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「しっかしさっきのはマジでへこんだー。もしかして俺、主任に嫌われてんのかなあ?」 「好き嫌いの問題じゃないんじゃない? 元はと言えば柳瀬さんへの説明が不充分だったんだからお前が悪い。主任の指摘は正しいよ」 「なんだよ、さっきみたいにフォローしろよ」  彼らの位置からここはちょうど死角になっているらしく、二人とも三輪の存在に気づいていなかった。まさか叱った本人がここにいるとも知らず、播磨は泣き言をつらつらと言い連ねている。  コーヒーは空になっていたが、さすがに今は出て行きづらい。どうしたものかと思案していると、やがて話題は播磨の恋愛話にシフトした。そう言えば最近、自分にもようやく春がきたと浮かれていたような気がする。 「彼女って、コンパで知り合った子だっけ? 上手くいってんの?」 「もちろん超上手くいってるよ。だけどさあ、彼女なんて久々すぎて、どのタイミングでゴムを着けたらいいのか毎回迷うんだよな。なあ香川、あれっていつが正解なの?」 「っ……!?」  思わず声が漏れそうになり、慌てて手で口を塞ぐ。休憩室の外では普段冷静な香川が、手の中で紙のカップを躍らせていた。 「と、突然何を聞いてくるんだよ、お前は!」 「だって好きな子の前で失敗したくないじゃん。こんなこと他の人には聞けないし」 (ばかばかしい……)  手のひらで額を覆い、三輪はがっくりと項垂れた。職場でしょうもない相談を持ちかけられた香川に同情したくなってくる。 「……別に正解なんてないと思う。大事なのは相手に対して誠実であることじゃないの?」 「そんなのはお前がイケメンでモテ男のヤリチンだからこそ言えるセリフだろー。もったいぶらないで教えろよ。ネットで調べても書いてることがバラバラで当てにならないし」  真摯なアドバイスを失礼な言葉で一蹴し、播磨は教えろ教えろと駄々をこねている。お前は中学生かと頭を叩いてやりたいところだが、話を聞いていたことがバレてしまうので、それもできない。なすすべなく身悶えていると、しばらく押し黙っていた香川が、「例えばだけど……」と重々しく口を開いた。 「あらかじめ準備していく、とか?」 「は?」 (は?)  おそらく同じタイミングで、三輪と播磨の頭の上にハテナマークが浮かんだ。 「ほら、水泳の授業の時、制服の下に水着を仕込んでおいただろ? あれと同じだよ」 「それってゴムをずっと着けたままでいるってこと? いくらなんでも蒸れるだろ」 「いや、今はゴムも進化してるし、通気性のいい素材とか、伸縮自在のとかいろいろあるんだって! ……多分」 「マジで? 今ってそんないろいろあるの? 駅前のドンキにも売ってるかな?」  自販機を挟んで繰り広げられる冗談みたいなやり取りに、頭が痛くなってくる。  コンドームを着けるタイミングを同僚に訊ねる播磨も播磨だが、返答に水泳の授業だの水着だのを持ち出す香川もどうかしているとしか思えない。 「おっと、ちょい待ち。柳瀬さんから電話かかってきた。悪いけど先戻るな!」 「えっ? あ、ああ……」  播磨が電話に答えながら慌ただしくオフィスに戻り、休憩室周辺が急に静かになる。  これ以上ここにいても仕方がない。三輪は空になった缶をダストボックスに放り、ソファから腰を上げた。自販機の方に目をやると、長身の男前が不自然なくらい目を見開いてこちらを凝視している。 「お、お疲れ様です。あの、主任はいつからそこに――」 「通気性のいいゴムなんかあったらダメだろ」 そう告げるなり、香川はピシリと固まった。  未来の素材でできたコンドームはもちろん、あらかじめ装着しておくという珍説も、どちらもありえない話だ。 「しゅ、主任っ、まさか今の話聞いて!?」  香川はわかりやすく動揺していた。三輪はゆっくりと香川に歩み寄り、値踏みするように男の顔を見上げる。  こうして近くで見ても、やっぱり整っている。奥二重の目元は優しげなのに、濡れたように見える黒々とした瞳には、どことなく危うい色気があった。小さな頭に長い首。柔和な顔立ちに反して、日に焼けた喉元で存在を主張する喉仏だけがやけに男っぽい。 「香川って童貞? モテそうなのに意外だな」 「ちっ、違います! 人よりめちゃくちゃ早いってだけで、断じて初めてでは――!」 「めちゃくちゃ早い?」  思わず鸚鵡返しで訊ねると、香川は顔を両手で覆ってゆっくりと天を仰いだ。こうも見事な自爆を見たのは初めてだ。 「……すみません、できれば今のは忘れてください」  俯いた男の耳が、熟れた果実みたいに赤い。居心地悪そうに身を縮めている姿を見ていたら、体の内側を刷毛でくすぐられたように、背中や項がザワザワした。 「もしかして、照れてるのか?」 「恥でしかないでしょう、こんな話」 「首まで赤い。へえ、珍しいものを見たな」 「もう勘弁してくださいよ、主任」  からかわれたと思ったのか、香川が頭を抱えて蹲る。自分より遥かに大きな男の背中が、この時ばかりは妙にかわいらしく見えた。
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