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あなたにしか、できないのよ
家に戻ると、妻・さくらが用意していた手料理が仕事終わりの私を待っていてくれた。トンカツに付け合わせのキャベツ、味噌汁、香の物、そして食後のビールも2本、しっかりと用意してくれている。
ネクタイを解き部屋着へと着替え、私は食卓についた。
「いただきます!」
娘のかれんも交えて3人の声が一斉にあがる。私はトンカツに箸を伸ばした。
「そういえばね」
かれんが口を開いた。
「おととい、日曜参観来てくれたでしょ?」
「うん。それがどうした?」
私はそう問いかけた。昨日は日曜参観日で、かれんのクラスである1年3組では算数のくり上がりの足し算の授業をやっていた。担任の湯原先生の教え方も子供の目線に立った教え方で好感が持てたし、かれんもぴっしりと手を挙げて授業にしっかりと参加していた。
「友達の美奈子ちゃんがね、パパのことカビゴンみたいだねって言ってたの」
「カビゴンって、あのカビゴンか?」
「うん。あのカビゴンだよ」
カビゴンとはほとんどの日本人が名前は聞いたことがあるであろう「ポケットモンスター」のキャラクターだ。ゲーム内のキャラクターの中でも極めて重量級で、公式発表のデータによると体重は460kg。その数字が指し示すとおりまんまるい太ったキャラクターだ。私の体型のことを指しているんだろうか……。食卓に無言の空間が暫し流れた。
ーーでも待てよ?
私は思い直した。カビゴンの表情は非常に柔和で、まさに癒しを与えるような面持ちだ。もしかしたら私の顔が優しそうという意味で言ったのかもしれない。
「それって、可愛いって意味か?」
私は意を決して尋ねた。
「ううん。違うよ。太ってるって意味だよ」
かれんの答えは私の希望をあっという間に打ち砕いた。
「かれん。もうそのくらいにしておきなさい」
さくらが嬉々とした表情で語るかれんのことを制した。
「ほら、まだ宿題残ってるでしょ?さっさとご飯食べたらやってらっしゃい」
「はぁい」
かれんは不満げな声を漏らした後、再び箸に手をつけ始めた。子どもというものは正直だ。それはかれんも、美奈子ちゃんも、例外ではない。私は頑張って笑顔を作りながらおかずに箸を伸ばした。
その日の9時過ぎ、かれんが寝息を立て始めたころ、私とさくらはソファでくつろいでいた。
「ねぇ」
さくらが私にそう声をかける。
「どうした?」
「ちょうど、いい機会なんじゃない?」
「何がだ?」
「減量」
私は思わず言葉を詰まらせた。
「健康診断、色々引っかかったんでしょ?」
厳然とした事実を突きつけられ、私は無言で頷く。
「かれんの友達もああ言ってるんだしさ、そろそろ体重、落としたら?」
私は無言を貫く。減量すると口にしたこの瞬間、きっと私の生活は大きく変わってしまう。大好きなビールも飲めなくなってしまうかもしれない。
「あなたがカビゴンみたいって言われることはどうでもいいの。私はあなたに少しでも健康で長生きしてほしいの」
さくらは私のとまどいを見透かしたようにそう言ってくる。
「あなたは運がいいのよ。まだまだ取り返しがつくんだから」
運がいい、どこかで聞いたフレーズだ。しかし私はまだ首を縦には振らない。
「とにかく、その栄養士の先生の指導を受けてみたら?ビールだって、まだ全部だめとは言われないかもしれないわよ」
肩がピクンと動くのを自分でも感じた。
「やっぱり……大好きなビールをやめたくないのね」
私は顔が熱くなるのを感じた。さくらには全てお見通しだったようだ。
「とにかく、栄養士さんとの面談、行ってらっしゃい。あなたの健康は、あなた自身しか守ることはできないのよ」
私はさくらの熱意を前に折れ、首を縦に振った。
自分の健康は、自分自身でしか守ることはできない、か…………。
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