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治療院の訪問者 イアンの実験とマナ滞留症状について
ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!
(ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!)
ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!
(ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!)
ヘイ!
(ヘイ!)
ヘイ!
(ヘイ!)
「また主がおかしな歌を」
「平民街に行くからテンションあげようと思って。ジゼルも一緒にどう?」
フン、と鼻で笑って、ジゼルは「リボンを取ってくる」と小窓から魔塔主のベッドに飛び降りた。少年ボイスのジゼルにはこの曲ぴったりな気がするんだけど。
すっかりジゼルの玄関と化した円錐屋根の小さな採光窓。部屋の主は下の階で部下と仕事している。
家出以来なんとなくノードに避けられている気もするけれど、夜にはベッドに戻って来るから完全に拒絶されてるわけではないようだった。
――怖くなったんです。サラさんが。サラさんがいるのが当たり前になることが。
ゲートの中でノードが言ったことを、あたしはずっと考えている。もうひとつズキンと胸に残った彼の言葉が、
――たまに、人間はみんな大人にならなければいいと思うんです。純粋な子どものままでいてくれたら世界のすべてを愛せるのに。
〝魔塔主〟って一体なんだろう。
イブナリア王国が滅ぼされる前、彼はイブナリア王族に仕える魔術師だった。
敗戦国の魔術師ノードがどうしてグブリア帝国で魔塔主をしているのか。皇家と契約を結んでいるようだけど、それまでのいきさつも、どんな契約なのかも小説には描かれていない。
ため息を漏らしたら、頬をムニッと押された。
「ぼんやりしてないで、行くぞ」
ジゼルの肉球が「ほれほれ」と頬をマッサージする。
「主も魔塔主もなんだか変だぞ。まだ喧嘩してるのか?」
「喧嘩じゃないよ」
「違うのか? 三百年も生きた魔塔主が、たかだか二十年ほどで死んだ幽霊と意地の張り合いとは情けないと思っていたが。喧嘩でないなら、何なんだ?」
ああ、そっか。
「たぶん、あたしが幽霊だからだよ。人間はいつか死んじゃうけど、あたしはずっといなくならないかもしれないし」
「そう言われてみると、魔塔主は死ぬまで主に憑りつかれたままの可能性もあるからな」
憑りつかれたって、言い方!
でも、ずっとノードといられるならもっとお近づきになりたいし、魔塔主のお役に立てるようになりたい。冷房としても、それ以外でも。
冷房の〝房〟って、もしかして女房の〝房〟?
妄想についニヤけたら、白猫が怪訝な顔をしたご様子。
気を取り直し、幽霊スキルを活かしてあたしにできることを考える。憑依は今のところ迷惑かけてるだけだし、……のぞき? 盗聴?
もとい、諜報活動!
「悩んでも仕方ないし、とりあえず行動あるのみだよね!」
ケケッとジゼルが笑った。立ち上がったあたしはユニク〇ワンピに着替えてカーディガンを腰に巻き、平民スタイルを完了させる。
「魔塔主が見たらまた文句を言いそうだな」
「今は見られてないからいいの」
屋根から飛び降りた白猫に続いてダイブする。研究棟の平屋根を駆け、裏門から外に出た。そのまま林を突っ切るつもりだったけれど、ゾエが魔塔の林を〝結界〟と言っていたのを思い出し、意識を集中してみると今まで気づかなかった不思議な感覚がある。
「ねえ、ジゼル」
振り返ったジゼルは、あたしが林の中に降り立つと首をかしげて後戻りして来た。
「どうした、主」
「林のマナは林の内側だけで循環してるのかな?」
「そのようだな。ぼくもここの結界構築をどうやったのか不思議だったんだ。植物はマナを蓄積しても魔力を帯びることはないのだが、地下深くからも魔力を感じるということは、どうやら木の一本一本、根っこの先まで魔術が込められている。この林を魔塔主が作ったのだとすると、相当なことだぞ」
