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朝から疲れた、と家を出た優子の足取りは重かった。
これからどうなってしまうんだろう。着地点も解決策も見えてこない。父一人の問題でないのは良いことなのだろうか。誰かに相談でもできればいいが。
そんなことを考えながら歩いていると、学校の手前の曲がり角で、何やら友人たちがキャッキャッと騒いでいるところに遭遇した。
「そんなとこで何してんの?」優子が声をかけると、
「あ、優子! ヤバいよ。ちょっと、あれ見てみ。荒木だよね?」
友人たちは角からそっと顔を出してその先を指差す。どうやら挨拶や服装のチェック等、校門指導が行われているようだ。
荒木というのは、生徒指導主事の体育教師のこと。ステレオタイプ、と言えば全国の体育教師に失礼かもしれないが、粗野で威圧的な雰囲気のため、生徒からの評判は芳しくない。特に女子生徒からは。
面倒臭いな、と優子は嫌な気持ちになった。別にやましいこともないが、なるべく関りを避けたいというのが正直なところ。しかし、それはそれとして、友人たちは何を騒いでいるのだろうか。荒木の校門指導は別に珍しいことでもないが……。
そう思いつつ、遠目にその様子を観察すると、優子はギョッとした。
荒木が声を張り上げ、竹刀を振り回している。そして、もっと奇妙なのはその格好だった。
教師であるはずが、学帽を被り、学ランを羽織っている。どちらも生地の擦り切れたボロボロのもので、いわゆるバンカラというやつだ。歩く度にカラコロと音が響き、よく見れば下駄を履いていた。
「ワシの目の黒い内は、風紀の乱れなど断じて許さんぞ! 文句のある奴はかかってこい! 正々堂々、受けて立つ!」
番長でも気取っているのか、そんなことを叫んでいる。
これはまさか……。優子は気が遠くなるのを感じた――。
「――うちの担任さ。急にロン毛で変な喋り方になってんの。完全に金八先生を意識してんだよね。うち二年三組だぜ?」
その日の夕方、家に帰った優子は翔太からそんな話を聞かされた。
「……そう。こっちも隣のクラスだけど、担任がグレートティーチャーを名乗り出したらしいわ。それに教頭が女装してた。ヒールの高い靴履いてフラフラ歩いてんだもん。危なっかしくて……」
優子は大きく溜め息をつく。
「先生たちも父さんと一緒に飲んでたんだ。とにかく大問題よ。変なものが世の中に広がり始めてる。きっかけを作ったの父さんでしょ。どうすんの……」
寝そべって漫画を読んでいる正樹を優子が睨み付けると、正樹は素知らぬ顔で言う。
「姉ちゃん、僕は父さんじゃないよ。末っ子の正樹だよ。いつになったら覚えるんだよ」
「うっさいわ、このハゲ! いい加減にしてよ」
「ハゲじゃないよ。これから生えるんだよ。僕まだ子供なんだから」
「生えるわけないでしょ! ってか何歳設定なのよ!」
声を荒げる優子を、「まあまあ、姉ちゃん……」と翔太がなだめる。
「ねえ、父さ……いや、正樹。なりたい自分になるって盛り上がった時、何人くらいいたの?」
翔太が尋ねると、「えーと……」と首を捻りつつ正樹が答える。
「最初は二人で、最後は十人くらいだったかな。でも入れ替わりで色んな人と話したから、よく分からない。きっかけが父さんというのはまあ正しいよ。僕と父さんの会話から始まって、他の客にも広がっていったわけだからね」
「父さんって、佐藤さんのこと?」
「佐藤さんじゃないよ。父さんだよ。そして、僕は正樹だよ」
「――うるさいって言ってんでしょ! このハゲーッ!!」
優子の声が家中に響き渡った。
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