ニセモノ彼氏

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 四月になり、門脇君は会社からいなくなった。  再びメッセージのやり取りが始まり、門脇君はとりとめのないものを送ってくれる。ここから少し離れた地域の景色、それでも送られてくる写真はありふれたものだ。空に浮かぶ入道雲、ビルに張り付いた奇抜な看板、実家にある変な壺。 「廣田、おはよう」  春らしいトレンチコートを羽織った前原が、私に手を振る。おはよう、と返して私はスマホを握りしめる。  門脇君との恋人関係は解消された。それを切り出したのは門脇君で、そして彼は電話で言った。  ――また廣田にメッセージを送ってもいい?  毒にも薬にもならないような関係は、門脇君を疲れさせないだろうか。恋というものがどれだけ人を苦しめるのか、ドラマや映画から得た情報だけでも想像に容易い。  このぬるま湯のような関係を心地よく思ってしまう私は、ずるいのかもしれない。  私の住んでいる地域でも桜が開花したので、休日を使って私は近所の川沿いを歩いた。快晴のその日、並木通りの下には多くの人で溢れていた。家族連れ、友達同士、そして恋人同士。  ふと、私は隣に門脇君がいない事実に疑問を覚えた。どうして綺麗なものを綺麗だと一緒に分かち合えないのだろうか。暖かい風と共に流れてきた賑やかな声によって、なおさら孤独に襲われた。  もう門脇君はここにはいない。スマホ越しの人になってしまった。  こちらに走ってきた幼い男の子が私にぶつかりそうになり、慌てて避けると母親らしい女性に謝られた。私はうろたえながらも「大丈夫です」と返事をする。大丈夫です。私は大丈夫。だって、今までもずっとこうやって過ごしてきた。  カメラモードにしたスマホを桜にかざしてピントを合わせる。青空の下に映えた桜色。  この写真を門脇君に送ろうと思った。恋ではないかもしれない。それでも、私は門脇君に会いたかった。仕方ないよね、と笑ったいつかの前原を思い出す。自分の感情は止められない。  私は門脇君を好きだった。  今日から私は、その感情を受け止めながら過ごしていく。風に舞った桜の花びらが、青空の下へと消えていった。
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