幽霊だって家出する

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幽霊だって家出する

ナリッサと一緒に平民街に行ったあと、あたしは家出した。 家出、というか魔塔出?  脱走?  逃走? 家出の理由はノードに治癒の手伝いを止められたからだ。 本当はノードに内緒でジゼルと宿屋にこそっと顔を出して、ササッと治癒するつもりだったのに。魔塔に戻ったとたん「くれぐれも勝手に治癒に行こうとしないで下さいね」と釘を刺された。ジゼルはあたしの行動がノードに完全に読まれていたことに爆笑し、「魔塔主は怖いからな」で済ませてしまう。 「市場付近は麻薬被害の調査で治安隊が出入りしていますし、スクルースが定期的に巡回しているようです。彼はジゼル殿がわたしの飼い猫と思っていますから、猫が来て患者の痛みが消えたらただの魔獣でないことが知られてしまいます」 「きっともう知られてると思います」 あたしは反論する。 「ペット魔獣という建前を守っているから、ユーリックも見て見ぬふりをしているんです。こっちも獣人騎士の存在を黙っているのでお互いさまですから。ですが、獣人たちに知られるだけでなく平民の間で猫が治癒したなどと噂になったら面倒です」 「それなら、患者さんが夜寝てる間にこっそり治すのはどうですか? スクルースは鳥だから夜目が聞かなそうだし、重症患者は家に寝たきりだって、フィリス先生が」 「サ・ラ・さん」 ノードはいつもみたいに笑顔であたしを黙らせようとした。ジゼルもニヤニヤしながらあたしたちのやりとりを傍観していて、怒り心頭に発したあたしは捨て台詞を吐いてそのまま家出したのだ。 「ノードのバーカ」 咄嗟の言葉がこれなんて……。 二人ともあたしの居場所がわかってるくせに迎えに来る気配もないし、ふて腐れているうちに月がふたつ昇って、魔塔の円錐屋根みたいに見晴らしがいいわけでもない石榴宮の屋根から見えるのは影絵みたいな森のアウトライン。 こうして空を眺めて迎えを待っているのも悔しくて、あたしはマナ石ランプの明かりが漏れるナリッサの寝室をのぞいた。 「おつかれでしょう、姫様。ゆっくりお休みになってください」 「うん」 部屋のランプをひとつずつ消していくポピーを、ナリッサは天蓋付きベッドで上半身を起こしたままぼんやりながめている。ベッド脇のランプとポピーの手提げランプの灯りだけが最後に残り、「おやすみなさいませ」と侍女が姿を消すと、ナリッサはもぞもぞと布団にもぐり込んで頭まですっぽり隠れてしまった。 しばらくして「お母さん」と聞えてきた。 またしばらくして、「お父さん」と聞こえた。 ナリッサが考えているのは、きっと夕方にフィリスが話していたこと。自分の知っているガルシア公爵と、フィリスから聞いた公爵の姿を比べて真実を探そうとしているのかもしれない。 ナリッサはどっちが父親であることを望んでいるのだろう。 カイン皇帝陛下? それともガルシア公爵閣下? 回帰前、ナリッサはずっとカインを父親だと信じていた。その人生の終わりに突然聞かされた真実が、皇帝の子ではなくガルシア公爵の娘だということ。 回帰した直後はガルシア公爵を恨んでいたけれど、公爵の言動に心遣いがあったと気づき、物語の最後では娘として公爵に感謝の気持ちを伝えている。 かすかにため息が聞こえた。バサッと布団をはがし、ナリッサが顔を出す。 「考えても仕方ない。オーラがなくても治癒師なら生きていける」 あっ、……そっか。 ナリッサは自分がイブナリアの血を引いてるとは知らないから、父親がガルシア公爵ならオーラを発現しないと考えるのは当たり前。オーラはない、皇帝の子どもでもないなら皇宮にいる理由はひとつもないわけで。 「近いうちにフィリス先生のところに行こう。ノードの力を借りられるうちに魔力測定して、治癒師の資格証とって。あとは何かできることあるかな、お母さん」 ナリッサの真上にいたあたしは、自分が「お母さん」と呼ばれたような気になった。 