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五年前の暗殺未遂事件について
「ゾエさん、ジゼルがお世話になりました」
ノードはあたしとの会話をおくびにも出さず、魔塔主然とした佇まいでゾエに微笑みかけた。
研究都市ニール研究所資料館の裏手。人の活動する気配が敷地内から感じられるけれど、塀を一枚隔てただけで物騒な暗闇に覆われている。
「正面からゾエさんを訪ねようと思っていたのですが、出てきて下さって良かったです。何の前触れもなく魔塔主がニール研究所に現れたとなったら、ガルシア公爵殿もなにかと煩わしいことになるでしょうし」
それ、あたしが言ったことだよね?
ゾエは息を整え、膝に手をあてて立ち上がった。三つ編みを後ろでくるっと巻いた家庭教師スタイルが、走ったせいで乱れている。
「魔塔主様は、どこまでご存じなんですか?」
「どこまで、とは? 先ほどベルトラン卿のオーラを感じましたが、ゾエさんがベルトランと繋がっているということくらいでしょうか」
「そういうのじゃないぞ、魔塔主」とジゼルが教えたけれど、どうやらわかって言っているらしくピクリとも動じない。動揺しているのはゾエの方だ。
「繋がっているだなんて心外です。向こうが勝手にまとわりついてくるだけで、こっちは辟易してるんですから」
「ノード、イアンはたぶんゾエのことが好きなんですよ」
あたしの言葉でノードの目尻がピクと動いた。
「それより、ベルトランは気づいているようです」とゾエ。
「気づいているとは?」
「魔塔主様、探り合っていても埒があきませんからハッキリ言います。ナリッサ様の金色のオーラの件です。ベルトラン卿はそれを裏付けるためローズ様の事故を調べているようです」
ノードはかなり驚いたらしく、ふむ、と漏らすこともなく宙を見据えて思案を巡らせているようだった。
「ゾエさん。ナリッサ様が金色のオーラを発現すると思われる理由をおうかがいしても?」
「緑眼で治癒といえばイブナリア王族です」ゾエは即答する。
「ゾエさんの理屈だと、緑眼の魔術師や治癒師はすべてイブナリア王族ということになってしまいますよ。帝都付近では緑眼が珍しいからそう思われるのかもしれませんが、北部の、特に旧イブナリア王国領であるクラウス侯爵領では緑眼の人口はおそらく五割を超えます。ナリッサ様のご先祖がクラウス領出身である可能性は高いですが、王族の血を引くと考えるのは飛躍し過ぎではないでしょうか」
ノードが自分と同じ考えだと思っていたゾエは衝撃を受けたようだった。でも、あたしもちょっと意外だった。ノードも少しくらいナリッサとイブナリア王族の関連を考えていると思っていたから。
なら、ノードがナリッサに近づいた理由はなんだろう。
手の甲にキスされたナリッサは平然としていたから、二人の関係が一朝一夕に築かれたものでないのは確かだ。それに、ナリッサはノードを呼び捨てにする。
あたしが考え込んでいると、「まさか」とノードのつぶやきが聞こえてきた。
さりげなくあたしに向けられていたのはノードの笑顔。お前が隠してたのはこれか、と目で尋問してくる。
今さら誤魔化す意味もなさそうだし、だったらゾエを援護し(つつ、言い訳し)ようと口を開きかけたとき、「でも」とゾエの声。
「他にも何か理由がありそうですね、ゾエさん」
「はい。ガルシア公爵様はナリッサ様が金色のオーラを発現することを確信していらっしゃいました。きっと、ローズ様のオーラを見られたんだと思います。公爵様は五年前の事故のときにローズ様に命を救われたとおっしゃっていましたから」
「事故とは、ローズ様が亡くなられた事故のことですね?」
「ガルシア家の人間はあれが事故だなんて誰も思ってません。公爵様を狙った暗殺だと考えています」
「暗殺なんて、簡単に口にしてはあなたの身が危険ですよ。もっと慎重に言葉を選ばないと」
ノードが右手の人差し指を立ててスウッと弧を描くように動かすと。ドーム状の光が一瞬だけあたしたちを覆って消えた。
「結界……ですか?」
ゾエの瞳がさきほどまでとは打って変わってキラキラ輝いている。
「防音結界です」
「魔塔主様は詠唱しなくても魔術が使えるのですか?」
「種類によりますね。今のは簡単なものですから、知識さえあれば治癒師でも解除できますよ。それより話を戻しましょう。ガルシア公爵殿はナリッサ様の金色のオーラを確信している。そんな重要な秘密を魔塔主のわたしに話しても大丈夫なんですか?」
「魔塔主様だから話したのです。魔塔主様はイブナリア王族の味方だと思うから」
イブナリア王族の味方。そういう意味でノードとガルシア公爵は同じだ。
