獣人の女性騎士マリアンナ

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獣人の女性騎士マリアンナ

も~もたろさん、もっもたっろさんっ、おっこしにつっけたーきびだんごー♪ 石榴宮のナリッサの寝室の窓は開け放たれている。あたしはバルコニーの白い手すりに腰をかけ、気分良くカラオケに興じていた。 ニール地区までの日帰り旅行のあと、数日のあいだ雨降りが続いて久しぶりの快晴。雨で洗われたオレンジ色の石榴の花も、緑の葉も、陽の光を浴びて生き生きしている。この宮が皇宮の丘の南にあったらもっとたくさんの花をつけていたんじゃないだろうか。 「童謡か?」 ジゼルがバルコニーの真下からあたしを見上げていた。 広間の窓は開けられ、「1・2・3、1・2・3」とエンドーの声が聞こえてくる。ゾエはまだガルシア領から戻っていない。 「ジゼル、桃太郎って知ってる? 桃から生まれた桃太郎が、犬とサルとキジを連れて鬼ヶ島に鬼退治にいく話」 「昔話か」 ジゼルはどうやらご存じのようだ。 「きびだんごで手懐けられた三匹の家来って、ランドとスクルースとマリアンナみたいじゃない?」 といってもランドは犬というより狼みたいな外見だし、スクルースはキジじゃなくて(幸せの?)青い小鳥。 ナリッサの専属騎士になったマリアンナの獣姿はまだ見たことがないけれど、ノードから聞いたところによるとジゼルよりひとまわり大きいリスザルらしかった。 獣人たちの体毛と瞳の色は獣のときと人間のときではあまり変わらないというから、リスザルのマリアンナは黄色っぽい髪色に黒い瞳。 トッツィ男爵令嬢のマリアンナが紫蘭騎士団に入団したのは二年ほど前ということだった。彼女は今、下の広間でナリッサのダンス練習の相手をしている。なのに、ナリッサの魔力は分かってもマリアンナの魔力はほとんど感じられない。 獣人の魔力には個体差があると以前ノードが言っていたけれど、今のところ獣人騎士で警戒が必要なのはランドだけのようだった。 最初はあれだけ姿を見られないよう警戒しろと言っていたノードが、今ではランドとユーリックくらいしか警戒していない。それはひとえに雨降りのおかげ。 雨続きでなんとなく出かける気分にもならず暇を持て余していたあたしは、魔力付与された白いローブと白い長手袋、白いロングブーツの三点セットをノードから支給された。 「新しい魔術実験で白い装束が塔内をうろつくと通達しておきました。地下から地上四階までを散策して来てください」 言われた通りにしたけれど、その後ノードが調査したらあたしの首から上が見えた人はいないようだった。散策範囲は中級魔術師以下の仕事場兼居住区域で、グブリア帝国に十数人しかいないという上級魔術師にはまだ会わせてもらっていない。けれど、あたしが見えるのはかなり特殊だとノードは判断したようで、その結論にあたしはちょっと傷ついた。 だって寂しいじゃん。 「ランドはまあ、特別ですからね」 と、ノードは言う。彼の話によると、ユーリックのオーラの発現にランドが関わっているらしく、当時間近でオーラを浴びたランドには何らかの影響があったのではないかということだった。 そんなこんなで、獣人騎士マリアンナが送り込まれた石榴宮であたしはのんびりカラオケをしていられる。試しにそうっとマリアンナの前に姿を現してみたら、「今日は風が冷たいですね」と言われただけだった。ホッとする一方「あたしはここにいるのに」と思ってしまう。 ジゼルとあたしが石榴宮に来たのは、このあとナリッサが平民街に行くことになっているからだ。 平民街行きを企てた当初はノードがゲートでこっそりナリッサを連れて行く予定だったのが、マリアンナが来たことで「こっそり」できなくなった。どのみちユーリックに知られるならとノードの入れ知恵でナリッサはマリアンナに協力を求め、ユーリックからは色々細かい条件が出されたけれど、なんとか平民街に行けることになったようだ。 