「何のために林を作ったんだろうね」
「外敵を防ぐにも役立つだろうし、魔塔は研究施設だから魔獣の魔力維持の目的もあるかもしれん。グブリア皇家がこの林の存在を許しているということはそれなりの理由があるのだろう。ぼくにとっては快適な狩り場だ」
林を抜けるとそこに結界があったことさえ感じられなくなるから不思議だ。道行く途中、魔力の気配は職人町のところどころにあったけれど、それは職人たちの仕事道具に付与された魔力のようだった。
雨上がりの道はぬかるんで、行き交う人の服は跳ね上げた泥で汚れている。ジゼルは駆けるふりをしながら、実のところ地面に足をつけていないようだ。白猫は全身白いまま、あたしたちは先日来た宿屋の前にたどり着く。
ドアには『臨時治療院 ※要予約』と紙が貼られていた。まだ患者は集まっておらず、治癒師たちが薬を運び込んで準備している真っ最中。
「フィリスはいないね」
「当面のあいだ魔術師との調整役になるようだからな。それに、これからナリッサと会うのだからここにいないのは当たり前だ」
あたしの盗み聞き……じゃなくて諜報活動によると、ナリッサは先日と同じ茶髪らしいけれど、今日は平民と思われないようにお忍び貴族スタイル。マリアンナもビラビラと布を纏っているよりマントで腰の物を隠した方がよほど護衛しやすいと、お忍び騎士スタイルで出かけると言っていた。
「フィリスの治療院はこの近くなの?」
「ああ。そう遠くない」
宿屋の前を過ぎて、遠く道の先に市場の屋台が見えはじめた頃、ジゼルは道を曲がって路地に入った。馬車は通れそうにないから、ナリッサたちもここからは歩くことになるだろう。
右側の建物から左側の建物に渡されたロープに洗濯物が揺れている。ふと笑い声が聞こえて足を止めると、建物の奥の空き地に木箱を椅子代わりに座る子どもたちの姿が見えた。彼らの前で、一人の男性が本を片手に何か喋っている。
「そういえば、平民相手の教室を開いていると言っていたな」
ジゼルはあたしと同じ方を見ている。
「こういうところで魔力の錬成でも教えれば国力は増すのだが、如何せん皇帝は魔術嫌いだから仕方ない」
ジゼルの口調は皇帝を嘲笑っている。
「魔力がない子でも意味があるの?」
「あるさ。潜在能力はあっても、コツが分からなければ魔力を持つことはできない。器はあっても穴が空いていてマナを溜めることができないんだ。グブリアのように魔術師が隔離された状態ではその穴を閉じるコツを知ることもできない」
「コツがわかれば魔力を使える人はもっといるってこと? それなら治癒師や魔術師になれる人と普通の人の違いは?」
「さあ? 魔力測定のときにたまたまその穴が閉じていたか、無意識に閉じることができていたか。まあ、知らぬ間に溜めた魔力を放出できなければ熱が出たりするから、一斉魔力測定も健康診断としての役割は果たしてるんじゃないか?」
「それって、フィリスが言ってたマナ滞留症状ってやつ?」
ジゼルは何か言いかけたけど、その口から出たのは「隠れろ、主」という別の言葉だった。
ジゼルは建物の壁伝いに屋根に駆け上がり、そっと路地を見下ろす。その視線の先を歩くのはお忍びの貴族と帯同の騎士という雰囲気。ナリッサたちではなく二人とも男性のようだった。
「また面倒なやつが来たもんだ」
ジゼルがぼやいた。被ったフードからはみ出した白っぽい銀髪で、あたしにもその正体が分かる。
「どうしてイアンが?」
イアンならあたしは隠れなくても良かったんだけど、まいっか。
「さあな。どうやら目的地は同じらしいぞ」
あたしたちの見ている前で、コンコンと騎士が治療院の扉をノックした。
フィリスが警戒もせずドアを開けたのはナリッサたちだと思ったのだろう。戸口に現れた茶髪の優男はローブとマントの怪しげな二人組に狼狽しながら、押し切られるように彼らを中に通してしまった。
「行こう、ジゼル」
「ああ、そうだな」