「どうして自分がほったらかしにされてるのか、どうして十四才になってもオーラが発現しないのか、それに、舞踏会も皇族として出られないのはどうしてなのか、ぜんぶ納得できたからスッキリした」 言葉とは裏腹に、ナリッサの目からは涙があふれてジワジワと布団を濡らしていく。彼女はネグリジェの袖でグイと涙を拭った。 「お兄様はもしかしたらわたしが妹じゃないって気づいたのかもしれない。それで、憐れに思って追い出す前に優しくしてくれてるのかも。舞踏会が最後の思い出になるのかな」 ちょっとちょっと、全然違うから! 「皇宮を追い出されたら辺境地に行ってみようかな。わたしが十四才になったら帝都を出て二人で流浪の治癒師に戻るはずだったんだし、わたし一人でもできるよね、お母さん」 ダメ。 そんなの、お母さんは許しませんよ。 「ナリッサは悪女でしょ。泣きながらそんなこと言わないでよ」 あたしが指先で頬に触れると、「お母さん?」とナリッサが見つめてくる。見えてるはずはないし、見えていたらあたしをローズと間違えるわけがない。 「お母さんでしょ? 死んだ人の魂が傍に来ると寒くなるって言うもの」 ごめんね、お母さんじゃなくて。 「お母さん。わたしのお父さんは誰?」 ガルシア公爵……。 「わたし、オーラがなくてもちゃんと使命を果たすからね。与えられた力で、お母さんみたいな治癒師になるから」 堪らずなでなですると、ナリッサは満足したのかそれとも寒かったのか、布団にもぐり込んで目を閉じた。そのあとも何度か彼女の目からは涙が流れて、寝息が聞こえてきたのはずいぶん経ってから。 ナリッサを妹のように感じた。けれど、本当の妹のエリとは全然違う。 エリにはもう何もしてあげられない。その代わりナリッサにはできることをしてあげようと考えていたら、あたしの心に生息する推しが、 「余計なことはしないでくださいね。く・れ・ぐ・れ・も」 と極上の笑みを向けてきた。 「ぜったい、迎えに来てくれるまで帰らないんだから」 空が白みはじめて石榴宮のそこかしこで活動がはじまっても、ノードどころかジゼルさえ魔塔から動く気配がなかった。向こうも意地になっているのか、……いや、たぶん二人とも楽しんでるんだ。 屋根の上で太陽を仰いでいたら、空色の小鳥がやってきてバルコニーの手すりに止まった。そのすぐ後に門から馬車が入って来て、最初はユーリックかと思ったけれど業者が使うような古びた幌の荷馬車。御者台にゾエが座っていた。 彼女は後ろの荷台から自分の荷物を引っ張り出し、玄関のドアを開ける。 一方、石榴の庭園のちょうど広間の前あたりでは、エンドーと侍従たちが椅子とテーブルを運んでいた。テーブルクロスがかけられ、花が飾られ、どこかから甘いお菓子の香りが漂ってくる。 ナリッサはポピーに髪を結ってもらっていた。扉の前にいたマリアンナが何か気づいた様子で窓に歩み寄り、パサパサっと羽音をさせてスクルースが飛んでいく。 「どうしたの? マリアンナ卿」 「鳥が皇女殿下の身支度をのぞき見しようとしていたので」 クスッとナリッサが笑った。 「いつも来る青い鳥ね。バルコニーにパン屑でも撒いてあげようかしら」 「ダメですよ。バルコニーが鳥の糞で汚れてしまいます」 同じ獣人騎士仲間のはずなのに、マリアンナのスクルースに対する扱いが垣間見えて興味深い。スクルースはマリアンナの上官にあたるはず。こんな口をきくのは逆に仲がいいのかもしれない。 それにしても、スクルースは清々しいほど隠れる気がないから、こっちも警戒をおろそかにしそうになる。 「ねえ、マリー」 ナリッサは平民街に行ったときのようにマリアンナを呼んだ。マリアンナがリーナと呼び返すことはなく、黙って次の言葉を待っている。 「皇太子殿下はベルトラン公爵家についてどう思っているのかしら」 「それは、皇女殿下が直接お聞きになってはどうでしょうか」 「それじゃあ間に合わない。もうじきベルトラン卿がいらっしゃるのに」 「舞踏会の件は皇太子殿下に手紙で相談されたのではなかったのですか?」 