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「なあ播磨、冷めないうちに餅巾着食ってみてよ。男らしく一口で」 「さては俺の口の中をでろでろにする気だろ! 主任との扱いの差がひどすぎない?」  向かいの席でしょうもない話をしている二人を見ていると、大して面白くもないのに笑ってしまう。花冷えする夜に、家族以外の人間と温かい鍋を囲んでいるのが、なんだか信じられなかった。 (こんな風にちゃんとした家庭料理を食べたのなんて、何年ぶりだろうな)  出汁にうるさい母親の元で育っただけあって、香川の作ったおでんは美味しかった。趣味で作り置きしているという野菜のピクルスも、厚揚げにチーズを挟んで揚げただけだというおつまみも、どれも文句のつけようのない出来だ。 「男前で仕事ができて、その上料理までできるなんて、憎たらしいくらいにいい男だよな、香川って」  久しぶりにアルコールを口にしたせいか、いつもは絶対に言わないような言葉がスルスルと口から滑り出る。  ちらりと目をやると、香川が口元を手で覆っていた。てらいのない褒め言葉に、柄にもなく照れているらしい。その隣では播磨が拗ねた様子でビールを呷っていた。 「いいなー、香川。主任、俺には叱ってばっかりなのに。俺もたまには褒められたい」 「そう卑屈になることないだろう? 俺は言っても無駄だと思う人間をわざわざ叱ったりしない。きついことを言うのは言えばできると思ってるからだ」 「主任……!」  三輪は面倒見のいい方ではない。人づき合いも苦手だ。だが耳障りがいいだけの言葉が、相手のためにならないことはわかる。だから厳しいことも遠慮なくズケズケ言う。それで人が離れていくなら仕方がない。 「俺、これからも主任について行きます!」  今の言葉の何がそんなにうれしかったのか、播磨が腰を浮かせて三輪の手を両手で握りしめてくる。ビールをかなり飲んだらしく、目が据わっていた。 「お前飲みすぎだ。ちゃんと飯も食べろよ」 「俺の体の心配までしてくれるなんて、感激です! そうだ。ねえ主任、今晩ここに泊まって、明日一緒に花見に行きましょうよ」 「泊まるって、ここは播磨の家じゃないだろ」  戸惑う三輪をよそに、播磨は握った手を子供のように揺らしてくる。完全な酔っ払いだ。  泊まりはさすがに無理だが、ここですげなく断るのも大人げない気がする。どうしたものかと困惑していると、黙って様子を窺っていた香川が播磨の手を三輪から引き剥がした。 「いい加減にしろ。主任は忙しいんだから引き留めたらダメだろ」 「だって、俺も主任と仲良くしたいんだもん」 「だもんじゃないよ。お前ほんとに飲みすぎ」  他人の体温は苦手なはずが、播磨の手が離れてしまうと不思議ともの足りなさを覚えた。  播磨はしばらく駄々をこねていたが、やがて大人しくなり、しまいにはテーブルに突っ伏して寝てしまった。香川がやれやれと立ち上がり、播磨の腕を肩に回す。 「すみません、ちょっとこいつをベッドに寝かせてきますね」 「手伝うよ」  大柄ではないが小柄でもない男を二人がかりで支え、奥のベッドへ運んだ。香川は寝息を立てている播磨のネクタイを緩め、掛け布団を胸元まで引き上げてやっている。  子供のような部下の世話は香川に任せ、三輪はテーブル周辺に散らばったゴミや空き缶を集めた。まだおでんの具が残っている土鍋はそのままにして、その他の食器を洗う。洗うと言っても、軽く水で流してから食器洗浄機に放り込むだけだ。  回収した空き缶を水洗いしていると、播磨の世話を終えた香川がキッチンに姿を見せた。 「すみません、主任にそんなことまでやらせちゃって」 「いや、食洗器のスイッチ押しただけだから。もう遅いし俺は失礼するよ」  気がつけばここへきてもう二時間も経っている。顔だけ出してすぐに帰るつもりが、思いがけず長居してしまった。  香川は引き留めるでもなく、帰り支度をする三輪の姿を、壁に凭れてじっと見つめてくる。無防備な背中や襟足に視線を感じ、落ち着かない気分になった。
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