幽霊は見た〜鳥は変身し、馬は駆け、皇太子は笑う〜

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幽霊は見た〜鳥は変身し、馬は駆け、皇太子は笑う〜

世の中にはいろんな幽霊がいる。テレビ画面から黒髪を垂らしてのそっと現れたり、学校のトイレをノックしたら返事をしたり。 あたしは今チェストに重なるように四つん這いになり、目から上を側面から出していた。見える人には結構怖いんじゃないかと思うけど、見られたら今後の幽霊活動自粛に追いやられるから慎重に周囲の気配をうかがっている。 ソファにユーリックが座っていた。見えるのは背もたれから上に出ている肩と頭。イアンの銀髪とはまったく色合いも艶も違い、後ろ頭だけで主役クラスの人物だと分かる。 ここは石榴宮の広間の隣にある来客用の応接室。ユーリックと向い合せにナリッサが座っているはずだけど、チェストと同化したあたしに彼女の顔は見えない。床にへばりついたら、ソファの下の隙間からグブリア皇家の兄妹と白猫の足が見えた。 「ベルトラン卿が来ているとき倒れたと聞いたが、もう平気なのか?」 「はい。今はもう大丈夫です。ただの貧血ですから」 今のところ、ナリッサは記憶の空白部分に気づいていなかった。朝起きてすぐ皇太子が来訪すると知らされ、慌ただしく準備しながら交わしたポピーとの会話は「ベルトラン卿といるときに倒れてそのまま眠ってしまった」という共通認識部分で上手く成立していた。 あたしがこうして性懲りもなく石榴宮に来ているのは、ナリッサの記憶の混乱が気になったからだ。 ノードからは嫌味の言葉も威圧の笑顔もなくあっさり送り出され、あたしはちょっと物足りなさを覚えている。こんなのゾエに罵倒してもらいたがってる変人イアンと同じじゃないかと思ったけど、そのせいでイアンが寂しがり屋なんだと気づいてしまった。だって、あたしはノードに構ってもらえなくて寂しい。 ニャア、とジゼルが猫の鳴きまねをした。ユーリックの前では相変わらずペット魔獣のフリを続けている。 今の時点でジゼルの正体を知ってるのはノードとナリッサとあたし、そしてイアン。ある意味、ナリッサにとってイアンは共犯のような存在かもしれない。 「舞踏会の件はまだ返事をしていないとトッツィ卿((マリアンナ))から聞いているが、ナリッサはベルトラン卿でない方がいいのか?」 「いえ、ベルトラン卿にはご迷惑をおかけしてしまいましたし、わたしが倒れてしまったせいでお話も中途半端になってしまいました。色々考えたのですが、ご厚意をお受けしたいと思っています」 ナリッサの言葉が予想外だったのか、「そうか」とユーリックが口にするまで少し間があった。 「もし嫌ならランドをと考えていたのだが、ナリッサがベルトラン卿でいいなら問題ない」 「ランド様、ですか?」 「わたしの補佐官の紫蘭騎士団員だ。亡くなった皇后の出身でもあるアルヘンソ辺境伯家門だからパートナーとして悪くない。ただ、デビュタントと並ぶには少々年齢がいっている。やはりベルトラン卿の方がふさわしいだろう」 ユーリックの声がわずかに笑いを含んでいた。オーラの発現にランドが関わったとノードが言っていたし、きっと一番信頼できる騎士を選んだのだろう。 ランドとユーリックはかなり年が離れているはず。麻薬事件のときダンの倉庫で見た彼の姿はほぼシルエットだったから、あたしは年上ワンコの凛々しい姿を早く見てみたくて仕方ない。 「機会があればナリッサにもランドを紹介する。わたしはエルゼ妃と並ぶことになりそうだ。会ったことはないと思うが、そなたと同じ緑色の瞳を持っている」 「緑眼……。もしかしてエルゼ様はクラウス侯爵領のご出身ですか?」 「ああ、そうだが」 ユーリックの言葉の語尾がわずかに上がった。 