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浜田は消えていた感情が動き出すのを感じて、ただうろたえていた。
(井上は……疲れてるだけだ。だから気が弱くなってるんだ)
職場の縁の下の力持ちでもある陽子に、違うものを見てしまった。井上陽子という一人の女性。
けれどそれ以上のものがあるわけもない。自分がなにも気づかなければいいだけだ。知らない振りなら得意なはずだ。
「えっと、道順を言うんでその通りに行ってください」
(私の家への道順、知ってるの?)
疑問が湧く。
真っすぐ、右へ、そこ、道なりに。知らないところを通るタクシー。
「浜ちゃん、あの」
「任せろって。あ、これ部長のモノマネ」
イタズラっぽく笑う浜ちゃんに釣られる。なんとなくいつもと違う夜。ちょっとどきどきする夜。
「あそこ、右側にある『田野家』って店の前で下ります」
目を凝らす。そんなに大きくは見えない居酒屋だ。周りは繁華街というほどじゃないがそれなりに賑やかな様子だ。
腕を支えられタクシーを下りる。自動ドアが開いて、柔らかな明かりが迎えてくれた。
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