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魔獣と獣人騎士と白猫の熱戦
魔獣の気配は複数あった。
魔力量はそれほど多くないけれど、魔力のない熊や狼にだって人間は簡単に傷つけられる。問題は魔獣か普通の動物かということよりも、人間を襲うかどうか。
キキッ、キキッ、キキキ……ッ
威嚇するような鳴き声。
最初に目に入ったのは建物に渡された洗濯物のロープを伝う影。子どもがそれを見上げて指さしているのを、男性が抱えて家の中に放り込む。路地に面した窓に子どもたちの顔が押し合いへし合い連なっている。
「三本あったよ!」
「五本!」
「ぼくの見たのは三本。目がキラーンって赤いの!」
尻尾の数だろうか?
「怖くないよねー」
「うん、かわいかった。イタチ? テン?」
「魔塔の林から来たのかな?」
「何匹いた? 家族かな、友達かな?」
「顔引っ込めてろ! 引っかかれるぞ!」
男性が外からバタンと鎧戸を閉めた。
「治安隊は呼んだのか!」
「治安隊より魔塔だ! 林から来たんじゃないのか?」
「魔塔の林から魔獣が出るわけないだろ。貴族のペットに決まってる。面倒見切れなくなって平民街に捨てたんじゃないのか? 麻痺だって貴族のせいなんだ」
「怪我人だ、どいてくれ!」
「右だ、右。奥にフィリス先生の治療院がある」
少女を負ぶった男性が建物の陰から現れた。ぐったりした女の子の額は赤く焼けただれたようになっていて、ガラス窓にへばりついた子どもたちの顔が好奇から恐怖に変わる。
「火傷?」
イアンの声だった。彼は護身用の短剣を手に周囲をうかがいつつ、怪我人を治療院の中に招き入れる。フィリスの姿は見えないけれど、おそらく中でスタンバイ中なのだろう。
「主、さっきの広場だ」
大通りの方からは商人や職人らしい男たちがそれぞれ武器になりそうなものや、捕獲用のタモ網や木箱を持ってやって来る。ジゼルは彼らの足元を縫うように広場に抜ける路地に入った。
あたしは集まった人たちの頭のすぐ上を飛びながら、魔獣の気配が近づくのを感じている。
「ジゼル、あの火傷って火炎魔法?」
「自我のない魔獣に魔法は使えない。本能的に放出したエネルギーが熱を発しているだけだ。魔力が大きければ火も吐くが、おそらく……」
「避けろ!」
マリアンナの声だった。目の前の長身の男性が反応し、「うおっ」と咄嗟にしゃがみ込む。あたしの内側を熱が駆け抜けた。
「主! 大丈夫か?」
「……うん。なんか熱かったけど平気みたい」
「熱風だ。至近距離だと人間は火傷する」
路地にへたり込んだ男性の二メートルほど先が広場。そこに立ちふさがるように、三本の尻尾を持った黄色っぽい毛のイタチがこっちを睨んでいる。目の周りは黒っぽく、尻尾の先は赤毛。子どもが言っていたように目も真っ赤だ。
キキキッと甲高い声で鳴いた。
「捕まえるぞ!」
青年がタモ網を振りかざして突進していった。その網はイタチにかぶさる直前でボッと音をさせて燃え上がる。柄と輪っかだけが残ったタモを手に、青年はジリジリと後退った。
「水だ、水持ってきてぶっかけろ!」
「水だ!」
「水!」
「水!」
「水!」
言葉の意味を理解したのか、興奮したイタチが激しい鳴き声とともに飛び上がり、宙返りした。体の回転とともに魔力が尻尾に集まり、凝縮された魔力は一気に熱を帯び放出される。
熱のリボンが空気を切り裂いたように見えた。
「危ない!」
あたしは咄嗟にタモを持った青年の前で両手を広げる。熱が体を走った。
「おい! お前、火傷してないか?」
「……え、あ」
青年は呆然としたまま手で頬や体に触れ、「なんか大丈夫みたいだ」と後ろを振り返ると安堵のため息があちこちから聞こえた。
「主の冷気のおかげだな」
ジゼルは二階の細い窓枠に器用に立って、まるで自分の手柄みたいにニヤッと笑いながらあたしを見下ろしている。
あたしが「助けて」と言わないと、ジゼルが自発的に人を助けることはないのだろうか?
「それより見てみろ、主。あのサル、なかなかだぞ」
あたしたちは屋根に登って広場を一望した。広場といってもコンビニの跡地くらいの小さな原っぱで、周囲は建物に囲まれている。子どもたちが座っていた木箱のいくつかは茶色っぽく焼け焦げた跡がついていた。
壁際に三人。ナリッサとマリアンナと、子どもたちの前で本を広げていた男性。路地からは死角になっている。
マリアンナの右手にはフェンシングで使うような細くて長い剣があり、左手にはナイフのような短い刃が見えた。ナリッサは彼女の後ろで木の棒を竹刀のように構え、男性の手にも剣があるけれど、煌びやかな宝石があしらわれたコンパクトな剣はたぶん装飾品。へっぴり腰がお飾り感に拍車をかけている。
イチ、ニィ、サン……と、ジゼルが数を数えていた。
「四匹は殺ったようだな。殺し方が上手い。ぼくが火炎魔法を使うと黒焦げで売り物にならないが、あれなら毛皮が売れる」
そういう問題?
