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「お父さんな、今日でお父さんをやめようと思うんだ」
夜に帰宅した父親は、子供たちを呼び集めると、やや酒の入った赤ら顔で唐突にそう告げた。
「……は? ちょっと、何言ってんの?」
きょとんとしていた二人の子供の内、長女で姉の優子は、困惑しながらもどうにか声を絞り出して言う。
「お父さん、酔ってる? しっかりしてよ。とりあえず冷たい水でも飲んできたら?」
「いや、お父さんは正気だし、大真面目だぞ。ちゃんと考えた上での判断だ」
確かにはっきりと落ち着いた声でそう言うので、長男で弟の翔太は、「待ってくれよ、親父……」と息を呑みつつ父親に尋ねた。
「『お父さんをやめる』ってさ。つまり俺たちの面倒をもう見ないってこと? それって育児放棄だろ。俺たちまだ未成年だぜ?」
「いや、面倒を見ないというのはそうだが、そういうんじゃない。大丈夫だ。今後の生活のことは心配しなくていいぞ」
普段は真面目で冗談も言わない父親が、いつもの調子でいながら突然訳の分からないことを口走っている。そもそも外で酒を飲んでくるのも珍しいことで、何か異常な事態であることを匂わせていた。まさか余命でも宣告されたのではあるまいか。
姉弟の不安げな視線がその顔色をうかがう中、父親は至ってマイペースに、「お父さんな、お父さんをやることに少し疲れてしまったんだよ」と語り出した。
「母さんが逝ってしまってから早十年、男手一つでお前たちを育ててきた。優子は高校三年生、翔太は高校二年生だ。二人とも良い子で、立派になったな。しかし、知っての通り、お父さんは人一倍不器用な人間だ。そのせいで変に苦労もした。頭もこの通り、すっかり薄くなってしまったしな。まだ五十前だぞ?」
父親は、薄く肌色を覗かせながら電灯の光を反射する頭頂部を撫でる。
「まあ、そういうことでな。お父さん、もっと自分に合った役になろうと思うんだよ。それで、お父さんをやめます。お父さんは今日から、お前たちの弟になります。三人姉弟の末っ子、正樹です。どうぞよろしく」
「――は?」
深刻なムードが一転、姉弟は唖然として父親の顔を見返した。
父親をやめて、弟になる? 言っている意味が分からない。
理解が追い付かず混乱する二人をよそに、父親は更に言葉を続けた。
「そして、この人が新しいお父さんだ」
「いや、誰だよ!?」
突然父親が招き入れた見慣れない男に、姉弟は揃って声を上げた。
年は三十過ぎといったところ。中肉中背で特徴のない顔付き。雰囲気は穏やかで人の良さそうな人物だった。黙ったまま、姉弟にニコリと微笑む。
「だから、僕らのお父さんだよ。四人家族、仲良くやっていこうな。優子姉ちゃん、翔太兄ちゃん」
すっかりその気か、当然のように言う父親に、
「いやいやいやいや! 頼むから一旦待って。ちゃんと説明してくれ」
「そうよ! とにかくまずは経緯を話して。一から全部!」
翔太と優子は声を大きく訴える。父親は「そうか? 仕方ないな」と言いながら、渋々といった様子で男の横へ立って説明を始めた。
「この人は、居酒屋で意気投合した佐藤さんだ。話がすごく盛り上がってなあ。自分が何者なのか、我々はどこへ向かっていくのか、他のお客さんも巻き込んで熱く語り合った。そして、我々は思い切ってなりたい自分を目指すことに決めたんだ。それでお父さんが子供に戻りたい、末っ子になりたいと言ったら、佐藤さんの方は父親をやってみたいと言うもんだからな。それならばとお互い協力することにしたんだよ。大丈夫。佐藤さんは良い人だ。頭もふさふさだしな。何も心配はいらないぞ」
「それで納得できるわけないでしょ!」優子は声を荒げる。
「急に知らない人がお父さんって……。ってか、仕事は? 会社どうすんのよ?」
「お父さんの代わりに佐藤さんが働くんだよ。実は社長も一緒に飲んでたんだ。納得してくれた。だから、心配ないと何度も言っているだろう」
「うそでしょ。どんな会社よ……」
優子が言葉を失うと、父親は欠伸をして眠そうに目を擦る。
「とりあえず、僕はもう風呂入って歯を磨いて寝ます。子供が夜更かしするもんじゃないからな。その前に、お父さんに家を案内しておこうか。さあ行こう、お父さん」
そして佐藤の手を引っ張って、家の奥へと消えていった。立ち尽くす姉弟を残して。
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