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「本気で治す気で頑張るんでしょう? これぐらいで尻込みしててどうするんです?」 「一言一句覚えてるなよ。意地が悪いな」  精一杯の悪態をつき、三輪は目の前の男をきつい目で睨む。播磨なら尻尾を巻いて逃げ出しただろうが、男は不敵に笑ってみせた。 「大丈夫。俺の体はぬめっとなんてしてませんから」  そう言うと、香川は三輪の手を取り、強引に自分の両肩の上に載せた。部下への「頑張れよ」的な肩ポンなどではない。これではどう見てもキスのおねだりだ。 「どうして俺が女性の立ち位置なんだ……」 「すみません。身長差的にその方が収まりがいいので」  昼休みの屋上で、壁と男に挟まれて、自分は一体何をしているのだろう。キス嫌いを克服するために、はたしてこのおねだりポーズは必要なのだろうか。 「キスって前段階が大切なんですよ。今からキスしますよ、ハイどうぞっていう意思疎通ができて初めてキスに至るんですから」  三輪の心を読んだように、香川が得意げに語りだす。自分だって経験豊富とは言えないくせに、その余裕はなんなんだ。その上香川は壁に手をつき、三輪の体を長い腕ですっぽりと囲ってしまった。 「うん、この方が断然雰囲気出ますね」 「~~っ」  昼休みの屋上で、八つも年下の男に壁ドンされる自分。見上げる顔は端整で、きっちりとアイロンのあたったシャツの襟元からは、マスク越しにもシトラス系のいい匂いがする。  うっかりポーッとなってしまいそうだが、相手は同性の部下であり、自分は部内一のモテ男を射止めた女性社員などではない。 「なんでもいいからさっさと終わらせてくれ。いつまでもこの態勢でいるのは耐えられない」 「終わらせてくれって、ムードがないなあ」  苦笑しながらも、香川が顔を傾ける。鼻先がぶつかりそうになり、反射的に目を閉じた。  目元の辺りに吐息を感じたかと思うと、柔らかな感触が鼻のてっぺんを掠める。目測を誤ったのかと思ったが、そうではなかった。  軽い音を立ててそこを啄んだ後、香川の唇は正しく三輪の唇の位置を捉えた。いつもは押し潰すだけで離れてくのに、今日はなかなか解放してくれない。その上唇を食むように柔く挟まれて、体がビクリと震える。 「っ、う……」 「――大丈夫?」  唇を離した香川が、心配そうに顔を覗き込んでくる。マスクをしていてよかった。今の顔を見られたら、これから先オフィスで檄を飛ばせなくなりそうだ。 「平気だ。ちょっと息苦しかっただけで……」 「でも鼻水は出てなかったですよ?」  とんでもないことをさらりと言われ、耳の先まで熱くなる。最初に鼻を啄んだのは、それを確かめるためだったのだ。 「目元が真っ赤。珍しいもの見ちゃったな」 「っ、本当に意地が悪いぞ……!」  以前香川に対して言い放った言葉をそのまま返されてしまい、いよいよいたたまれなくなった。意趣返しのつもりらしい。 「さて、いい加減ご飯食べましょうか。今日は前に話した総菜を買ってきたんですよ」 「……そりゃどうも」  頭から湯気が出ていそうな自分とは対照的に、香川は鼻歌を歌いながら買ってきた総菜を広げている。いつの間にか完全に香川のペースで、一度も主導権を取れた試しがない。
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