ローズの一族を守ると言っていたガルシア公爵。現皇帝が魔術師を遠ざけていなければ、公爵はローズやナリッサのオーラについて魔塔主に相談したんじゃないだろうか。金色のオーラについて直接知る生存者、亡国イブナリアの魔術師に。
「ゾエさんは誰が公爵殿を狙ったとお考えですか? ベルトラン?」
「それは、わかりません。でも、もし本当にあの事故がベルトランの企てによるものなら、イアンがこのタイミングで事故の話を持ち出してくるとは思えません。あの頃は平民優遇施策の反発が皇家だけでなくガルシア公爵家にも向いていた時期で、ローズ様が亡くなられた事故以外にも何度か公爵様は襲われていますし」
「ローズ様の金色のオーラを狙った、という可能性は?」
「イアンの話によると、宰相閣下はローズ様とイブナリアの関係には気づいていなかったようです。金色のオーラを狙って殺すとなると一番疑わしいのは……」
「皇家ですね。でもそれは違いそうです。ゾエさんがイアン卿の話を信じる根拠を教えてもらえますか?」
「あの男は嘘つきですが、自分の考えをこれ見よがしにわたしに披露し悦に浸る変人です。ローズ様の死後、陛下がオーラを維持できなくなったのは金色のオーラによる治癒が受けられなくなったからと考えているようでした。おそらくローズ様とイブナリアを関連付けて考えるようになったのは陛下のオーラが減少していることを知った後。ですから、もしベルトランが事故を起こした犯人だとしても、それはローズ様ではなく公爵様を狙ったということに」
なるほど、とノードはこれまでの話を咀嚼するように数回うなずいた。
ジゼルは飽きたのか林にちょこちょこ入っては小動物を狩って戻って来ると、ドヤ顔で戦利品をあたしに見せつける。気を遣ってか食事するときは背を向けていた。
あたしは頭を整理するのに必死だ。
知りたいのはナリッサが金色のオーラを持つ根拠ではなく、小説で描かれていないガルシア公爵暗殺未遂事件のこと。そこに手がかりがありそうな気がしている。ガルシア公爵がナリッサの父親であると証明するための手がかり。
「あの事故はたしかに不可解な点がありました」
ノードは記憶を手繰っているようだった。
「ガルシア公爵の証言のみで事故と断定され、現場調査もおそらくまともには行われていません。その直後にナリッサ様が皇宮に入ったことで、皇族関係者の事故として今も詳細が伏せられています。当然陛下の思惑によるものと思ってはいましたが、……もしかしたら金色のオーラを見た者を全員処分したのかもしれませんね。ガルシア公爵を除いて」
……え?
「暗殺者だけじゃなく、味方もってこと?」
思わず問いかけると、「味方も、ということです」とノードは答える。ゾエがブルッと体を震わせた。
「ガルシア公爵はそんな人に見えなかったんだけど」
あたしがつぶやいたせいか、悲しげなゾエのせいか、ノードはどこか申し訳なさそうだった。
「ガルシア公爵殿は優しい方だと聞いていますが、陛下の命令であれば拒むことはできないでしょう。引っかかるのは、陛下がナリッサ様を皇女と公言したことです。陛下とローズ様の子なら金色のオーラが顕れるとご存じのはずですが」
草陰にいたジゼルが、ピクッと耳を動かしてあたしを振り返った。口元に血ッ!
「その件についてですが」
ゾエの表情に珍しく迷いが見える。
「銀色のオーラと金色のオーラの遺伝について以前論文を書いたことがあります。ただ参考になる事例が少なく、以前から言われているように金色のオーラが顕れるとするのは仮説の域をでないのではないかと。そういう話を公爵様としたこともありましたから、陛下はナリッサ様に銀色のオーラが発現することを期待して皇宮に迎えられたものと思っていました。ですが……」
「が?」と、ノードが先を促す。
「昨夜その話を公爵様としたのですが、先ほど言ったようにナリッサ様が金色のオーラを発現することには疑いを持たれていないようでした」
言わないのか? とジゼルのつぶらな瞳が問いかけてくる。
わかってる、わかってるけど、今ここであたしが言うの?
ノードもゾエも、そろそろガルシア公爵とローズの関係に気づいてもいいと思うんだけど。
カイン皇帝とナリッサに血の繋がりがないことを知ってるのはあたしが読者だからで、それを証明するものは今のところ何もない。ガルシア公爵だって「ローズが残したのは傷痕だけ」と言ってたくらいだから、自分がナリッサの父親と分かるものは処分しちゃったかもしれない。
あまりに重大な事実で、部外者がサラッと口にするには荷が重過ぎる。それに、その事実を最初に知る権利があるのはきっとナリッサ。
(もちろんあたしは読者だから例外。ジゼルも小説が存在した向こうの世界から来たから例外とする)
やっぱり、公爵が父親だっていう証拠を探してみよう!