あ~げましょう、あっげましょう、おっこしっにつっけた~きっびだんご~♪ 一向に下に降りる気配のないあたしに、ジゼルはタタタッと壁伝いに駆けあがってきて隣に座った。 「それにしても、皇太子が平民街に行くことを許可するとは意外だな」 「ノードは小説でもユーリックの嫉妬を煽る役だったから」 あたしの言葉にジゼルは首をかしげている。 「ナリッサのお願いを断ったら、彼女がこっそりノードを頼ると思ったんじゃない? お兄ちゃんは自分を頼ってほしかったんだよ」 ノードはこうなることを予測していた。ユーリックがダメと言えばナリッサが諦めるかも、という期待があったのかもしれないけれど。 「面倒な兄貴だな」 ジゼルはフンと鼻を鳴らす。それでもナリッサのためにジゼルを貸してもらえないかと言ってきたのはユーリックだ。そんなことしなくても勝手について行くつもりだったけれど、こうして堂々とお供できるのは正直なところ気楽でいい。 お昼を過ぎた頃、平民街を行き来していそうなみすぼらしい馬車が一台、石榴宮への山道を上って来た。見た目はオンボロだけど、荷台に魔力が付与されている。あたしは石榴宮の二階の屋根に座ってその気配を感じていた。 「ねえ、ジゼル。あれって結界?」 「いや、魔力で強化されているだけのようだ。ナリッサの護衛騎士は皇太子に信頼されているようだな」 「ジゼルもついていくからじゃないの?」 「皇太子はぼくをペットレベルの魔力と思っているはずだぞ」 「バレてると思うよ。だって、ユーリックがその青いリボンと耳のピアスを怪しまないわけないし、なんと言っても魔塔主のペットだから。分かってて利用しようとしてるに決まってる」 「そうなのか?」 ジゼルはちょっと不本意そうだ。 「そういう意味では、皇太子は主のことも怪しんでるんだろうな。魔塔主が囲ってる女なんだから」 囲ってる女……♡ ついニヤけそうになるけれど、正体を怪しまれてるのは否定できない。でも、 「あたしを怪しんでるっていうより、ノードを怪しんでるんだと思う。ジゼルも召喚獣ってバレないよう気をつけてね。小説では召喚術を使ったことがバレて、ナリッサが処刑されちゃうんだから」 石榴の庭園を眺めていると、たまにユーリックが死刑宣告に訪れたシーンを思い出す。そのとき庭園には朱色の花ではなく石榴の実がなっていて、彼はそれをひとつ枝からもいでナリッサに渡すのだ。 作者の頭にはきっとギリシャ神話のハデスとペルセポネの物語があったんじゃないかと思う。 冥界の王ハデスは一目惚れしたコレーを強引に冥界に連れ帰り、王妃ペルセポネにしようとする。けれどコレーを地上へ戻さなくてはならなくなり、ハデスは石榴の実を食べるよう彼女にお願いする。十二粒のうち四粒食べてしまったコレーは、十二ヶ月のうち四ヶ月を冥界で過ごすことになる。 『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の世界にギリシャ神話は存在しないし、ユーリックはハデスもペルセポネも知らない。でも死の宣告と石榴の実が同じシーンで描かれているのだから、このギリシャ神話を想起した読者はあたし以外にもいるはずだ。 「死人が生者の心配をしているのも不思議だな」 ジゼルが言った。 「あたしは処刑されたわけじゃないよ」 そうしているうちに馬車は門をくぐって玄関前に止まった。「ジゼル」とナリッサの声が聞こえてくる。 「行くか。主」 ジゼルはあたしの返事を待たず、窓枠や屋根を足場にぴょんぴょんと跳んで馬車の傍に着地した。そこには平民の格好をした茶髪のナリッサが待っている。腰で縛ったチュニックにスカート、それにエプロン。マリアンナも地味な色合いの服を着ていたけれど、パッと見た感じはサリーのような、あまり見かけない服装だった。 「トッツィ卿、行きましょうか」 「はい」 馬車の荷台は外観とは違って乗合馬車のようにベンチがあり、ナリッサとマリアンナは向かい合って座った。ジゼルはナリッサではなくマリアンナの隣にいて、興味深そうに服をつついている。 