広場を見回すと、ナイフで首を突かれたイタチが何匹かぐったりと地面に横たわっていた。どれも尻尾の数は二本で、子どもたちはそこそこ話を盛っていたらしい。
壁際の三人を囲うように、三匹のイタチが遠巻きに攻撃のチャンスを伺っていた。
「ジゼル、助けなくて大丈夫なの?」
「助けてもいいが、ぼくがいるのがバレて困るのは魔塔主じゃないのか?」
たしかに今回は頼まれてついてきたわけではないし、そうなると魔塔主がナリッサに監視をつけていたと思われても仕方ない。
「それに主、あのサルは大丈夫だと思うぞ」
「来ます!」
マリアンナの声がした。
「尻尾の動きをしっかり見て避けて下さい! 落ち着いて見れば分かります!」
一匹がナリッサ目がけて駆け、マリアンナがナイフを投げて牽制すると体を捻ってジャンプする。マリアンナの左手からは新たにナイフが放たれ、それは赤く光るイタチの目を貫いてギャッと鳴き声が響いた。
ドサッと鈍い音がして、地面に落ちたイタチはビクビクと痙攣している。
「あれもちゃんと売りものになるぞ」
だから、そういうことじゃなくて。
マリアンナは残りの二匹をうかがいながら仕留めたイタチに近づき、ナイフを抜いてとどめを刺した。その隙を狙ったように別の一匹がナリッサに向かって跳ね、ヒュンッと風を切る音とともにマリアンナの細い剣で胴を薙ぎ払われる。そのイタチは剣を持った男の太ももにぶつかって地面に落ちた。
「うっひゃぁあっ」
情けない……、と思ったら、ナリッサもそんな顔をしていた。
「マリアンナ! 尻尾が振れないと攻撃できないのよね?」
「はい、そうですが。……姫様!?」
ナリッサは男の手からキラキラの剣を奪って代わりに木の棒を押し付け、地面に倒れたイタチに向かって剣を振り上げた。
「あの、バカ……」
ジゼルはため息とともタタッと屋根を駆け、そのままナリッサに向かって大きくジャンプする。
「油断するな!」
ジゼルが叫んだとき、くたばったはずのイタチがナリッサの顔を目がけて飛びかかった。
「キャッ!」
「姫様!」
やみくもに振ったナリッサの剣はイタチのお尻あたりを打ったようだけど、爪と牙が彼女の手の甲に食い込んでいた。
「痛ッ!」
残り一匹が今にもナリッサに飛びかかろうとし、マリアンナが「クソッ」と声を漏らしイタチとナリッサを交互にうかがっている。その目がハッと別のものを捉えた。
キイッイィッ!
こういうのを断末魔の叫びと言うのだろうか。イタチの尻尾を食いちぎったジゼルはいつも通りのドヤ顔だった。
尻尾の魔力がジゼルに吸収されていく。イタチはナリッサの手から離れ、ジゼルは動かなくなったイタチの残り一本の尻尾を咥えてマリアンナの方を見た。
そこの一匹はお前がどうにかしろよ、って顔だ。
ジゼルが咥えたイタチの毛艶がみるみる失われ、明らかに他のイタチの死骸とは違って売り物になりそうにない。
魔力を吸い尽くしたのか、ジゼルはそのイタチを放ると人がひしめく路地へと駆けていく。そこには見張り番のイタチがまだウロウロしていた。
あのイタチだけが尻尾三本、ということは他のよりも魔力があるということ。
「なんだ? 白猫?」
「おい、子猫だぞ!」
「お前、こっち来たら死ぬぞ! 来んな!」
みんな優しいな。
あの白い子猫はリスを一瞬で黒焦げにする悪……聖魔なんだよ、と心の中で教えてあげていたら、
「ジゼル!?」
振り返ったイタチに白猫は真正面から突っ込んでいく。宙返りしたイタチの尻尾は炎のようで、熱の帯がジゼルに向かって放たれた。
冷気で!
……と思ったのに、あたしの行動を予測していたのかジゼルは「平気だ、主」と余裕の笑みを寄こした。
その一瞬に熱風はジゼルを捉え、人々は目をそらし顔を覆う。
キイイィッ!
