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「馬鹿げていますね」
彼は乙葉の話を聞くなり、そう言った。
夕暮れ。木の葉の影が紅く濃く落ちるころ、乙葉は屋敷の裏手に向かった。そこで待っていたのは、庭師の男。乙葉と歳の近い庭師は、どういうわけか乙葉に甘かった。
一葉からも親からも屋敷の他の者たちからも疎まれている乙葉を、不憫に思ったのかもしれない。この男だけはいつだって乙葉に優しい。乙葉を「乙葉さま」と呼び敬語を使うのも、彼だけだ。
母と妹と彼で、屋敷の外れにある小さな襤褸小屋に住んでいる。乙葉はよく、嫌なことがあれば彼に会いに行った。そうすれば、彼は乙葉を抱き寄せてくれる。彼の腕の中にいるときだけは安息を覚えた。
でも時折、乙葉は彼が恐ろしくなることがある。
彼の瞳に、ふっと鈍く尖った色が灯ることがあるのだ。今日もそうだった。怪しい光がちらりと見えた。
「――一葉が、着物をくれたのよ。一葉の着物」
ずっと憧れていた。あんな美しい着物をまとってみたいと。乙葉はいつだって、薄汚れた衣しか着たことがなかった。まさか、こんな形で夢が叶うとは思わなかったけれど。
「このまま身代わりになるおつもりで?」
「仕方ないでしょう。もとから、私は間引かれる存在だった。今まで侍女としてでも生きてこられたのが不思議なくらいなのよ」
自分は最初から死んでいるものだと思えばいい。そうすれば牢に入れられたって構いやしない。ただひとつ嫌なことを挙げるとすれば、一葉の言いなりになっていること、だろうか。
「乙葉さまはずっと、一葉さまに縛られて生きていくんですね」
「……そうかもしれないわ」
鈍く、彼の瞳が光る。乙葉が思わず身体を強張らせると、彼は乙葉の髪を撫でて耳元にそっと唇を寄せた。吐息がかかる。
「救ってあげましょうか」
「――え?」
「俺が救ってあげますよ。可哀想な乙葉さまは、見ていられないので」
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