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ゾエ先生とイアン卿の関係は?
イアンはユーリックと同じ十七才。ゾエはたぶん二十代後半か、もしかしたら三十を超えてるかもしれない。小柄でちんまりしてるせいか、パッと見は年上っぽくない。
「で、話とは何でしょうか?」
普通なら貴族に勧められて椅子に座るところを、ゾエは当たり前のようにイアンの正面に腰をおろした。
「ローズ様の件、と言えば伝わりますよね? 先生はきっとご存じでしょうから」
「何の話ですか?」
「先生が持っていない情報をぼくがひとつ教えて差し上げます。その代わり、先生がご存じなら教えて欲しいことがあるのですが」
「直接わたしに聞く前に、閲覧申請された論文を読めばよいのでは?」
「どうせ穴だらけにして渡すのでしょう?」
「否定はしません。いずれにしろ、イブナリア研究に関することは皇室の許可を得ないことにはお話できませんし、質問されたところで今ここでお答えするのは無理です」
クスッとイアンが笑みを漏らした。小説ではあんなにキュンとしたのに、なぜイケメンの笑顔がこんなに小憎らしいのだろう。
「先生。ぼくはイブナリアに関する質問とは一言も言ってませんよ。なぜそう思われたのか想像はつきますが」
小憎らしさが憎らしさに進化したのはあたしだけではないようだった。
「言葉遊びがしたいならまたにしてくれる? 一日中馬車に揺られて疲れてるの」
「銀色のオーラに関することです。それならベルトラン家のわたしにも知る権利がありますよね。銀色のオーラを継ぐ家門ですから」
「だとしても、答えるかどうかは質問を聞いてからよ」
「顕性に関することではありませんから警戒しなくていいですよ、先生」
顕性という言葉でゾエの表情が強張った。その反応にイアンはご満悦といった様子。ゾエはすっかりため口になっているというのに、気にするどころか歓迎しているようでもある。
「ゾエ先生、オーラの遺伝に関することは当然ベルトラン家にも伝わっています。まあ、色々と確認したいことがありましたけど、先生の反応を見たらその必要もなくなりました」
ゾエは完全に能面を外すことに決めたらしく、ソファの背にもたれかかるとイアンと同じように足を組んだ。
「イアン卿、言っておくけどオーラの顕性に関する結論はまだ出ていない。残った記録が少なすぎるから。それで、銀色のオーラについて何を知りたいの?」
「銀色のオーラと魔力はひとつの体に同時に存在できるか、ということです」
予想外の質問だったのか、ゾエは怪訝な顔で眉をひそめた。
「あなたも知っている通り、すべての人は生まれながらにオーラとマナを備えてると言われている。それが本当なら〝同時に存在できる〟んでしょうけど、オーラを計測する技術がないからなんとも言えない」
「それなら、銀色のオーラをもつ皇族の中で魔力を操った人はいますか?」
「記録にはない。銀色のオーラを持つ人に魔力がないとは断言できないけど、少なくとも魔力測定器で検知できるほどの魔力を持った人はこれまでいなかった。まあ、生きていくのに必要なマナは体内に流れているはずだけど、空気を吸っても〝空気を持っている〟と言わないのと同じで、その人のマナとは言えないわ」
イアンはうなずきながら聞いていたけれど、驚くこともなく、すでに考えていたことの答え合わせをしているようだった。
ゾエの話や口調、門兵の態度を考えると、この研究所は幼い頃からイアンの遊び場だったのかもしれない。ゾエの性格からしたら貴族の子ども相手におべんちゃらを使うことはなさそうだし、幼いイアン相手にこんなふうに議論をしていたんじゃないだろうか。
「治癒師が」と、イアンは揺さぶりをかけるようにそこで言葉を止めた。
「ベルトラン卿は大人になって嫌な男になりましたね。昔は生意気だったけれど打算的ではなかった」
「〝大人の男〟と認識してもらえて嬉しいです。打算的になってしまうのは許して下さい。恋に駆け引きは必要ですから」
ゾエは舌打ちして「で?」と先を促す。
「もし治癒師が銀色のオーラを発現したとしたら、それは銀色のオーラと魔力のふたつを持つ初めての人ということになるのでしょうか?」
治癒師がナリッサを指すことは明らかだ。
「……そうね」ゾエは一言だけ口にする。
「先生は発現すると思われますか? 銀色のオーラが」
「何とも言えない」
「では、ぼくが思いついた仮説があるのですが聞いていただけますか?」
「仮説?」
眉を寄せながらも、ゾエは興味をそそられたようだった。
