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「気づきたくないことって……?」
「俺は女性を愛せない。それを認めたくなくて、記憶ごとまとめて蓋をしようとした。キスへの拒絶反応はその反動なんだと思う」
そう告げた瞬間、香川が息を呑んだのがわかった。張り詰めた空気に耐えられず、三輪は逃げるように目を伏せる。
「俺とのキスも嫌でしたか? ここでキスしてから、主任俺のこと避けてたでしょう?」
「反対だよ。嫌じゃなかったから、どんな顔して会えばいいのかわからなかった」
首を横に振り、手のひらで顔を覆う。自分を包み隠さず曝け出すことが、これほど情けなく、恥ずかしいものだなんて思わなかった。
「本当に? キスは嫌じゃない?」
「……ああ」
「じゃあ、今俺にキスしてください」
思いもよらない言葉をかけられ、閉じていた瞼をぱちりと開く。
「は――キス? い、今?」
「ええ。やりにくいのなら目を瞑りますから」
そう言うと、香川は本当に目を瞑った。
伏せた睫毛。頬に影を落とす高い鼻梁。緩く結んだ唇は、走ったせいか少し乾いている。
三輪は一つ息を吐くと、伸び上がって男に顔を近づけた。シトラス系の香りに混じる微かな汗の匂いに、怖いくらいに鼓動が高鳴る。
(やっぱり嫌じゃない。むしろ、もっと近づいてみたくなる……)
どうしたものかと悩み、エイと勢いをつけて唇をぶつけた。カサついた感触が切なくて、慰撫するように舌先で舐める。すると香川の唇が、三輪を中へ誘い込もうと薄く開いた。
「おっ、終わり! もう終わった! 目を開けていい!」
舌が触れ合いそうになり、三輪は慌てて体を離した。三輪に促されて、香川が伏せていた目を開ける。瞼の下から現れた黒々とした瞳は、艶を含んでしっとりと濡れていた。
「……俺も確かめたかったことがあるんです」
「確かめたかったって、何を?」
おもむろに手を取られ、男の下肢へと導かれる。手に押し当てられた場所は形を変え、布越しでもわかるほど熱くなっていた。
「どうしてこんな……。だって、お前は――」
「初めての時に失敗してから、女の子としようとしてもできなかった。でもこの前主任にキスした時、久しぶりに他人に触れてこうなった。だからもう一度確かめたかったんです。でも確かめるまでもなかったかな」
香川が三輪の手を握り、指先にそっと口づける。信じられない思いでその様子を見つめていると、顔を上げた男と視線がぶつかった。
「……ダメだ。すみません主任、ちょっとだけ脚貸してください」
そう言うと香川は三輪の体を壁に押しつけ、腕の中に囲い込んだ。至近距離で視線が絡み、心臓がものすごい勢いで駆け出す。
「な、何? なんだ!?」
「首筋、いい匂いがしますね。目元と耳朶が赤くて、なんかエロい。かわい……」
体を寄せながら、香川が耳元で囁く。膝頭に何かが触れ、ずるりと太腿の上を滑った。
「ひっ……!」
「ごめん。多分、すぐだから」
熱を帯びた硬いものが、膝から腿を何度も行き来する。荒い息が首筋にかかり、ざわりと肌が粟立った。
「主任……、主任……っ」
徐々に腰の動きが加速し、香川の息遣いが獣じみたものに変わる。為す術もなく身を固くしていると、香川が「うっ」と低く唸り、ブルブルと体を震わせた。そのまま凭れかかってきた体を、慌てて両腕で抱きとめる。
「だ、大丈夫か?」
「――大丈夫だけど、ズボンはクリーニング行きだな」
身も蓋もない表現に、体温がドッと上がる。息が整うと、香川は膝立ちになり、邪魔そうに髪を払ってタイのノットを緩めた。
おかしい。自分からキスをした時より、今の方がずっとドキドキする。相手は干支半周も年下の男なのに、目の前の体に縋りつきたい、大きな手に触れられたいと思ってしまう。
「どうしたの? ちょっといきなりすぎた?」
「違う、そうじゃなくて……、俺も触りたい」
男の細められた目が、深い色に変わる。
「いいですよ。俺の体なんて、いくらでも」
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