馬車が揺れるたびにマリアンナの腰のあたりでカチャカチャと金属の合わさる音がして、わずかに魔力が感じられる。腰まわりに布がたっぷり寄せられた服は、武器を隠すために選んだのかもしれない。 「やはり皇帝は魔術嫌いなのだろうな」 ジゼルが言う。マリアンナがいる以上ナリッサが返事をするわけにいかないし、ジゼルがひとり言のフリをして話しかけているのはあたしだ。 「でも、魔力を感じるけど」 「この女の武器は馬車と同じ単なる魔力付与による強化だ。魔術が付与されてるわけじゃないから強度が増すだけで、対象を燃やしたり凍らせたり、痺れさせたりすることはできない」 「魔術付与した剣だとそういうのができるんだね」 そういう武器を持ってるのは魔剣士だけど、魔剣士はクライマックスの魔獣討伐エピソードまで登場しない。 この小説の世界で騎士の持つ剣はただの剣だった。銀色のオーラを発現したユーリックでさえ超人的身体能力を持っているに過ぎない。……過ぎない、で片付けてしまうには超人度合いが半端ないけど、そういうことなのだ。 この小説は冒険ファンタジーじゃなくてラブコメだから、バトル絡みの設定はシンプルに徹したのかもしれない。 「ねえ、トッツィ卿」 ナリッサの声は緊張していた。 「はい」 「ワガママ言ってごめんなさい。でも、どうしても平民街に行きたかったの」 「わたしは皇女様の行くところにお供するだけです。例えそれが魔獣生息域だとしても」 魔獣生息域とはずいぶんおおげさだと思ったけど、この忠誠はナリッサではなくユーリックに対するものだ。ナリッサもそれを分かっているようだった。 「マリー。わたしのことをリーナと呼ぶって決めたの、忘れてないわよね」 「はい。馬車から降りたらそうさせていただきます」 「マリーもゾエもすごいわね。女性なのに剣を手に戦うことができるんだから。わたしも剣を習ってみようかしら。せっかく騎士様がそばにいるんだし」 ナリッサは本気でそう考えていそうだった。十四才になっても銀色のオーラが発現しない焦りなのかもしれない。その焦りで血の契約をするくらいなら、剣を習った方がよっぽどいい。 と、思ったけど、「それは無理かと存じます」とマリアンナが申し訳なさそうに口にした。 「グブリア皇家の血を引く方で、剣術を含め武術の習得を許可されているのは皇位継承順位第五位までの男子に限られています。皇女様は継承順位第二位ですが、男子ではありませんので」 そうなの、と肩を落とすナリッサに「継承順位三位から五位は誰なんだ?」とジゼルが聞いた。 「マリー、わたしと皇太子殿下の他に皇位継承権があるのは誰なの?」 「皇位継承権があるのは銀色のオーラを受け継ぐ皇族だけですので、今は誰もおられません」 「じゃあ、わたしが皇宮に迎えられなかったら皇位継承権があるのは皇太子殿下お一人だったってこと? こんなこと聞くのは嫌なんだけど、もし継承権を持つ者が誰もいなくなったらどうしてたのかしら? お兄様は何度も刺客に襲われたと聞いたわ」  「現皇帝陛下を含め、歴代皇帝は即位した時点で皇位継承を争ったご兄弟に名誉爵位を与え、皇族の身分を剥奪してきました。そうすることで彼らから武力を削ぎ、ご自分の子の継承権を確保するためです。銀色のオーラを持つ貴族は護身用の剣以外の武器を持つことは許されません」 「ベルトラン家もそうなの?」 「ベルトラン家門がベルトランの名と爵位を与えられたのはかの戦争のすぐ後だと聞いております。一代限りの名誉爵位でなく代々受け継がれる公爵という爵位を与えられたのは、初代ベルトラン公爵の案により領地拡大で混乱していた辺境地を治めることができたからだとか。名門貴族ではありますが、銀色のオーラを引き継いでいる限り領地を与えられず武力を持てないのは同じです」 「じゃあ、ベルトラン公爵家に領地はないのね」 ふうん、とナリッサは興味深そうにうなずいているけれど、「皇位継承についてですが」と、マリアンナが脱線した話を戻した。 