キモチ味

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 それを見て、何が起こったのかを俺は一瞬で悟った。彼女が出て行った、ということだ。それを少しして起きてきた娘の(あきら)もすぐに悟った。食卓にぽつんと置かれた離婚届と結婚指輪。離婚届には既に彼女のサインがしてあった。彼女の迷いが見られない字で、はっきりと。  そんな中にいるのに、今日も俺は休日の日課の朝のコーヒーを淹れる。  「こんな時もコーヒー?」と昌が言った。  俺はコーヒーの生豆を焙煎しながら、聞こえないフリをする。昌はじっとこちらを眺めて、それから小さく溜息を吐いた。「まただよ」というニュアンスがある溜息だ。 「龍平(りゅうへい)さんって、都合が悪くなると聞こえないフリするよね」  呆れたように言う昌に俺はちらっと視線を送って、それからまたコーヒー豆に視線を戻した。焙煎を終えると、ブレンドをする。いつもと同じ、昌が好きなブレンドだ。彼女も好きだった。そこは血が繋がっているなと思う。喋り方も、好みも、何もかもがそっくりだ。俺とは大違い。  昌が自分の娘になったのは今から五年ほど前だ。昌の両親はまだ昌が小学校低学年の時に離婚した。昌は彼女に引き取られ、そしてその後に俺と再婚。再婚した時、昌は中学生になる年齢で、本来なら反抗期と思春期で家族と距離ができる年齢だったが、その出来事があるせいか、彼女は他と違って家族と仲が良かった。そして俺のことも本当の父親のように親しくしてくれた。  ただ一つ、俺を「お父さん」と呼んでくれることは無かった。  ブレンドし終えたコーヒー豆をミルに入れると、挽き始める。手動タイプのミルをくるくると回しながら、視界を狭めた。 「龍平さん、お母さん出てったのにいつもと同じ」  俺は一瞬手を止め、すぐにまたくるくると動かす。昌は椅子から立ち上がると、キッチンに入って俺の隣に立った。それからじっとミルを回す手を眺めている。何も言わず、ただ沈黙だけが流れる。
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