「昨日、ベルトラン卿に旧イブナリア王国領であるクラウス領には緑眼が多いと教えていただきました。それで、もしかしたらわたしの祖先もその土地の出身なのかと」 ふむ、とノードみたいな声を漏らし、ユーリックは足を組み替えた。ソファーと床の隙間を観察していたあたしが得られる情報はそれくらい。久しぶりに爽やかクールのイケメンを拝みたいけど、ガマンよ、サラ。 ピュイッと鳥の鳴き声が聞こえた。姿は見えないけれどスクルースがいるのかもしれないし、まったく関係ない鳥かもしれない。 ナリッサとユーリックの会話には時おり沈黙が流れる。ご機嫌うかがいをする立場にないからか、ユーリックはその沈黙を埋めようとはしないし、沈黙を気にしている様子もない。 「あの」とナリッサの声がした。 「皇太子殿下。他にもベルトラン卿からうかがったことがあります」 「どのような?」 「銀色のオーラを受け継ぐ者に魔力はない、と。殿下はもしわたしが……」 「皇帝陛下の子ではなかったら、ということか? それは陛下の言葉を否定することになるのだぞ?」 言葉は責めているようだけど、ユーリックの口調にはむしろ慰めるような優しさがあった。 「気にする必要はない。ナリッサほどではないが、オーラを発現する前にはわたしにも魔力があった」 えっ!? 「そうなのですか?!」 「ああ。集中すれば魔力やオーラの気配が感知できたからな。といっても微々たる魔力だ。おそらく魔力測定器に検知されるかされないかくらいだろう。万が一魔力が検知されたら面倒だから魔力測定は受けるなと陛下に言われた」 「でも、殿下から魔力の気配は感じられません」 「おそらく今のわたしに魔力はない。オーラに押し出されてマナの通り道が失われたのではないかと考えているが、わたしは研究者ではないからよく分からない。ナリッサはオーラを発現するのが嫌か?」 辛うじて見えるナリッサの靴が、もじもじとジュータンの毛を掘り起こすような動きをしていた。 「嫌というか、もしかしたら発現しないのではないかと……」 ハァ、とユーリックのため息とともに彼の肩が上下する。 「物は考えようだ。オーラが発現しない方がそなたの危険も減る。最近反オーラ派の動きが活発になってきているようだし、元皇族の動きも怪しい」 「それは、ベルトラン公爵家のことですか?」 「まあ、それも含めてのことだ。ベルトランは今は皇帝派だがガルシアへの対抗心が強い。そなたに近づいたのも思惑があってのこと。デビュタントとしてのそなたの晴れ舞台が利用されるのはあまり気分がいいものではないが、社交界に出れば大なり小なり今後もこういうことはあるだろう」 「今後も?」とナリッサがポツリとつぶやいた。 「今回だけと思ったか?」 「いえ、そうではなく……」 皇室を追い出されると思ってたのに、ということだろう。ユーリックは不思議そうに首をひねり、あたしのいる場所から横顔がチラッと見えた。頬のラインが美しいです。型にとって石膏像を製作したいくらいに。 「ガルシア公爵様は何派なのですか?」 ナリッサが誤魔化すように質問した。 「ガルシア公爵か。知っているだろうが、彼はわたしより皇帝陛下に近いところにいる。皇帝派の中心で、以前から何度も反オーラ派に狙われていた。ガルシア公爵にしてみれば領地も軍事力もない同じ皇帝派のベルトランより、反オーラ派貴族を相手にする方がよっぽど面倒だろうな」 そういえば、とユーリックは足を崩して身を乗り出した。ソファと床の間から彼の両足が見え、その足の間からヒョコッと白猫が顔を出す。明らかにあたしを監視する目つき。大人しくしてるか、と。 「ナリッサの家庭教師をしているゾエという女は、ニールの研究者らしいな」 「えっ、……あ」 「ガルシア公爵が平民街で見出したと聞いている。見向きもしないフリをしながら、陛下もそなたを気にかけていたのだろう」 「あ……あのっ、殿下。