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1 平坦な ①
突然だが持論をひとつ。
『人生』と『道』はどちらもゴールへ向かって長いながい道のりを歩いて行くという点で言えば、同じなのではないかと思う。
だとすれば、どうせなら凸凹もない平坦な道を歩きたいと思うし、人生も同じように平坦でありたいと思うのもおかしくはないのだと思う。
『flat』『真っ平』、心も『平坦』にしてただゆっくりと歩いて行けたらよい。
そうは言ってもそう簡単にはいかないのが人生で、大なり小なり違いはあれど問題は必ず起こるものだ。それはどんなに気を付けていても変わらない事で、私はそんなどうにもならない事に文句を言ってみたり、子どものように床に転がって手足をばたつかせたりはしない。それがどんなに理不尽だと思えたとしても。
そこで私は考えた。変わらないのならこちら側が変わればよいのだと、発想の転換だ。
途中どんなに凸凹な道でも山があっても谷があってもそれをそうと捉えなければ凸凹道は平坦な道になるのではないだろうか。勿論実際は思ったくらいで地形が変化したりはしない事を知っている、気持ちの上での話だ。
人生も同じだとすれば少しくらい何かがあったとしても気にしなければ辛い人生も平凡な人生になるのではないか、私の心が乱される事がないのならばそれは平凡な人生だと言えるのだ。
もしも問題が起こったとしても、それがずっと続くなんて事は殆どない。始まりがあれば終わりがある。じっと耐えていたら本当に何もなくなるのだ。
だから長い人生の中で見ればほんの少しの何かなんてなかった事にできるのだと思う。
心の奥底の何かを確かめるように自分の胸の辺りをそっと手で押さえた。
心が平坦であれば道は平坦、人生も平坦。そういう事でよいのだ。
*****
私の名前は大湊 小波。冗談のような名前の私も今年で二十五歳、アラサーの仲間入りをする。性格は感情のふり幅も小さく平坦。
まぁこれは平坦な道を歩む為にそうしているのだが、今では元からそうであったかのように滅多に感情が波立つ事はない。
容姿についてもどこにでもいるような平凡な顔だし、体型も少しやせ型の身長は平均的と、とりたてて特筆するべきものはなく『普通』だ。
あえて特徴を挙げるとするならば黒いメガネをかけているという事くらいか。
メガネをかけている人間なんて、この世の中に掃いて捨てるほどいるというのにそれがあえて挙げた特徴だというのだから我ながら苦笑する。
だが、それが私が長年求めたものであり、理想の形なのだから私はこれでよい。
目立つ必要なんてないし、沢山の普通に埋もれて生きるのがよい。誰かを羨ましいと思う事も、自分が他の誰かになりたいと思った事もない。私は私、平々凡々。平坦な道をひとり歩いて行く、これまでもこれからも。
そうしてそのうちお見合いでもして結婚して、それがふたりになろうとも私の道はひとつ、これまで通り平凡な一生を送りたいと思う。
「ご丁寧にそんな事まで自己紹介してくれるんだ?」
突然聞こえてきた男の楽し気な声にはっとする。
どうやら心の中で考えていた事が声に出てしまっていたようだ。
私はとある居酒屋で同じテーブルの、目の前に座る男の顔を見つめた。
男は私の視線に気づくと、人好きのする顔でにへっと笑って見せた。
一見気心の知れた友人のようでもあるが、料理の入った小鉢を「これ美味しいから食ってみ?」と勧めてくる目の前に座る男の事を私はなにひとつ知らなかった。名前や年齢、どうして今一緒のテーブルについているのかすらも。
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