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「それでね、斉木さんってば乾杯前からボロ泣きしちゃって。女性陣はもらい泣きするし、課長は脱ごうとするしで、もう大変ですよ!」  知りたくもない送別会の詳細を聞くともなく聞きながら、三輪は部下の播磨から受け取った紙束に目を通した。ライターに依頼したのは結婚式場のポスターに書き添えるキャッチコピーなのだが、上がってきたものはどれも冗長かつ散文的で、とても使えそうにない。 「そうか。斉木さんもさぞうれしかったことだろう。参加できなくて残念だよ。領収書は今月中に経理に回しておくこと。あとこれは没」  言うべきことを過不足なく告げ、騒がしい男に紙束を突き返す。すると播磨は「そんなあ」と非難の声を上げた。 「そんなあ、じゃない。柳瀬さんには直接会ってコンセプトをきちんと説明したのか? 結婚式場のポスターにマリッジブルーを押し出したコピーってどういうことだ。だいたい今時ポエム調のキャッチコピーなんてありえないだろう」  眉を寄せて詰問すると、播磨は目を泳がせながら「一応電話で伝えはしたんですけど……」などと口の中でごにょごにょ呟いている。言い訳もろくにできないのかと溜め息をついた時、頭上にフッと影が差した。 「すみません、三輪主任。播磨は斉木さんから仕事を引き継いだばかりで、柳瀬さんとはまだ面識がないんです」 「――香川か」  横から口を挟んできたのは、三輪の部下で播磨の同期でもある香川上総だった。友人の窮状を見かねて、つい口を出してしまったのだろう。そう言えば土曜の夜にお節介なメールを寄越したのもこの男だ。 「香川ってばやさしー。惚れちゃいそう」 「うるさいよ、播磨」  苦く笑って、窘めるように播磨の肩を小突く。そんな香川の一挙手一投足を、周辺の女性たちが熱っぽく見つめていた。  立ち上がっても見上げなくてはならない長身に、男っぽすぎず女々しくもない整った顔立ち。きちんとセットされた髪は清潔感があり、営業マンらしくスーツの着こなしにも隙がない。  そこそこいい大学を卒業して、名の通った広告代理店に就職。周囲からの評判は上々で、上司の覚えもめでたい。その上容姿までいいなんて、かわいげの欠片もない男だと思う。  つまるところ、三輪は香川のことが苦手だった。自信ありげにピンと伸びた背中や、滅多に揺らがない視線なんかは特に。 「引き継いだばっかりだからなんだ? この使えないコピーを俺に上げてきたのは斉木さんじゃなくて播磨だろう? そのフォローは的外れだよ、香川」  容赦ない三輪の反撃に、終業時間間際で浮足立っていたオフィスが、水を打ったように静かになった。三輪が播磨を叱るのはいつものことだが、今回は香川が絡んでいるせいか、こちらを見る女子社員の目が冷たい。  だから嫌なのだ。香川が絡むと否応なしに周囲の視線を集めてしまう。 (なんで俺が全女性の敵みたいな目で見られなきゃならないんだ) 「――播磨はすぐにでも柳瀬さんに連絡をつけて、明後日までに別のコピー案を提出。香川は人の世話を焼いてないで自分の仕事に戻って」  以上と話を締めくくり、PC画面に視線を落とす。しばらくデスクの前に立ち尽くしていた播磨だが、香川に肩を叩かれ、一礼してからしおしおと自分のデスクに戻っていった。  しょぼくれた後姿を見やり、三輪は内心で溜め息をつく。実直で気持ちのいい男なのだが、あの打たれ弱さはどうにかならないものか。とはいえ、いつもなんだかんだと騒がしい男が目に見えて落ち込んでいる姿は、見ていて愉快なものでもない。 (まったくあいつは……。どうしようもないな)  今回だけだと自分自身に言い聞かせ、三輪は過去のデータを漁り、結婚関連の広告とその企画書をピックアップした。  断じて播磨のためじゃない。コピー案の提出が遅れれば、他の作業も後ろへずれ込み、三輪にとって諸々の不都合が生じるからだ。  頭の中で言い訳をこねくり回しながら、データをまとめて資料を作成する。できあがったファイルを播磨のアドレスに送信し終えた頃には、オフィスにいた人間の大半が既に退社してしまっていた。  播磨の姿も見当たらないが、椅子に上着がかかったままなので、外に休憩に出ているのだろう。  このまま帰宅してもよかったが、たった今送った資料を見た播磨が、何か意見を求めてくるかもしれない。提出を急がせた手前、自分だけさっさと帰るのも気が引けた。 (コーヒーでも飲んで、少し休憩するか)  PCを離席モードに切り替え、財布を手にオフィスを出る。階下にある休憩室のソファに座り、コーヒーで一息入れていると、エレベーターホールから播磨が姿を見せた。その隣には香川の姿もある。  二人は三輪の斜め後ろにある自動販売機で飲みものを買い、そのまま廊下で立ち話を始めた。
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