入り口扉の横には蔀戸のような跳ね上げタイプの窓があって、あたしは先にそこから中に入った。
造りは薬局みたいだ。カウンターがあって、その奥に薬の箱や袋が並んでいる。玄関先に立ったままの三人の男の向こうに、板敷きの部屋が見えた。施術は向こうでするようだ。
「フィリス先生ですよね」
フードを降ろしたイアンは、人懐こく小憎らしい笑みをフィリスに向けた。
「そうですが、……あなたは」
イアンは当たり前のようにその問いかけをスルーする。
「トッツィ領から来た治癒師のことで少し聞きたいことがあって来ました。彼女と何を話したのか教えてもらえませんか?」
「……トッツィ領での治癒術について」
「へえ、そうですか」
イアンは大袈裟にため息を吐き、後ろに立つ騎士を振り返った。
「外に出ててくれるか?」
「ですが」
「ですが?」
威圧的にイアンが言うと、騎士は不本意さを露に唇を噛み締める。騎士が出て扉が閉じられると、イアンはクイと顎を動かして板敷きの間の方へフィリスを連れて行った。
そこは家の玄関先みたいな感じで三分の一くらいが土間になっている。
「座っていいよ」
イアンは土間に立ったまま、フィリスを框に座らせた。
「昨日、トッツィ男爵令嬢がここに来たのは分かってるんだ。この前の聖女はナリッサ様なんだよね?」
フィリスは何も答えず、けれど目をそらすことなくイアンを睨んでいた。
「強情だなあ」
ひとり言のようにつぶやくと、イアンはローブの中に手を入れる。もしかして武器を取り出して脅すのかと思ったら、手品みたいにリスがヒョコッと現れてイアンの肩に乗った。
何? かわいい!
と思ったのは一瞬で、魔力の気配が漂うのを感じた。どうやら魔獣のようだ。
「フィリス先生が皇太子と繋がってることは知ってるんだ。それに、魔塔主様もここに来てたよね。どうやらここは情報のるつぼ。ぼくの知りたいことはここにあるかも知れない」
「……知りたいこと?」
「たとえばガルシア公爵とローズ様の関係とか、たとえばローズ様の隠された力とか。フィリス先生が知ってることがあったら包み隠さず教えて欲しいな。あっ、あまり大きな声で言わないでね。連れてきたあの騎士には聞かれたくないから」
やっぱり、イアンと宰相は同じ目的で動いていないようだ。明らかに情報を隠そうとしてる。
「すいませんが、何のことを言われているのか」
「やっぱり剣すら持てないぼくじゃ迫力がないのかな。こういうとき銀色のオーラを持ちながら騎士になれない自分が空しくなるよ」
銀色のオーラ、という言葉でフィリスの顔が強張った。彼の目が白っぽい銀髪と淡い菫色の瞳を確認するように動く。そして、ゴクリと唾を飲んだ。
「ぼくは治癒師の人たちが羨ましいんだ。オーラがあってもぼくはその力を使うことを禁じられている。妬ましくて仕方ないよ。その腕を折ってしまいたいくらいに」
言い終わると同時にイアンは肩をクッと動かし、リスは彼の意を汲んだようにフィリスに飛びかかった。
部屋に短い悲鳴が上がったけれど、それはフィリスのものではなくリスのものだ。リスは黒焦げになって土間に落ちている。
フィリスとイアンの視線は、突然現れた白猫と黒焦げのリスの間を行き来していた。
「殺さなくてもいいのに」
あたしが言うと、
「どっちみちもう長くなかったが、殺したのは早計だったな」
答えたあと、ジゼルはハッとフィリスの顔を見た。フィリスの目がいつもの倍くらいに見開かれ、あたしもジゼルのうっかりに気づく。
「おい、治癒師。ぼくの声は聞こえなかったことにした方が身のためだぞ。特に魔塔主には言うな。他のやつもダメだ」
うっかり×うっかりコンビだとノードに気づかれる前に、二人で国外逃亡したほうがいいかもしれない。
「ああそうだ。ぼくは悪魔じゃなくて聖獣だから、言う通りにしたら後々いいことがあるかもしれんぞ」
まったくどの口が言うんだか調子がいい。イアンは毒気を抜かれたようにドスンとフィリスの隣に腰を降ろした。
「どうしてジゼルがここにいるんだ?」
「そんなことより、お前また魔術を使ったな」
魔術?