ゾエのことを陛下に話されましたか?」 「いや、陛下が密かにしていることだろうからな」 ナリッサの安堵のため息がここまで聞えてきた。 「おそらく陛下は何もご存じないのではないかと思います。ゾエはガルシア公爵様個人の意向でここに入ったようで……」 「そうなのか?」 返事は聞こえてこなかったけれど、ユーリックが「そうか」とつぶやいたからナリッサはうなずいたのだろう。また沈黙が流れ、ナリッサは今度はじっと黙っている。 コツと窓に小石がぶつかったような音がした。 「あっ、あの青い鳥、最近よく来るんです。あまり人を怖がらないみたい」 「そうか」 ユーリックが笑いを隠すように後ろを向いて、あたしは慌ててチェストの中に頭を引っ込めた。 「あの鳥は丘の南側でもたまに見かける。皇宮の丘のどこかに巣でもあるのだろう」 自分で言いながら、ユーリックは「クッ」と笑い声を漏らした。あたしは壁を抜けて隣の部屋に行くとそのまま屋根の上まで突き抜ける。そして発作がおさまるまで笑い、ひと心地ついたあと屋根の上から石榴の庭園をうかがった。 スクルースはまだ応接室の前あたりにいて、ピョンピョンとあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていたけれど、しばらくして門の方へ飛んで行った。 門の方? いつもなら石榴宮の裏手の方へ飛んでいくのに。 紫蘭宮に行くには裏からが最短コース。それなのに門の方へ向かったということは……絶対何かある! 屋根からジャンプした直後に、頭の中に「く・れ・ぐ・れ・も」とノードの牽制笑顔が浮かんだ。なんだか不安になって、あたしは木陰に身を隠しながらスクルースの後をつけていく。 鳥は道に沿って丘を下り、二度目のカーブを過ぎたとき蹄の音が聞えて動きを止めた。ホバリングしながら道の先を見ていたけど、馬の姿が現れるとそれを待っていたように下降していく。地面の手前で青い小鳥は姿を変え、その場に青い髪の男性が立っていた。 マリアンナと同じ制服を着た、人間バージョンのスクルース……! あたしは周囲をうかがいながら草陰に隠れ、魔力とオーラの気配に集中する。 あいかわらずスクルースの気配はよく分からない。見えているのは青々と葉を繁らせる木々、近づいて来る栗毛の馬。誰も乗せていないのに背には鞍があり、手綱もつけられている。無人で山道を駆けてきたということは、ノードが把握できていない獣人騎士の一人かもしれない。 スクルースが「早かったな」と馬の背を撫でた。ブルブルッと低い声で馬が答える。 お馬さんは凛々しい。そして、スクルースは人間になっても小鳥みたいだ。 「ちょっと聞いてよ。ナリッサ様が何を言ったのか分からないけど、さっき殿下がぼくを見て笑ってたんだ。それに、ランドもマリアンナもぼくをネタに殿下を笑わせてるらしいんだよ。ひどいと思わない? いちおう副官なのに」 鳥の囀りみたいによく喋るスクルース。副官のイメージにはほど遠く、イジられキャラのムードメーカーだ。 顔は小説の登場人物らしく整っているけれど、キラキラ感はなくTHE・脇役。こういうキャラってサクッと死んじゃったりするんだよね、と何気なしに考えたら急に血だらけの彼の姿が頭に浮かんでゾッと背筋に悪寒が走った。 ――血に濡れた青い髪に、お兄様は手を震わせながら触れた。一体彼はどうしてこんなところに倒れているのか、まるで空から降って来たみたいに。 これは何のエピソードだったっけ。森の中、怪我を負った瀕死の騎士と、マントをはおったナリッサとユーリック、それに栗毛の馬……! 「うわっ」 スクルースの声にハッと顔をあげた。 「ぼく、あの猫苦手なんだよ。もしかして後つけられてたのかな」 ブルルッと鳴いた馬がスクルースをバカにしたように見えた。