「一夫多妻の皇家において皇位継承権を持つ皇族が二人しかいないという事態は今が初めてで、元皇家の方々が皇族復帰を求めているという話も聞きます。皇太子殿下の暗殺を企てるのはそういった元皇家の人間であることが多いですから、陛下は皇族復帰要請を退けておられるのです」 マリアンナは説明を終えたあと、訝しげに首をかしげた。 「皇女様はあまり政情にお詳しくないようですが、家庭教師は以前からいらしたのですよね?」 「えっ? ……あ、うん。政治や行政について勉強しはじめたのは最近なの。皇太子殿下が知っておいた方がいいから教えてもらいなさいって。それまでは名門貴族の名前くらいしか知らなかった」 「皇帝が教えないように指示したのかもな」 ジゼルが言い、ナリッサの目がわずかに見開いた。詳しく知りたいというようにじっとジゼルを見つめる。 「色々知り過ぎて裏で画策されたら困るんだろう。それにまあ、グブリア帝国では皇后、皇妃含め皇家の女性に与えられる権限はほとんどないと聞いている。これまでの皇女らは皇位継承権を放棄し貴族との結婚を選んだというし、女が国政に口を出すなということだ」 「うわー、最悪」と、つい口から出てしまったのは現代日本人だから仕方ない。 「皇太子の考えは違うようだがな」とジゼルがひとこと付け加えた。 たしかにジゼルの言う通りだ。ナリッサに政治の勉強をするよう言ったのもそうだし、紫蘭騎士団員であるマリアンナは女性である上に獣人。 ユーリック殿下は能力主義者ですから――という、いつか聞いたノードの言葉が頭に蘇った。 カチャと音がして、ふと見るとマリアンナが腰のあたりに手をやっていた。不自然な凹凸からそこに武器があると分かるけれど、周囲を警戒している様子はないから無意識に触れたようだ。 「皇女様、たしかに知らない方が幸せかもしれません。でも、知らないと敵が誰なのか見分けることもできません。ぜひご自身のために学んでください」 その声はどこか切実で、あたしはマリアンナの過去に興味をそそられる。 ランドとスクルースについては養子だとノードが言っていたけれど、マリアンナのことは男爵令嬢と言った。それはつまり本当に男爵家の血を引いた獣人ということだ。 男爵家がみな獣人なのか、それとも男爵と獣人のあいだにできた娘なのかはわからないけれど、獣人が虐げられているこの帝国で苦労したのは間違いなかった。 ――マリアンナはいま幸せ? と、聞いてみたかった。 馬車がガタンと大きく揺れ、傾斜にさしかかった。魔力付与されているから頭を外に出すわけにもいかず、マリアンナが格子窓の布をめくったのを横からのぞき見する。河が見え、どうやら平民街と貴族の居住地をわけるアーチ状の橋を馬車は進んでいるようだった。 「橋まで来ましたね。もうすぐ市場です」 ゾエの言葉にナリッサは目を閉じて深く息を吸った。胸の前で両手を合わせるとボソボソと何かつぶやき、それを見ていたジゼルが「ほう」と感心した声をあげる。 ナリッサの両手がうっすらと白く光ったと思ったら、その光は波紋を描くように全身に広がって消えた。 「……皇女様、今のは?」 マリアンナの大きな目がさらに大きく見開かれている。 「今の? これから患者さんの治癒をするから、その前に自分のマナの流れを整えておいたの。浄化のおまじないって、お母さんは言ってたけど」 「皇女様の魔力量は一般の治癒師と比べて多いと思っていましたが、ご自分のマナとはいえ流れを整えられるというのはすごいですね。おそらく治癒師でそういったことをできる方は少ないかと」 「そうなんだ。お母さんがいつも診療前にやってたから、それが普通なんだと思ってた」 どう? と言うようにナリッサはドヤ顔でジゼルを見たけれど、ジゼルの及第点は得られなかったようだった。白猫はフルフルと首を振っている。 ナリッサは幽霊がジゼルを略奪したと知ったら怒るだろうか。なんだか申し訳なくて、あたしは改めてナリッサの恋を応援することを胸に誓った。
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