イアンが?
「あっ、分かったんだ」
「弱小魔獣との血の契約を繰り返したんだろう。魔力で身分が決まった時代にそういうことをやる人間がいたと聞く。だが、召喚獣と違って知性のない魔獣との契約は下手すると精神錯乱を引き起こすぞ。そのことは知っているのか?」
「一応ちゃんと調べたからね。精神錯乱を起こすのは討伐隊が必要なレベルの魔獣の話だよ。ぼくのはあくまで実験だし、そんな危険を犯すつもりはない」
「実験?」
「実験だよ。ニールでしたゾエとの会話も聞いてたんだろう? 銀色のオーラと魔力が併存できるのか自分の体で試してみたんだ」
「銀色のオーラを継ぐ者が契約など。魔獣は使い捨てか。あの程度の魔獣は人間に魔力を奪われたらすぐ死んでしまう」
フィリスの目が足元の黒い塊に向けられ、彼はポケットから布を取り出すとそっと包み込んだ。
「使い捨てる以外どうするのさ。さっきのリスだって何か使えないかと連れて来たけどペットにしかならない。せいぜい引っかき傷をつけるくらいさ」
「ああいうのに毒を仕込むやつがいるからな」
ジゼルが思い浮かべているのはシドだ。イアンは「なるほどね」と納得していたけれど、魔獣を殺人に使おうなどとは微塵も考えていないようだった。
「お前、まだ契約を繰り返すつもりか? これが実験だというならもう必要ない気がするぞ。お前の銀色のオーラが他のやつに比べてずいぶん弱いのはそのせいだろう?」
「別に、銀色のオーラがなくなろうが構わない。逆にオーラを鍛えようものなら反逆者扱いされて殺されかねないんだから」
「金色のオーラになることを期待したのか?」
ジゼルの言葉にイアンはチラッとフィリスを見た。出ていけと言うかと思ったのに、なぜか何も言わず話を続ける。
「期待というより興味だよ。その結果はこの通り。銀色のオーラは魔力とは融合せず、どちらかの力が増せばそのぶん一方の力が弱まる。でも、おそらく金色のオーラは魔力とオーラが融合したものだ。治癒なんてどう考えても魔術だからね。ジゼルはどう思う?」
「まあ、理屈は通っているんじゃないか。お前のオーラは獣人に近いかもしれんな」
「獣人?」
「融合しないふたつの力が同時にひとつの体に流れている。それはぼくが感じる獣人の気配に近い。身体能力が高いのはオーラのおかげでもあるようだし、変身するのは魔力によるものだろう」
へー、なるほどね。と関心して聞いていたら、ジゼルがドヤ顔になる。
ジゼルを調子づかせてるのはあたしか?
