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夜空の中で
老人が寝静まったのを確認した後、コルドは音を立てぬように小屋を出た。
無数の夜空の星々がコルドを見下ろす。見るのはほどほどにコルドは歩いた。
もしかしたら老人はコルドがこの小屋から出ていくことを予期していたのかもしれない。
そう思いながら、コルドはユーリが案内してくれた道をたどる。
「……」
自分はどうしたいか。
王族になりたいとは思わない。今まで平民だった自分がいきなり神である王族になれるほど甘くないことは知っていた。
ファルだって、きっと同じなのだろう。
王族を産む存在でありながら、あの人目につかぬ塔の上に居続けるということは。
どうすればよいのか。という考えが頭を回る。
首飾りを握り締めたくなったが、それが手元にない今コルドは自分で様々なことを決めなくてはいけないのだ。
そう考えながら、コルドの足はあの塔に向っていく。
塔についた時、コルドは足を止めた。
「……やはり」
塔の上に、明かりが見えた。
扉を開けゆっくりと登っていく。
今の歩き方がマラジュに呼ばれた時の自分に似た気がして、コルドは一人自嘲する。
馬鹿らしいことを考えながら、コルドは搭上へ登りきった。
固く閉じられた扉の前で一瞬足がすくむ。
それに気づかないふりをし、コルドはいつも通り扉をたたいた後、開けた。
目の前には、ファルがいた。
「……」
小麦色の瞳に群青の瞳がコルドを見た。
その瞳がすぐに歪み、顔をそらされる。
コルドはファルの元に行き、あらかじめもっていた水の入った水桶と一緒にファルの元に行き、膝をつき、ファルに抵抗されるより前にファルの首に手を当てた。
「ー-ッ」
怯えたファルの首についた深い刀傷がみるみるうちに消えていく。水桶で傷を流した後、コルドはファルに小さく語り掛けた。
「喋れますか?」
「……」
ファルは緊張した面持ちで息を吸い、吐いた。
「……ぁっ」
小さく喉が鳴る。
男性の柔らかい低音の声。これがコルドが初めて聞くファルの本当の声だった。
「……」
久しぶりのまともな喉の感覚にファルは違和感があるのかしばらく喉をさする。
そして、自分の喉の傷が癒え、声をようやくまともに出せたのだとわかったファルは視線をコルドの方に向け、群青の瞳から涙を流した。
「……なんで」
「……」
澄んだ声。
いったいどれだけの時間、ファルはこの声を奪われ続けていたのだろうか。
まともに意思疎通ができず、王の玩具になった人生をコルドは憐れながら、ファルの様子をうかがう。
ファルはゆっくりとコルドに対し言った。
「なんで……、なんで城に来てしまったのだ」
「…………」
ファルの瞳から涙が流れた。
なぜ城にきた。
簡潔なその言葉にコルドは何も言えずに黙り込む。
黙るコルドにファルはタガが外れたように喚き出した。
「お前を逃がすために俺の大切な人が犠牲になった。それほどお前のことを思っていた人間がいたのに、何故戻ってきたんだ!? グズは、お前になんと言っていたのだ!?」
「……母上」
「俺はお前の母じゃない!!」
「ー-っ!」
傍に置かれた香油がコルドにぶつけられる。
中の香油がコルドの服につき、それが血のようにしたたる。
ファルは泣きながらコルドに言った。
「 母親であるものか、俺は男だ。男が子を産むわけ……!!」
そのまま泣き叫ぶファルに、コルドは静かに言った。
「……貴方の腹の中に、子が宿っているのですか?」
「…………」
「俺の子、ですか?」
ファルは答えなかった。
ただ、ファルは泣きながら腹を労わるように抱きめている。
その様子から、それが是を示していた。
「その子は、どうなるのですか?」
「……お前の弟達は、王族に連なった。この子も、あの子と同じ道に行くだろう。そして――」
ファルは黙り込んだ。
ファルの答えは明白だ。
今、この国には王の子は一人しかいない。
6人いた王の子は内戦で王に反旗を翻し、すでに王子、王女の地位をはく奪されていたのだ。
その地位をはく奪された王子たちは、もうこの世にはいない。
きっと、コルドとファルの子も同じようになるとファルは言っているのだろう。
ファルの目は涙を流しながらもコルドをまっすぐ見据えた。そこにはファルの覚悟が見えた。
「頼みが、ある。この子を、この子だけでもせめて、私の故郷で育てて欲しいんだ」
「……それは」
「わかっている。だが、私のせめてもの願いだ。頼む、せめてこの子だけ、この子だけでも別の人生を歩んでほしいんだ」
ファルの懇願にコルドはどう答えたらよいのかわからなかった。
涙を流すファルを見てもコルドはファルを母と思えなかった。
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