獣の叫び声。
当然子猫が焼かれたのだと思っていた人たちは、毛の一本も焦がすことなくイタチの首に噛み付く白猫に驚いていた。
「なんだ? 猫も魔獣か?」
あ、ヤバい――って顔をジゼルがした。そのあとキョロキョロと周囲を見回すと、イタチを咥えたまま窓枠を足場に屋根まで駆け上がる。
予想通りのお食事タイム。
「ねえ、ジゼルはあれが熱くないの?」
あたしは食事シーンを見ないよう広場を見下ろしながら話しかけた。最後の一匹をマリアンナが処理して、人々はイタチの死骸を物珍しそうに囲んでいる。
「あの程度の熱にひるむようなら火炎魔法は使えない」
「そういうものなんだ」
「ああ、そういうものだ。それより主、おそらくサルも気づいてるだろうが、魔術師が絡んでるぞ」
「えっ?」
「ただのペット魔獣に見張り役みたいなことはできない。特定の人間を襲うのも、匂いか何かの細工をしないと難しい。あれは使役魔法だ。毒は仕込まれていなかったし、シドではないだろうがな」
マリアンナがナリッサを連れて広場を出て行こうとしていた。お忍び貴族スタイルを人々があまり不審がっていないのは、青空教室の教師として来たのだと勘違いしてるようだった。
二人が広場を出て行く前にフィリスが駆けつけ、彼はナリッサの手を確認するとホッと笑みを浮かべた。どうやら傷は大丈夫そうだ。マリアンナがキョロキョロと辺りを見回しているのは、たぶんジゼルを探しているのだろう。
ナリッサたちが広場からいなくなったあとローブの男とマントの男が路地から現れ、イタチの死骸に近づいて行った。
「イアンだ」
「あっちには治安隊だ」
ジゼルの言葉で大通りに目をやると、治安隊の制服を着た男が二人、馬で駆けてくるのが見えた。
「仕方ない、教えてやるか」
ジゼルは口のまわりについた血を舐め、猫っぽい跳躍で建物を降りてローブの男に近づいた。
ジゼルは案外イアンのことを気に入ってる気がする。護衛騎士の方が先に振り返ったのは、手首の腕輪が魔獣を探知したのだろう。
「おい、イアン。治安隊が着くぞ」
イアンは足下を通り過ぎた白猫にチラと目をやった。
「お前もここにいたことが皇太子や魔塔主に知られるのはマズいだろう?」
「公子様、その猫は」
「戻るぞ」
護衛騎士の言葉を遮り、イアンは大股で広場を出て行く。あたしたちもその後についていった。騎士は後ろをチラチラ気にしていたけれど、職人っぽい男性にぶつかったあとは前を向いて歩いた。
路地を出ると治療院とは反対に曲がり、その先に治安隊の制服が見えて右の路地に入る。そのまま市場の方へ向かい、何度か道を曲がって大通りに出た。ジゼルは屋根伝いに彼らを追っていて、護衛騎士が後方を気にすることもなくなっていたから魔法具の探知範囲からは外れたようだ。
あたしは腹黒イアンの腹黒じゃない部分をいろいろ見れたことに満足しつつ、彼の隣をついて行きながら素の表情のイケメンを堪能している。ナリッサやゾエの前では見せない、わずかな緊張を帯びた真顔。
「よき♡」
あたしがひとり言を漏らしたとき、彼がピタと足を止めた。
「オクレール卿、馬車を呼んで来てくれ。わたしは適当に屋台を見ている」
「承知しました」
護衛騎士は周囲に視線を走らせ、問題ないと踏んだのか小走りに人混みの中へ消える。イアンはフードを被ったままフラフラと近くの屋台に近づいては離れ、また別の屋台をながめては遠ざかりながら、時おりぐるりとまわりを見回した。
「ぼくを探してるのか?」
屋台の屋根にいる白猫を見つけ、イアンは肩をすくめる。
「イアン、お前の仕業じゃないよな?」
「イアンの魔力で使役魔法が使えるの?」と、あたしが聞く。
「まあ、お前の仕業じゃないのは分かっているが、何か心当たりはないのか? ナリッサが平民街で魔獣に襲われて、その場にお前がいるなんてでき過ぎだろう」
イアンはフイッと顔を動かし、ジゼルを建物の陰に誘った。フードを外して壁にもたれかかると、「ふう」とため息をつく。ジゼルのいる木箱の上は、ちょうどイアンの目線と同じ高さだ。
「で、どうなんだ?」
「……ぼくのせいかもしれない」
イアンの言葉に思わず「えっ」と声を漏らし、ジゼルがチラッとあたしを見た。
「どういう意味だ?」
「ぼくの騎士だよ。オクレール卿。あいつはナリッサ様がここに来るのを知ってたかもしれない。宰相に確認したいことがあるから今から本宮に行ってくる。近いうちにまた石榴宮に行くつもりだけど、ジゼルが可能ならナリッサ様の傍にいたほうがいい」
「ああ、気が向いたらな」
言いつつ、あたしをうかがうジゼルは「どうせそうするんだろう?」という顔。はい、もちろんです。
「たぶん、金色のオーラを発現させようとしたんだ」
イアンの言葉の意味をジゼルはすぐに察したようだった。
「殺す気はなかったということか。危機感を抱かせてオーラの発現を誘発させる」
「もしぼくの考えがあってるなら、だけどね。でも金色のオーラの発現事由が……」
不意に口を噤んだイアンは通りに目をやっていた。護衛騎士の姿が屋台の合間に見える。
「またね、ジゼル」
彼はフードを被ると、ずっと屋台を見ていましたという素振りで果物を手に取った。護衛騎士がイアンに声をかけ、二人は並んで大通りを歩いていった。
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