と思ったけど、召喚獣の本質は契約者の本質に左右されると言っていたし、それはつまりあたしが調子に乗りやすいやつってことかもしれない。〈うっかり×うっかり〉になるのも仕方ない。
「それで、お前は何を望んでるんだ? イブナリアの力を手にしてグブリアの権力を手に入れることか?」
「それは父上の野望さ。ぼくは単に知りたいだけ。金色のオーラと世界樹のことを」
「ナリッサに近づいたのはそのためなのか?」
「まあ、そうだよ。ここに来たのもそう。ぼくが一番羨ましいのはゾエだ。しがらみのない平民で、ニール研究所の施設を使い放題。ぼくはあの場所に行くたびにベルトランというだけで肩身の狭い思いをしているのに」
「お前、ゾエに惚れてるんじゃないのか?」
ジゼルの質問が予想外だったのか、イアンは「はあっ?」とムキになって否定した。けれど、彼の顔はいい感じに赤くなる。
「もういい。今日は帰るよ」
ふて腐れた顔で立ち上がったイアンに、フィリスが「あの」と声をかけた。布を抱いたまま框から腰をあげる。
「何?」
「ローズ様のことで、ひとつお伝えできることがあります。マナ滞留症状のことを調べてらっしゃいました」
「マナ滞留症状?」
「はい。マナが体内で滞留することで風邪に似た症状が現れます」
「うん、一応知識はある。マナのコントロールができなくて、体内に滞ったマナが無自覚に魔力錬成され熱を発する。だいたいは自然治癒するけれど、稀に魔力が暴走して死に至る……だっけ?」
おお、さすがゾエの弟子(?)。
「その通りです。その症状が帝国の辺境地で増えていたようなのですが、ローズ様は帝都にその症状がまったく見られないことを不思議に思って調査を始められたようです。ですが治癒師では普通の風邪かマナ滞留症状か判別するのも難しく、治癒は魔術師でないとできません」
「ローズ様は判別できたんだろうね。もしかしたら治癒も」
イアンがサラリと口にしたことで、フィリスはホッと安心したような表情を浮かべた。
「でも、フィリス先生。どうしてぼくにその話を? あなたには皇太子殿下との繋がりも魔塔主との繋がりもあるのに。調査や魔術師の派遣を望むならそっちに頼んだ方がいい」
緩んでいたフィリスの表情が笑みを浮かべたまま強ばった。そして横目でジゼルをうかがう。
「なんだ? 魔塔主に黙ってろと言うなら黙っててやるぞ。ぼくは魔塔主の使い魔じゃない。自由の身だ」
だからさっさと言えというように、ジゼルはフィリスの靴に前足をのせた。脅迫ではなくおねだりのようだ。
「ローズ様が亡くなられたあと、一人の流浪の治癒師がわたしに会いに来ました。ローズ様のことについて知りたいと」
フィリスの隣でクッとイアンが笑った。
「それは本当に治癒師か? それこそ皇族の内情を探る貴族の手下だったんじゃないのか?」
いえ、とフィリスは首を振り、後ろでくくった髪が尻尾のようにゆらゆら揺れた。
「資格証は正規のもので間違いなかったですし、会話した限りでは治癒師として十分過ぎる知識をお持ちでした。それに、その治癒師は緑色の目をしていました。口にはしませんでしたが、おそらくローズ様の身内だったのではないかと」
「へえ!」
イアンの表情がキラキラと輝く。乙女をキュンとさせる類のキラキラじゃなく、ちょっと引く感じのキラキラですが。
「彼はマナ滞留症状に関してローズ様と手紙でやりとりしていたようです。マナの滞留は魔獣生息域の移動と関わりがあるのではないかと言っていました」
「マナ滞留症状と魔獣生息域の移動ね。やっぱり世界樹の焼失と関連してるのかな」
イアンはめずらしく真顔で考え込んでいたけれど、フイと顎を動かしてフィリスに話を続けるよう促した。
「その治癒師は独自に調査をまとめ、各地の治癒師協会を通じて大規模調査を行うよう要請したらしいのですが、魔塔も皇室も動く気配がないと憤っていました。それで……」
「それで、フィリス先生も皇太子や魔塔主に言っても無駄だと思ったんだ。でもぼくはただの文官見習いだよ」
ハハ、とフィリスが苦笑している。
「ご自分の体を使ってオーラと魔力の実験をされる方が、ただの文官とは思えません。それに、先ほど金色のオーラという言葉を使われたので」
