朝食

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朝食

 午前六時半。真っ赤な艶めく三個のミニトマト。まな板の上で転がるそれらを、落ちないように濡れた手で(すく)う。蛇口を閉めながら、レタスを千切る。フライパンからは、ベーコンの香ばしい香りが舞う。  この二月で三十三歳になる私は、今日から朝食を食べることにした。  窓の外は昨日の盛岡と変わらない鉛色の空。  心に母の顔が浮かぶ。  大学入学と同時に神奈川の実家から出て、都内で一人暮らしを始めた。  奔放な学生生活の中で「朝食」の優先順位は圏外。単位を落とさない程度に通学し、生活の本番はいつでも夜からだった。  母から週一で来るメールや電話の冒頭はいつでも「今日の朝は何を食べましたか」。何も食べていません、と告げるはずもなく、そこには触れずに話を進めた。その一文はいつでも、静かに叱られている様な感覚であった。それはなんとも心地悪く、就職してからもなお、送り続けられていた。しかし、就職後も私が朝食を食べることはなかった。  二年前から盛岡の祖母が病気がちになり、五日前に亡くなった。葬儀に向かうため東京駅から新幹線に乗る。盛岡が近付くにつれ、晴れていた空には暗く分厚い雲が増えていく。自然と気持ちも下降し、母が大層落ち込んでいるのではないかと心配になった。  葬儀場の控え室で母を探していると、 「おーい、こっちこっち」 母が弾む声で私を呼んだ。黒い喪服とは対照的な明るく賑やかな控え室の様子に、悲しみへの恐怖心が(わず)かに(ぬぐ)われた。 「(ひつぎ)の中に手紙を入れるって、さっき皆んなで書いてたの。あんたもどう」 渡された便箋とペンを受け取る。同時に何故だか涙が滲み、俯く。 「悲しいね」 母は優しい笑顔で私を見つめた。  時間になり、お坊さんがお経を唱え始める。  焼香を済ませ、自席で祖母の遺影を眺める。  幼い時から神奈川に住む私は、盛岡の祖母にほとんど会ったことがなかった。それは母も同じで、おそらくもっと会いたかったのだろう。それでも、優しく逞しい母の姿から、きっと祖母は素敵な女性だったのだと感じていた。  喪主の話は、長女である母が行うようだった。しんと静まり返る会場に、先ほどまでとは違うささやかな緊張感が伝う。 「本日はお忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。母は八人兄弟の末っ子として生まれました」 八人兄弟という言葉の響きに、時代を感じる。 「産まれてすぐに命に関わる大病を患ったためか、母はいつでも健康であることを大切にしていました」 「そんな母の口癖は、朝食は必ず食べなさい。でした」  瞬間私の瞳が涙で溢れる。  全てを温かく見透かされているような、不思議な思いを抱く。葬儀という場に似合わない母からの愛を感じた。  葬儀後、すぐに帰らなければいけない私に、母は大量のお土産を持たせた。 「こんなに食べられないよ」 と言う私に 「職場の人に渡しなさい」 と笑って言った。  新幹線のホームから見える空はやはり分厚かった。  それでも行きとは大きく違う景色であると感じるのは、明日から朝食を食べると決めたからだろう。
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