「したわ。わたしにとって最善の相手だろうけど嫌なら断ってもいいって。ねえ、皇太子殿下にとっての最善はわたしが誰と舞踏会に行くことかしら? それとも行かないことかしら?」 ナリッサの言葉にマリアンナとポピーが顔を見合わせた。 「姫様、行かないなんておっしゃったら皇太子殿下が悲しまれます。それに、舞踏会の日は腕によりをかけて着飾らせていただくつもりで楽しみにしておりますのに」 「ポピー殿のおっしゃる通りです。ダンスの嫌いな皇太子殿下が楽しみにされているのは、きっとナリッサ様のドレス姿です」 「まったく、口が上手いわね。二人がそう言うなら余計なことを考えるのはやめるわ。せっかくだから思い出に残る素敵な舞踏会にしないと」 そうですよ、とポピーは言うけれど、たぶんナリッサは最後の(・・・)思い出のつもりだ。 もしナリッサがトランクに荷物を詰め始めたらどうしよう。こっそり皇宮を抜け出したら憑依して石榴宮まで連れ戻す? そんなのナリッサを苦しめるだけかもしれない。でも、ナリッサとユーリックが離れ離れになる未来は見たくない――なんていうのは読者のわがままなんだろうか。 「さ、支度ができました」 涼しげな菫色のシフォンドレスに髪をハーフアップにしたナリッサが、大きな姿見の前でくるっと回った。肩をゆったり覆うベールに施された銀糸の刺繍が、ユーリックの銀髪を思わせる。 「菫色の生地に銀糸なんて、ベルトラン卿に媚びてるように見えないかしら?」 「何をお召しになっても皇女様は皇女様です。たとえ平民の姿をされていてもそれは変わりません」とマリアンナ。 「そうね。わたしは皇女だろうが平民だろうがナリッサ。治癒師のナリッサよ」 ナリッサの不安は払拭されたようだったけれど、マリアンナは「治癒師」を強調した彼女に少し戸惑っているようだった。 マリアンナに限らず獣人騎士たちはナリッサの魔力を感知しているはず。ユーリックを含めそれについてどう考えているのか、小説の中に描写がなかったか思い出そうとしたけれど何も浮かんでこなかった。 オーラを発現したら魔力が消えると思ってるとか? 銀色のオーラと魔力を同時に持った皇族は記録にない、とゾエは言った。でも、そんなこと小説には書かれていなかった。 こうして文字に起こされなかった情報を集めてみると、皇帝カインのナリッサへの扱いも少しは理解できる。 ナリッサが治癒師の娘であることはある程度知れ渡っているし、彼女が治癒師の手伝いをしていたということも知られている。「銀色のオーラを持つ者には魔力がない」というのが銀色のオーラを受け継いだ者の常識なら、ナリッサがすでに治癒師の資格をとっていた場合、彼女を皇女にするのは無理だったはず。 だから、ナリッサはあくまでも治癒師である母親の「お手伝い」。誰かが彼女の魔力に気づかない限り、「偽物皇女」と疑いをかけられても銀色のオーラを継ぐ者でいられる。 皇帝が銀月宮から彼女を追い出した一番の理由はこれだったのかもしれない。他の皇族や元皇族と顔を合わせる機会をなくし、彼女の金色のオーラが発現する日まで魔力を隠し続けるつもりだった。 「ノードがナリッサに近づいたのは魔力のせいだったんだ」 皇帝はおそらくナリッサに近づかないよう魔塔主に命じたはず。でも、彼はナリッサと接触した。ずっと隠れて会っていたけれど最近は堂々と石榴宮に出入りしているし、きっと皇帝の耳にも届いている。 「ユーリックは……」 いつからナリッサの魔力に気づいてた? 「みんな、建前が多過ぎるよ」 あたしが知ってる『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の世界はこんなにゴチャゴチャしていなかった。本文に綴られていた本音はナリッサのものだけで、他の登場人物の姿がぜんぶ建前だったなんて。 コンコン、とノックの音のあと「ゾエです」と聞こえてくる。 「入って」 扉を開けたゾエは、目の前に立つ騎士姿の女性に目をパチクリさせた。 「初めてお目にかかります。