ジゼルは羽を使うことなく猫らしく道を駆けて来て、数メートル手前で速度を落とすと遠巻きに馬と人間を観察する。 苦手と言ったくせに、スクルースは白猫に向かって手を伸ばした。 「猫さん、お元気ですか~」 ジゼルはその手を避けるように歩き、道の端に寄ると馬の顔をじっと見る。 「猫さんはぼくより馬が気になるの? まあ、いっか。とりあえず石榴宮に行かなきゃ」 スクルースは手綱を手に取ると、(あぶみ)も使わず鳥がはばたくような身軽さで馬に飛び乗った。そのまま踵で腹を蹴ると馬は滑らかに走り出し、あっという間に道の先のカーブを曲がって見えなくなる。 「主」 ジゼルは優雅な身のこなしであたしのいる草の陰までやってきた。 「じきに皇太子もここを通るようだから隠れていた方がいい。さっきの男は鳥か?」 「うん。人間になってもそのまんまって感じ。ジゼルは今のお馬さん、獣人だと思う?」 「おそらくそうだろうな。主が姿を見られる可能性は低いと思うが、馬は敏感だというから気配くらいは悟られるかもしれん」 「じゃあ、機会があったらあたしの姿が見えるかどうか確かめて見よっと」 ジゼルがケケケッと楽しそうに笑う。 「これだから主は」 笑い声がピタっと止まり、ユーリックの気配が近づくのを感じた。現れたのは二頭の馬とふたりの騎手。先を走るのはユーリックを乗せた白馬、その後を追うのがスクルースとさっきの栗毛。二頭は目の前を疾走して視界から消えた。 「これから魔塔に行くらしい。例の麻痺治癒の件で魔術師が出張ることになったからな。皇太子はナリッサが魔塔主をせっついたのだと思っていたぞ」 「ナリッサは何て?」 「否定していたが、それなら平民を気遣うナリッサのために魔塔主が気を回したのだろうと皇太子は言っていた。それで、ナリッサは治癒に行けなくなった」 「えっ!」 またユーリックがノードに嫉妬したの!? 「人手は足りているし、それに、再びナリッサが治癒に行けば騒ぎになる。皇太子も噂になるほどの腕とは思っていなかったのだろう」 せっかくナリッサが力を発揮できる場所を見つけたのに。他の人より治癒師として優れているから治癒できないなんて。 「ナリッサがかわいそう」 「治癒に行けないならせめてフィリスに会いに行きたいと頼み込んでいたぞ。おそらく母親のことを聞きたいのだろうな」 そうだろうか。あたしには、ナリッサが治癒師としての生き方を相談しに行こうとしているように思える。 「ユーリックは行っていいって?」 「ああ。マリアンナを後で使いにやると言っていたから、早ければ明日にでも行くことになりそうだ」 そっか、とあたしがうなずくと、「行くつもりなんだろう?」とジゼルがニヤッと嫌らしい笑い方をした。 「フィリスの家なら、昨日魔塔主と一緒に行ったから分かる」 「ほんと?」 ドヤ顔のジゼルをあたしは思いっきり撫でまわした。やっぱり持つべきものは魔塔主の飼い猫、のフリしたあたしの契約者。 大人しく撫でられていたジゼルが、ピクッと耳を立てて顔をあげた。 「主、感じたか?」 警戒した様子でキョロキョロとまわりを見回してるけど、 「あたしは何も」 「一瞬だが魔力の気配があった」 「獣人?」 「いや、獣人とは気配が違う。魔獣でもなさそうだ。魔獣なら一瞬だけ気配を現すなんてことはない。マントで魔力を隠していた魔術師が枝にマントを引っかけたとか、おそらくそんなとこだ」 「もしかして、シド?」 「それはわからんが、やはり皇太子の言っていたように色々動きがあるようだな」 不穏な流れを演出するように、見上げた空に灰色の雲が広がっていた。ポツポツと落ちてきた雨粒は、あたしの体を濡らすことなく地面に落ちていく。
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