ああ、とイアンはうなずいた。
「やっぱり、って感じ?」
「ローズ様やその治癒師のことを思い出すたびにもしかしたらと頭を過りました。でも、二百年も前に失われた力が現存するなんて、自分の妄想としか思えません。興味本位の噂話ならともかく、真面目な顔で口にできることではありませんでした」
「まあ、ちょっとでも歴史を勉強した人間なら〝金色のオーラ〟って言葉を皇族や魔塔主相手に口にするのは躊躇うよね。ぼくも一応元皇族の血筋なんだけど」
クク、とイアンが自嘲の笑い声を漏らす。
「ローズ様の事故があったから余計に口にすることは憚られました。その治癒師はローズ様の遺品を探していましたが、事故の翌日にはローズ様とナリッサ様が暮らしていた家はもぬけの殻で、そのことを話すと身の危険を感じたようです。すぐに帝都を出て行きました」
「家財を処理したのはガルシア公爵だろうね。あの事故の真実が彼の手で隠蔽されたのは明らかだ。遺品は処分してしまったのか、それともガルシア公爵が隠し持ってるか。ナリッサ様に渡したってことはなさそうだよ」
「やはり、そうですよね。その治癒師はローズ様が殺されたと考えているようでした」
「ガルシア公爵に?」
フィリスは不本意そうにうつむいて「はい」とわずかに頭を下げる。死んだ人間と一緒にいた公爵が事故の翌日には遺品を全部持って行ったなんて、普通に考えたら怪しいことこの上ない。
「あの、公子様もガルシア公爵様がやったとお考えなのですか?」
「ぼく? 可能性がまったくないとは言えないけど、ぼくは事故が隠蔽された理由は金色のオーラの痕跡を隠すためだったんじゃないかと思ってるんだ。あの夜、馬車にローズ様とガルシア公爵が乗っていたことは間違いない。その状況でローズ様がオーラを使う相手と言えば」
「ガルシア公爵様……?」
「うん。平民街での二人の噂を聞いてると、ナリッサ様が誰の子かは別にして、公爵がローズ様を殺すとは思えないし、襲われたとしたらむしろ身を呈して守ったはず。まあ、陛下に殺害を要求されたら仕方なくローズ様を殺すかもしれないけど、あれは皇宮の丘で起きた事故だからそれはありえない。だとしたら二人とも重傷を負って、ローズ様が公爵を治癒したのかなって」
「ローズ様自身の傷は治せなかったのでしょうか」
「治癒師は自分を治癒できないんでしょ? 金色のオーラもたぶん同じだと思うよ」
フィリスは思わぬ推論を聞かされたせいか呆然としていた。
あたしは以前ノードとゾエが交わした事故に関する会話を思い出し、二人とほぼ同じ結論に一人でたどり着いたイアンに感心しつつ、ちょっと怖くなった。
「ぼくの想像はどうかな?」
イアンは足下に目をやった。
「想像するのは自由じゃないか? まあ、ガルシアがやったんじゃないっていうのは間違ってないと思うぞ」
白猫の御意見にフィリスは目を見開き、イアンは「へえ」と意外そうな顔をしてしゃがみ込んだ。「どうして?」と、ジゼルの鼻先に手をやる。
「ガルシア邸に忍び込んだからな」
それ言うの?
「腹の傷痕を夜中に擦って女の名を呼ぶんだぞ。あれは憐れな男だ」
ジゼルの言葉で男二人は妙にしんみりして、空気の読める男イアンが「今日のところは」とフードを頭にかぶった時だった。子どもと女性の叫び声と、「逃げろ」という男たちの声が聞えてきた。
「何事だ!」
イアンは入り口に向かいながら声を張り上げ外の騎士に問いかける。返事はなく、彼がドアを開けると路地の数メートル先で剣を構えた護衛の騎士が振り返った。
「魔獣のようです! 中に隠れていて下さい!」
嫌な予感がする。
「ジゼル、行こう」
「ああ、近くにナリッサの気配がある」
治療院から駆け出した白猫を見て、護衛の騎士は動揺したようにビクッと肩を揺らした。たしか、イアンの護衛騎士はジゼルを魔塔主のペットと思っているはず。
騎士からわずかな魔力の気配を感じ、あたしの目は左手首の腕輪に吸い寄せられた。もしかしたら、ゾエの手首にあったのと同じ魔法具かもしれない。
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