六杯目 「葛の葉」を偲んで杯を置く。

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六杯目 「葛の葉」を偲んで杯を置く。

2bc35422-3415-498b-8904-bfd9ad1374ce  須佐は話を止めると、熱燗の御代わりを要求してきた。これで最後にしてくれと言いながら、注文を通してやる。 「『うらみ葛の葉』か――」  私は、氷だけになったハイボールのグラスを、くるりと回しながら呟いた。  「うらみ」は「恨み」ではなく、「裏見」のこと。葛の葉は裏が白いので、風で翻るとその白が目を引く。  そこから始まって、葛は「裏見草(うらみぐさ)」という別名を持つ。  しかし――。 「『恨み』も、あったんじゃないかな? 信太妻には……」  奥に籠って機を織る。決して表に出てはいけない人間。いや、「人ではない」と言われる存在。  力を発揮すれば、「童子」と呼ばれ、物の怪扱いされる存在。 「物の怪を超えるために、道真は天神になったのかもな」  土師氏の象徴である菅原道真。天神と祀られるまでにその威力を示した異才は、鬼であるよりは雷神となることを選んだのか? 「――とおりゃんせ、とおりゃんせ」  コップの縁を頬に当て乍ら、須佐が童歌を口ずさんだ。「天神様の細道じゃ」という歌詞が出て来るからか。 「行きはよいよい、帰りはこわい、か――。なあ、先生。この歌、色んな解釈があるけどさ、俺は道真に仕える使徒達が歌い始めた様な気がするんだ」 「どういう意味だい?」 「天神様の細道ってのは、天神に仕え、世に尽くすという生き方のことさ。厳しい道だね。行きはよいよい、帰りはこわい。この道に入るのはいいが、戻る道は無い、険しい道だぞということじゃないかな」  歌は最後、「こわいながらもとおりゃんせ」で終わる。  覚悟ある者のみ、この道を進めと言うのであろうか。 「安倍晴明はさ、清明って改名したんだよ。覚悟を決めたからじゃないのかな。『晴れ晴れ』として生きる道よりも、『清く』生きる道。そっちを選ぼうってね」 「たとえ、同族の童子を征伐することになってもか――」  その生き方が辛くなった時、清明は信太の森を訪ねたのではないだろうか。  清々と風に踊る、葛の葉を眺める為に。  恋しくばたずね来てみよ  いづみなる  信太の森の  うらみ葛の葉  それは己のアイデンティティを思い出せという、先祖からのメッセージなのかもしれない。  お前の帰る場所は、ここにあるという――。 (完) f3c1c5be-fb85-4e76-9711-276f67bf4bf1
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