、話題を変えた。
「今日、彼くんはいいの?」
双葉はわたしの彼氏のことを彼くんと呼ぶ。三波(みなみ)だよ、と何度も教えているのに覚えてくれないのだ。
「うん、今日は何もないよ。向こうもバイトだし」
「ふーん」
双葉は興味なさそうに返事をしてまた酒を煽った。興味ないなら聞かないでよ、なんて思うけど、多分彼女なりに配慮してくれたのだと思う。彼女は不器用なのだ。
そのときちょうど店員が通りかかったので、若鶏のから揚げください、と注文しておく。
「ねえ、睦月はから揚げにレモンかける派?」
双葉が次の枝豆を取ろうと腕を伸ばしながら、またもや話題を変えた。腕が酒のグラスに当たりそうだったので、皿を近づけてやる。
「双葉も食べたい? じゃあ取り皿もらおうか」
確か双葉はから揚げにレモンをかけない。わたしは店員に手を挙げかけた。
「そうじゃなくて」
「何よ」
「から揚げのレモンって論争あるよねって話」
言わずもがな、から揚げにレモンをかけるかどうかの論争である。わたしは店員に挙げた手をそっと下げた。
「そうね。飲み会で必ず小さな争いが発生する」
「皿に取り分ければいいのにねっていつも思う」
「確かに。自分の皿の上で好きなように食べれば平和ね」
「うんうん」
双葉は納得したようにまた枝豆を手に取って、つぶつぶと口に豆を入れた。から入れには薄くなったさやが山のようになっている。
一方のわたしはレモンサワーを煽った。まったく、こんなことを話すためにわたしを呼んだのかしら? 楽しいからいいけれど、何か裏がありそうで疑う。
わたしはジョッキを置きつつ、双葉を見た。
「わたしね、前に付き合って人に浮気されてたことがあって」
突然双葉が話題を変えた。
あまりに唐突だったから、浮気という強烈なワードをスルーしそうになった。
「浮気?」
わたしは思わず訊き返した。
しかし、双葉はうん、と軽く返して、でもさ、と続けた。
「わたしはそういうの鈍感だったから全然気付かなくて。友達から言われてやっと知ったんだ。まあ、振り返ってみれば証拠みたいなのはあったわけよ。隠れて知らない人と電話してたり、何か隠そうとしたり」
全然知らなかった。お付き合いしている人がいたのは知っていたけれど、まさか浮気騒動があったなんて。
「でも、相手の交友関係だからって特に気にしてなかったんだよね。だから、浮気だって分かったあともそのままにしてたんだけど、友達の方が怒っちゃってね。よそ見なんて最低だよ、ビシッと言わないと次もやるよ、って詰めてきて。あれはしつこかったなあ」
双葉はふふっと笑いながら、枝豆を取っているのとは逆の手で酒を煽った。
「最初のうちはね、適当に返して流してたんだけど、その子が会う度にそれを言ってきてね。まじでおかしくなるかと思った」
ここでようやく似たような事例を知っている、と思った。わたしのよく知るあの人もそっくりな状況に置かれている。
「おかしくならなかったの?」
思わず訊いた。どうなったのか知らずにはいられなかった。
「それがね、継続って怖いね。言われているうちに、だんだん自分が悪いことをされているような気になってきて、相手を許せない気持ちになっていった」
双葉の表情が少しだけ堅くなった。
「証拠を集めたり、ちょっと探るようなことを訊いてみたり。お手本のようなウザい女になって、気付いたら大喧嘩になって、別れちゃった」
「え……」
「あとで冷静になって後悔したよ。その人のこと、好きだったから。あーあって」
双葉はふっと短く息を吐いた。
「から揚げにレモンはかけない派なのに、周りに言われるがまま大皿にレモンかけられるのをまあいいかって甘く見て、いざ食べたときに不味いって吐き出したみたいな」
双葉は長すぎる例えを言った。まるで役者の台詞みたいに流暢だった。
「あのとき、面倒くさがらずにレモンかける前に自分の皿に取り分ければ良かったな。後悔、後悔」
双葉は遠い目をしながら、また枝豆を口に入れた。
双葉はその相手のことを本当に好きだったんだろうな、と思う。恋愛は時の運だと思うけれど、あとで思い出す恋は必然のものである。美しいものがこの世に残るように、お天道様がプログラムしているのだ。
「お、きたきた」
双葉が視線を上げた。追うようにそちらを見ると、店員がから揚げの盛られた皿を持ってこちらに向かってきていた。
わたしはさっとテーブルの中央の皿を端に避け、スペースを作った。店員はお待たせしました、と空いた場所にから揚げを置いた。から揚げには堂々とくし切りのレモンが添えられていた。
「あ、取り皿ください」
双葉が去り際の店員に声を掛ける。店員ははい、と威勢よく返事をして奥の厨房に入っていった。
何よ、食べたかったんじゃない。
わたしはレモンが自分の方を向くように皿をそっと回した。そして、レモンをすべて自分の皿に移した。
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