ナリッサ皇女殿下の専属騎士を務めさせていただくことになりました、紫蘭騎士団所属のマリアンナ・トッツィです」 「おかえりなさい、ゾエ。エンドーからマリアンナ卿のこと聞かなかった?」 「ベルトラン卿をお迎えする準備で慌ただしくされていましたから」 「そうなのよね」と、ナリッサはちょっと面倒くさそうに肩をすくめた。 マリアンナに自己紹介したあと、ゾエは「あの」と目線で人払いをナリッサに要求したけれど、そのとき俄かに屋外が騒がしくなった。外に出てみると、いかにも公子様っぽい白い馬車が門の前に止まっている。 「お迎えしないと」 戻ってみたらナリッサが部屋を出ていこうとしている。彼女は歩きながらゾエに話しかけた。 「ゾエ、言おうとしたのは彼に関すること?」 ゾエがうなずき、ナリッサは階段の手前で足を止めた。マリアンナとポピーは少し離れて素知らぬふりで控えている。おそらく聴力を最大限発揮しようとしているはずだけど。 「彼はローズ様の事故を調べるためニール研究所まで来ていました。くれぐれもお気を付けください」 ナリッサがクスッと笑い声を漏らしたのが、ゾエには意外だったようだ。ベルトランがローズとガルシア公爵を調べていることを、ナリッサはすでに把握している。ゾエの忠告は確信を与えたに過ぎない。 「どう気を付けたらいいかわからないから、ゾエも一緒にいてくれる?」 「ですが、侍女でもない平民のわたしが同席するのは……」 と言いつつ、ゾエは明らかに同席を望んでいるようだった。たぶん能面でイアンに圧力をかけるつもりだ。 「じゃあ、家庭教師として紹介するから広間に控えていて」 「分かりました」 階段を降りると広間からザワザワと声が聞こえた。ラランカラは日持ちするとポピーが言っていたけれど、広間の中央に飾られた花は本当にまだ生き生きしている。一方、雨が続いたせいもあり、庭園の石榴は見頃と言えるほど咲き残ってはいない。 ナリッサは広間の前を通り過ぎ、マリアンナを連れて玄関へ向かった。ちょうど外から入ってきたエンドーが足を止め、「皇女殿下」とお辞儀する。 「ベルトラン卿がただいまお着きになりました」 「そう。よろしくお願いね、エンドー」 イアンは護衛の騎士に親しげに話しかけながら、石畳から外れた芝の上で池の方を指さしていた。ニールではどんな格好をしていたのか印象に残っていないけれど、今みたいなキラキラ感はなかったはず。 膝丈ズボンに白タイツ。萌黄色のジャケットの襟元からのぞく赤色のスカーフ。ナリッサのドレスが媚びているというのなら、イアンの方も媚びている。 歩み寄る皇女に先に気づいたのは騎士。一拍遅れて振り返ったイアンが、小説の描写そのままに人懐こい笑みを浮かべ駆け寄ってくる。 ――お兄様と同い年と聞いていたベルトラン卿は、まるでじゃれつく子犬のようにわたしのところに駆け寄って来た。銀色の髪と菫色の瞳を持った、宰相の子犬。 ナリッサは足を止め、その場で膝を曲げてお辞儀をした。そのあと長たらしいフルネームを名乗る。 「ナリッサ・%$#&”・‘*#%*@・グブリアです」 どうも異世界召喚オプションの翻訳機能は、名前の中間部には適用されないらしい。 「ようこそお越しくださいました。ベルトラン卿は石榴宮で初めての貴族のお客様です」 「光栄です。わたしはイアン・ベルトラン。イアンとお呼びください、皇女殿下」 公子にしては砕けた口調だったのを、ナリッサは不審に思ったようだった。ベルトランへの警戒心がなければ親しみやすいと感じたかもしれない。回帰後はたしかそうだった。 「庭園にお茶を準備しましたので、ご案内します」 ゾロゾロと芝の上を歩いていく一行の中でマリアンナが密かにため息を漏らし、あたしがそれに気づいたのはちょうど彼女のそばを飛んでいたから。ため息の原因がテーブルに止まった空色の小鳥であることは間違いなかった。 ねえ、マリー。 あの鳥さんは本当に紫蘭騎士団の副官なの?
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