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「主任、昨日は資料をありがとうございました。バッチリ読み込んできたんで、今から柳瀬さんと話を詰めてきますね。二人で名コピーを生み出して主任を唸らせてみせます!」 「楽しみにしてるよ。柳瀬さんによろしく」  PCの画面を見つめたまま、さっさと行けとぞんざいに手を振る。叱責された翌日だというのに、播磨は今日も無駄に元気だった。  賑やかな男が出て行くと、オフィス内は途端に静かになる。それもそのはずで、時刻は昼の一時を回っていた。ランチタイムだ。  デスクの上に積み上がった企画書の山を見やり、三輪は早々にランチを諦める。週の初めから残業が続くのはごめんだ。だが山に手を伸ばそうとしたところで、お疲れ様ですと声をかけられた。 「香川……今戻ったのか?」  いつの間にか目の前に香川が立っていた。出先から帰ってきたばかりらしく、手に上着とブリーフケースを提げている。 「午後も外なんですけど、近くだったので一旦戻りました。主任お昼はこれからですよね。もしよかったらご一緒しませんか? その、少しお話したいこともありますし」  そう告げる男の顔つきは、心なしか強張っていた。あんな自爆をした後では無理もない。 (話ってのは十中八九、昨日のことだろうな)  挫折を知らないかわいげのない部下。そんな男の意外な一面を、昨夜思いがけず知ってしまった。おそらくランチのお誘いは、口止めの口実だろう。 「――いいよ。そろそろ休憩しようと思ってたところだから」  三輪が了承すると、香川がホッとしたように表情を緩める。山と積まれた企画書が気になったが、それよりも好奇心が勝った。 「悪いけどあまり時間を割けそうにない。コンビニご飯でもかまわないか?」 「もちろんです。お忙しいのにすみません」 「じゃあ下で何か買ってきて屋上で話そう」  話がまとまり、近くのコンビニで食べるものを買ってエレベーターで屋上へ上がる。外への扉を開けるなり、強い風が吹きつけてきた。三月の屋上は不人気で、他に人影は見当たらない。 「寒いですよね。すみません」  屋上で食べようと言ったのは三輪の方なのに、なぜか香川が申し訳なさそうに頭を下げる。問題ないよと返して適当な場所に腰を落ち着けると、香川も隣に腰を下ろした。 「三輪主任、昨日は変な話を聞かせてしまって本当にすみませんでした。できればその、昨日の話は……」 「心配しなくても誰かに話したりしないから」 「ほっ、本当ですか?」 「当たり前だろ。それに噂話は好きじゃない」  そもそも噂話をするような親しい間柄の人間など、三輪にはいない。他人の弱みを面白がれるほど能天気でもないつもりだ。 「それより播磨にはきちんと訂正しておいたのか? あんな話を真に受けたら大変だ」 「はい。あの後すぐさっきのは冗談だって言っておきました。頭でっかちになりすぎないで、とにかく相手の気持ちを第一にしろって」 「最初からそう言えよ。だいたい多少手際が悪いくらい、恥じることでもないだろうに」  男女問わず肉食系が多いこの職場で、播磨のような人間は珍しい。週末ごとに快楽を金で買っている三輪から見れば、播磨の世慣れなさはむしろ好ましく思える。  当然香川にも同意してもらえるものと思っていたのに、男は曖昧に言葉を濁した。 「うーん、そう言いきれる三輪主任は強いなって思います」 「含みのある言い方だな。何が言いたい?」 「好きな子の前で恥かきたくないって臆病になる気持ち、俺にはよくわかるんです。……俺自身、初めての時に苦い思い出があるので」
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