「ちょっとした思いつきなんですけど、聞きたいですか?」
イアンは組んだ足の上で頬杖をつき、愛嬌を振りまくように小首をかしげる。小説ではキュンとした仕草にこれほど神経逆撫でされるとは。
ゾエは「言わないならさっさと出ていけ」と言うように片手で扉を指し示した。
「すいません。久しぶりに先生に会えて調子に乗り過ぎました」
「軽口はもう十分」
「金色のオーラは魔力とオーラが融合したものではないか」
イアンはそれだけ言ってゾエの反応をうかがった。彼女は意地になっているのか無表情を貫いている。
「実はぼく、最近生まれて初めて魔術の詠唱を見る機会があったんです。詠唱のとき宙に現れる光の文字って金色じゃないですか。それで、もしかしたらって」
「あなたが教えてくれるって言った、わたしが持っていない情報というのはそれ? そんなの単なる憶測じゃない」
「そっちこそ一般論でしか答えて下さらないじゃないですか。ぼくの仮説、検証する価値があると思いませんか? だって、検証できるかもしれないんですから」
イアンがナリッサに近づいたのは、もしかしたらそれが一番の理由なのかもしれない。
「ちなみに、ぼくが言った先生が持っていない情報というのはこの仮説のことじゃありません。実は、皇帝陛下のオーラが弱まっています」
これは小説にも書かれていたことだ。でも、ここであえて口にするような話でもない。貴族たちの間でもこのことは噂されていたはずで、おそらく皇太子派を生み出す一つの要因になったのではないだろうか。
「イアン卿がなぜそれを価値ある情報と思っているのか理解できない。筋力と同様に、年齢とともにオーラが衰えるのは昔から知られてる」
やっぱりそうだよね。
「そう思われるならそれで結構です。ゾエ先生とならもう少し会話を楽しめると思ったんですが、やはりガルシア公爵への恩義が強いようですね。ひとつ付け加えておくと、陛下のオーラが目立って減少しはじめたのはナリッサ様が宮に入られて以降。つまりローズ様が亡くなられた後、陛下はオーラを維持することができなくなった。これが何を意味するのか、先生ならきっとぼくと同じ結論に至るはずです」
「宰相は……」
口にしたものの、ゾエはなんと尋ねるべきか迷っているようだった。どこまで知っているのか、と問おうものなら、自分がイアンと同じことを考えていると認めるようなものだ。
「父上も陛下のオーラのことは気になっていたようですが、ぼくが口にするまでローズ様やイブナリアとの関連は考えてはいないようでした」
「なっ……、やっぱりあんたが……」
ゾエはこぶしを震わせ、怒りをぶつけるようにテーブルの上の四角い石をバチンと叩いた。防音結界が解かれ、廊下から足音が聞こえる。
そのとき、あたしは少し離れた場所に気配を感じてジゼルを見た。
「敷地内ではないようだな」
ジゼルは言いながら、ニマニマと口元を緩ませるあたしを呆れ顔で見ている。
「あたし、行ってきていい?」
「主の好きにしろ」
「すぐ戻ってくるから」
「好きにしろ」
結界の解かれた壁をすり抜けようとしたら、背後から「やっぱり」とゾエの声がした。
「やっぱり、イアン卿には研究者より官吏があってるわ」
「そんなことないと思いますよ。近いうちに石榴宮にうかがいますので、その時またゆっくり話しましょう、ゾエ先生」
イアンはソファから立ち上がり、まるであたしのためみたいに扉を開ける。ゾエはハエを追い払うようにシッシッと手を振った。
イアンがこのあとどこに行くのか気になるけど、それより何より今の最優先事項は近くで感じるノードの気配。
あたしはノードのいる方角を目指し、天井を突き抜けて外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。駅馬車の終着点だった繁華街の方は夜になって一層明るく見えるけど、ノードの気配があるのは真反対。敷地の裏あたりの暗い林の入り口で、ノードは空を見上げてあたしが降りてくるのを待っていた。
「ノード、どうしてここに?」
そばに降り立つとノードは被っていたフードをおろし、わずかな風で彼の髪が揺れた。
「サラさんとジゼル殿の気配に少し違和感をおぼえたので、サラさんがまた暴走したんじゃないかと思って様子を見に来ました。でも、防音結界だったようですね。距離があると結界の種類まで把握するのは難しいです。昨夜のは防音結界と分かったのですが」
「ノードにはあたしの位置がわかったんですか? あたしはぼんやりしか感じられなかったのに」
「位置は分かりませんでした。とりあえずニール研究所の近くにいると思ってここに来たのですが、まさか施設の中にいるとは。魔力検知で引っかかりませんでしたか?」
