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七 サクの声
私の寝たふりを確認すると、ママは誰かのところへ行く。
玄関の鍵が閉まる音は大嫌い。だから私は、イヤホンをする。
ママは昼間、リビングでお昼寝をしている。それをこっそり部屋から出て見る。サクが、
「僕たちのママって本当に綺麗だよね」
と言うから、
「本当に綺麗だよね」
と言う。
ママを見ているのが私たちの幸せの時間。サクはきっと、ママによく似ていたと思う。ママを見ていると、サクをもっと近くで感じることができる。
ママは私のせいで苦しんでいた。
私はお部屋で、サクとおしゃべりをしているから寂しくないけれど、ママは家の中でいつでも一人ぼっち。パパはお仕事の人たちとお話しできるからいいけれど、ママは本当に一人ぼっち。だから、ママが夜にこっそり出て行くのはママの幸せな時間っていう気がする。だから、邪魔しちゃいけない。
山下先生は優しい先生だった。私が宿題を出し忘れて毎日持ち帰っていることにママが気付いた時、ママや先生に叱られると思った。でも次の日にそうっと先生に提出すると、「後からでも、ちゃんと出してえらかったね」って言ってくれた。私が、サクのために友達の物をランドセルに入れたことを、山下先生は「優しい気持ち」って言ってくれた。みんなに謝った時も「えらかった」って言ってくれた。だから、もう同じようなことはしないようにしようって思った。
お家に帰って手を洗って、おやつを食べていたらママが急に怒ったような様子で、
「今日何があったのか言いなさい」
と言った。私が答えられずに泣いていると、ママは学校に電話をした。ママの手には機械が握られていて、電話を切った後に、そこから私や友達や先生の声が何度も流されていた。私は怖くなって部屋に行ってサクを抱きしめた。
「サク。ママが怒っているよ。私が悪いことしたから」
「雪ちゃん大丈夫だよ。ママは雪ちゃんのことが大好きだから、雪ちゃんのために、何かしなければいけないと考えているんだよ。それに僕のことを思ってしてくれたことでしょ。僕はとても嬉しいよ」
サクを抱いて泣いていたら、ママがやってきて「もう三年生のうちは学校に行かなくていい」って言った。やっぱりママは私を怒っているのだと思ったけど、サクは「違うよ」と言った。サクと私はいつでも心が繋がっているから、サクの言葉は本物だと分かる。
だけど、ママが夜に出かけるようになってから、サクと意見が合わなくなっていった。
サクは
「ママが夜に出かける時になったら、止めて」
と言った。でも、私はママが幸せそうだったから、そんなことをしなかった。サクはいつも、「このままだと、ママが良くない方向に行っちゃう」って言っていたけど、私にはママが幸せそうな方がずっと正解だと思った。
あの日までは。
あの日、イヤホン越しにママのとても大きな話し声が聞こえた。「山下」と言う名前が聞こえて、山下先生のことをすぐに思い出した。サクが
「雪ちゃん、部屋から出て。すぐにママを止めて」
と言った。私は起きているママに会うのが怖かったから、
「嫌だ、きっとまたいつもの人に会いに行くのだからいいじゃない」
と言った。でもサクが、
「だめだよ。すぐに部屋から出て」
と言う。バタバタとママが出て行く音がして、私は部屋のドアを開けた。
「あ」
ママは右手にコートを握って、左手には包丁を持っていた。
「ママ、どこに行くの」
サクの言うことはやっぱりいつでも正解だ。
「ママ、ごめんなさい」
ママに抱きつく。優しい匂いに包まれながら、私は何度も謝った。
そしたら、ママも私に謝った。
その後、サクの声はぱったりと聞こえなくなった。私とママは、奈良県のおじいちゃん家近くに引越した。私の部屋は無くて、リビングにママと布団を敷いて眠る毎日。パパやサクには、もう会えないかもしれないけれど、ママとのおしゃべりや、ママの笑う顔を見れる毎日は、この間までが嘘のように感じるほど幸せ。
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