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「見つけた。探しましたよ、主任」
「香川?」
名前を呼ぶと、傍らに立つ男が柔らかく微笑む。待望のイケメン登場に女性陣が色めき立ち、葉山を除く男たちは一様に気色ばんだ。
「香川、どうしてここに……?」
「出先から戻ったら主任がいなかったから気になって。金曜はいつも最後の人間が戻るまで残ってるでしょう? 播磨に訊いたら葉山課長と一緒に出たところを見たって言うから」
「なんだよ、それでさっきメール送ってきたのか。お前の方から連絡寄越すなんて珍しいと思った」
「すみません。うちの主任お酒弱いのに、女性とコンパなんて心配で、つい」
干支半周も年下のくせに生意気だ。慇懃な態度に苛立ちながらも、気にかけてもらえたことがうれしい。こんな風に感情が揺さぶられるのは、酔いのせいなのか、それとも目の前の男のせいか、三輪にはわからなかった。
「あのう、立って話してないでこっちに座りませんか? 飲みものは何にします?」
空いた席を指差しながら、女性の一人が香川に声をかける。だが香川は首を横に振った。
「ありがとうございます。でも俺はこの人を送り届けないといけないので。ほら主任、もう帰りますよ。立てますか?」
香川に肩を貸してもらい、よいしょと椅子から立ち上がった。腰に腕を回され、頬がカッと熱くなる。酔っていて助かった。どれだけ顔を赤くしても、不審に思われないで済む。
「あ、じゃあ今度また改めて機会を設けましょうか。連絡先を教えていただければ――」
「ごめんなさい。お約束はできません」
きっぱりとした拒絶に、ざわついていたテーブルの上に沈黙が落ちる。普段つき合いのいい男なだけに、香川がこうもはっきり誘いを断るとは思ってもみなかった。
「おい、香川」
「危ないからちゃんと俺に寄りかってください。バッグとコートはクロークですね」
香川は参加者たちに一礼すると、三輪の体を支えてテーブルを離れた。らしくもなく礼儀を欠いた態度だが、香川は気にもしていない様子だ。唖然としている男女に「お先に失礼します」と告げ、香川と一緒に店を出る。会費を支払い忘れたことに気がついたのは、通りで拾ったタクシーに乗り込んだ後だった。
(後で葉山に詫びのメールを送って……、会費は週明けに渡せばいいか)
後部座席に腰を下ろし、すっきりしない頭でそう算段をつける。座席に背中を預けて目を閉じていると、隣に並んで座った香川が、運転手に自分の家の住所を告げた。
香川が助手席ではなく自分の隣に座ることも、この後香川の部屋に向かうだろうことも、なんとなくわかっていた気がする。だからだろうか。シートの上に置いた手を握られた時も、特に驚きはなかった。
「汗かいてるな。駅から走ってきたのか?」
「すみません。手、気持ち悪いですか?」
「いや……、平気だ」
嘘じゃなく、本当に気にならなかった。
汗ばんだ手のひらから伝わる熱が、外気で冷えた指先をじわじわと温めていく。やがて触れ合う肌の温度差がなくなると、自分と香川を隔てるものまでなくなったような錯覚に陥った。
「香川のだから、平気だ」
指越しのキスだって、驚いたけれど決して不快じゃなかった。あんなこと、他の人間とはできない。相手が香川だったから、三輪は我を忘れるほど動揺し、同じくらいドキドキしたのだ。
長いこと見つけ出せずにいた答えが、ストンと胸に落ちてくる。
ユキナが言ったように、三輪は本当の自分から目を逸らしてきたのだろう。だけど香川に出会って、思い知らされてしまった。これ以上自分をごまかし続けることは不可能だ。
タクシーがゆっくりと減速し、見覚えのある通りで止まる。アパートへと向かう間も、香川は三輪の手を離そうとはしなかった。
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