だからノードは敷地の外にいるのか。
「ゾエさんに連れて入ってもらいました」
「ジゼル殿が?」
ふむ、と彼はいつものように顎に手をあてて考え込む。あたしは抱きつきたい衝動を抑えている。
馬車に揺られてずいぶん遠くまで来た気分になっていたからか、それともノードの位置がわからなくなっていたからか、あたしのセンチメンタル度合いはMAXまで上昇、メーター振り切っている。
「ノード」
あたしはローブを掴んでツンと引いてみる。これが限界。
「どうしました?」
「えっと……」
ただ触れたかっただけとは言えない。
「イアン・ベルトランが来てました。防音で話してたのはイアンとゾエです」
「何を話してました?」
「……あー、えー、……近いうちに石榴宮に来るとか。二人は昔から知り合いだったみたいで」
色々ツッコミどころ満載なはずなのに、ノードは「そうですか」と、あたしではなく資料館の方に目をやった。
「なるほど、これはベルトラン卿の気配なんですね」
これだけ離れてしまうとあたしにはイアンの気配を感じられない。さすが魔塔主様の感知能力はレベルが違う。
「敷地を出たようですが、ジゼル殿の気配はまだ中にあります。せっかくなので行ってみましょう」
言うが早いか、ノードは塀に沿って歩き出した。せっかくだし、夜の散歩気分であたしはノードの隣を歩く。
「ノードの魔力は検知に引っかからないんですか?」
「正面から訪ねてゾエさんに会いたいと言えば入れてくれるかもしれません。皇帝陛下の側近であるガルシア公爵の建てた研究所なので、遠慮して利用したことはなかったんですが、特に魔術師が利用することを禁じてはいないようですし」
「ガルシア公爵に迷惑がかかりませんか?」
あたしの言葉が意外だったのか、ノードは驚きの表情を取り繕うことなくまじまじとあたしを見る。
「そういえば、昨夜の防音結界はガルシア公爵とゾエさんでしょう? 何を話してましたか?」
「……えっと、ナリッサのこと」
「それから?」
「……ローズさんのこと」
「あとは?」
「えっと……、ベルトランの」
「サラ」
突然呼び捨てにされ、あたしはドキッとする。からかうような笑顔や牽制するような完璧な微笑ではなく、まっすぐ向けられた彼の瞳はあたしの心を見透かそうとしていた。
「何を隠してるんですか?」
こんなときに頬に触れてくるなんてズルい。
「……ノードにとって、ナリッサは何ですか?」
「わたしが仕えるべきグブリア皇家の皇女様です」
「それなら、ノードにとってのグブリア帝国は?」
あたしの頬から手が離れ、彼は小さくため息を吐いた。せっかく会えたんだから、もっと楽しい話をしたかったのに。
「サラさんは、わたしがグブリア帝国に恨みを抱いていると思ってるんですね。たしかに、かの戦争でわたしは多くのものを失いました。当時仕えていたイブナリア王族の方々も、恋人のミラニアも、他にも多くの友人たちを失い、国家すら地図から消えてしまいました。けれど、今のグブリア皇家の人々が戦争をし、イブナリア王族を滅ぼしたわけではありません」
ジゼルの気配が動いていたけれど、気づいているはずのノードはおかまいなく喋り続けている。
「世界樹が失われ、イブナリア王族の血が途絶えたことはこの世界にとっては重大な損失でした。かといって復讐を企て世界の秩序を乱すのは亡国イブナリアの魔術師としてのプライドが許しません。わたしが望んでいるのはかつてイブナリア王族が望んだのと同じ、暴力と戦争のない世界です」
嘘を言っているとは思えなかった。でも、それなら――
「ならどうしてナリッサに魔獣と血の契約を結ばせようとするんですか?」
あたしの質問に「おや?」とノードが首をかしげた。
「ジゼル殿から悪魔との血の契約の本質を聞いたようですね。それこそが答えです。召喚術が悪しきものとされているのは術者の本質が悪に寄っているから。ナリッサ様が魔獣と契約したところで、彼女が悪しき方へ向かわなければその魔獣は世界に害を及ぼしません。そうでしょう? ジゼル殿」
道の先の暗がりに白猫の駆けてくる姿が見え、その猫はあたしたちの前で足を止めた。
「何の話だ? 走ってたからよく聞きとれなかったぞ」
ジゼルはそう言って後ろを振り返り、あたしたちがその視線を追うとぼんやり人影が見えてくる。
「……ジゼル、……様」
ジゼルを追って走ってきたゾエは、息も絶え絶えに地面にへたり込んだ。
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