そう決めたらようやく気持ちが軽くなった。あたしの決意を察したらしく、ジゼルは「主の好きなように」とでも言うように尻尾をフイと振り、ふたたび獲物にかぶりつく。
塀と林の間の空に赤銅色の月が見え始めていた。昼間は暑そうだったけれど、薄着のゾエは寒そうに肩を縮めている。
「状況はだいたい把握しました」とノードが会話を締めに入った。
「確証が得られない限り、この話はナリッサ様には伏せておきましょう。負担になるだけですから。ベルトランの動きはわたしも気をつけて見ておきます」
「魔塔主様、皇太子殿下には報告されるのですか? 殿下はナリッサ様の緑眼や赤い髪を不思議に思われてはいないのでしょうか?」
「今のところ報告するつもりはありません。瞳や髪の色については、歴代皇帝の記録をご存じの殿下の方が、知識のない一般人よりも違和感なく受け入れられると思います。先帝も赤い眼をお持ちでしたし、過去には赤い髪の皇帝もいました。緑眼はクラウス出身のエルゼ皇太子妃がそうですし、ユーリック殿下なら数少ない帝都の緑眼持ちを目にしたことがあるかもしれません。花街は流れ者が多いですし、珍しい容姿を持つ女性は人気ですから」
最後の一言でゾエは「そうですか」うんざりした顔になる。
「では魔塔に帰りましょうか、ジゼル」
もしノードとジゼルがあたしをここに残してゲートをくぐったら、あたしの幽体はどうなるんだろう?
強制的にピアスのある所に引っ張られるのかな?
「ゾエさんもお気をつけて。石榴宮に戻られたらまたお会いしましょう」
ノードが手をかざしてできた青と黒の光の渦を、ゾエはよだれを垂らしそうな顔で見ている。きっとゾエもゲートくぐりたいんだろうな、と思いながら彼女の顔を眺めていたら、腰に結わえていたカーディガンをグイッと雑に引っ張られた。
あたしの平衡感覚は失われ、本だらけの見慣れた景色が現れる。
「馬車の旅は疲れたな、主」
ジゼルがソファの上で気持ち良さそうに伸びをしていた。あたしもそれにつられ、両手をあげて背筋をそらす。
ノードは呆れたようにため息をつき、以前ユーリックが突然訪ねて来た時に羽織った、白いローブをあたしの肩にかけた。
「サラさん、どうして下着なんですか?」
まさかの尋問……!
「前も言いましたけど下着じゃないです。平民っぽくないですか?」
「まともに服の買えない貧しい平民になら見えます」
失礼な。
「魔塔主でも下着姿に照れたりするのか?」
ジゼルの不意の言葉にノードがギョッとソファを振り返った。
そういうこと?
そういうことなの?
もしかして、お色気作戦と寝苦しい夜の冷房作戦のダブルでアプローチしたら、添い寝は叶うかもしれない。今でも勝手にベッドに寝っ転がれば添い寝できるんだけど、そこは求められて添い寝するのと、強引に添い寝と言い張るのの違いがあるわけで。
「ノード、今夜は暑くないですか?」
血迷ったあたしの一言にノードは怪訝な顔をしたあと、ゴホンと咳払いですべてなかったことにした。
「サラさん、他にも隠してることがあったら言っておいた方が身のためですよ」
「下着の色は白です」
プッとジゼルが噴き出した。だって、トラックに轢かれて死んだあの日は白の上下を新調したばかりだった。ノードはゾエみたいな能面であたしの告白をスルーする。
「そういえば、ナリッサ様に専属騎士がつくことになりました」
「騎士って、もしかして紫蘭騎士団員ですか?」
最悪を想定したあたしの問いに、ノードは「はい」とうなずく。
「わたしが把握している獣人のうちの一人です」
「ランドではないんですよね」
「違います。彼は騎士団員ではありますが皇太子補佐官をしていますし、ユーリックの傍から離れて別の人間につくことはないでしょう。なんと言ってもユーリックの犬ですから」
あたしが伝えたシドの言葉を、ノードはおかしそうに口にする。
「じゃあ、鳥さん?」
「いえ、彼も違います」
彼、ということは男性らしい。
「あの鳥はスクルース・シュレーゼマンと言って子爵家の養子で、紫蘭騎士団の副官をしています。子爵家との縁組交渉の際にわたしも関わったので人間の姿は知っていましたが、鳥の姿を目にしたのは月光の庭園での事件のときです」
「獣人で貴族なんですね」
小説を読んでいるときは特に意識していなかったけど、獣人で貴族ってちょっとすごいことなんじゃないだろうか。
「わたしが把握しているのは貴族の獣人騎士だけです。ランドはアルヘンソ辺境伯の養子ですが、ここはユーリックのご母堂であるリリアンヌ様の出身家門。この時の交渉もわたしが間に入りました。保証人のようなものです。ナリッサ様の護衛につくのも貴族出身の獣人騎士で、わたしが把握しているのはこの三人。他にも何人か平民出身の獣人騎士を入れたようですが、殿下はわたしに紹介して下さらないので詳細はわかりません」
まあ、ノードに手の内を全部知られるのはユーリック的には嫌だろうな。
「ナリッサにつくのは何の獣人なんですか?」
「サルです」
「サル?」
ちょっと待って。
ランドは犬。
スクルースは鳥。
そして、サル……?
もしかして、ユーリックは桃から生まれたとでも?!
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