青い鳥とそばかすの家庭教師はスパイです

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青い鳥とそばかすの家庭教師はスパイです

皇宮の丘の北側の森の中にひっそりと建つ石榴宮。 立派なのはティアラのように煌びやかな門くらいで、皇族が住むには少々素朴過ぎる二階建ての建物。〝宮殿〟というより〝お(ウチ)〟って感じだ。 まあ、それは本宮と呼ばれているグブリア帝国皇城や、皇帝の住む銀月宮、皇太子の住む紫蘭宮がいかにも宮殿らしいからそう思うくらいで、ペットの飼えないマンション暮らしだったあたしに比べればずいぶん立派なお家。 朱色の花が咲き乱れる石榴の庭園に立ち、あたしは二階にある白い手すりのバルコニーを見上げている。そこには空に溶けてしまいそうな色をした青い小鳥が一羽止まっていた。 「主、おそらくあれは皇太子の鳥だ」 芝生にちょこんと座ったジゼルがこともなげに口にした。 「えっ?」 言葉を失うあたしに、ジゼルはケケケッと楽しそうに笑う。 皇太子の鳥――ということはおそらく獣人(鳥人?)なわけで、それはきっと先日の麻薬事件のときに月光の庭園にいた鳥なわけで……。 ピュイッと鳴き声がしたかと思うと、小鳥は皇宮が立ち並ぶ方角へと飛んでいった。 「行くぞ、主」 背中の羽をパタつかせて飛ぶ白猫みたいな悪魔のジゼル。その姿を呆然と目で追っていたら、バルコニーの窓が開いて濃紺のローブをはおった魔塔主ノードが顔を出した。彼は手すりから身を乗り出し、あたしに向かってヒョイと一度だけ手招きする。 「ニャア」 手すりに着地して猫の鳴きマネをする小憎らしい悪魔。その隣で「入りましょうか、ジゼル」とあたしに背を向けようとするいけず(・・・)な魔塔主。 置いていくぞと言わんばかりのノードの態度に、あたしは幽霊スキルでジャンプして0.1秒で彼の目の前に到着した。 見開かれた目に紺碧の瞳。そこに幽霊のあたしが映っているのが不思議。 ノードは動揺を隠すようにゴホンと咳払いし、「鳥にサラさんの姿は見えていません」と小声で囁いた。あたしの口から「はあぁぁ」と安堵のため息が漏れる。 ジゼルもノードも、ほんと性格悪い。 クスッと密かに笑い声をもらし、ノードは室内に立つ少女を振り返った。 仁王立ちで腕組みをした皇女ナリッサの赤い髪が、開け放った窓からの風で炎のように舞い上がる。エメラルドをはめ込んだような緑眼とのコントラストが庭園の石榴に似ていて、若草色の丈の長いドレスはラブルーンのヒラヒラスカートよりよっぽど大人っぽい。 「ノード、白状しなさい」 ともすればキツい印象を与えるハッキリした顔立ちを、まだ子どもっぽさの残る輪郭がかろうじて和らげていた。 「何のことでしょうか? ナリッサ様」 「とぼけないで。風邪ひいたからって記憶がポッカリなくなっちゃうのはおかしいじゃない。ノードがわたしの記憶を操作したんじゃないの?」 ノードはいつもどおりの穏やかな笑みでナリッサを見返している。 窓の外は爽やかな青空なのに、長い黒髪を揺らし、濃紺のローブの裾をはためかせる魔塔主の周りだけが夜みたいだ。 あたしはノードの隣にいるけれど、皇女の目にあたしの姿は映らない。あたしは幽霊だから。 今のあたしの肉体は、ノードとジゼルふたりの耳で輝くダイヤモンドのピアス。血の通わない鉱物。 「さきほどユーリック殿下からナリッサ様の症状をうかがいました。ですが、わたしは何もしておりません」 「じゃあ、ジゼルがわたしを試すために何かしたの?」 「ぼくが?」 ウロウロと部屋を歩いていたジゼルは、ピョンとジャンプしてノードの肩に乗った。魔力を抑えるために首に巻かれた青いリボンがユラユラと揺れている。 「わたしと契約するかどうかしばらく能力を見るって言ってたじゃない。それに、お茶会の日。記憶を失う直前にジゼルがここに来たのは覚えてるわ」 あたしがナリッサに憑依したのは、この部屋に隠された麻薬を探そうと焦っていたときだった。 ナリッサの寝室に麻薬を隠して罠に嵌めようとしていたアンナ。悪女と呼ぶにふさわしい侍女をあたしが石榴宮から追い出そうとした結果、彼女は惚れた男――白影の魔術師、シドに殺されてしまった。 愛した男に殺されるのは、ファンタジー小説に生きる悪女の運命なのだろうか。 小説『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の中で、回帰前のナリッサは悪魔の力を借りて皇太子妃たちを皇宮から追い出そうと画策し、皇太子の暗殺まで企てた。そして兄である皇太子ユーリックにより死刑宣告を受ける。自分が兄の愛を求めていたことに気づかないまま。 死刑執行前に本当の父親から皇太子とは血が繋がらないと事実を聞かされたナリッサ。処刑されて、回帰したのは悪魔召喚術の真っ最中。 彼女は咄嗟に召喚術を中断したけれど、あれはどういう気持ちからだったのだろう。 召喚術が中断された影響でジゼルの火炎魔法が暴発し、その場にいた中級魔術師と従者、それにナリッサ本人が火傷を負った。回帰前、汚れ仕事はすべて悪魔に任せ、自ら人を傷つけたことがなかったナリッサは目の前の光景に愕然とする。そのとき金色のオーラが発現して魔術師と従者を治癒するが、自分自身を治癒できないナリッサの火傷は魔塔主ノードが魔法で治した。 回帰後の本編では悪女というより素直になれない不器用なツンデレキャラになるけれど、ナリッサを変えたものはなんだったのだろう。 自分の死? それとも自分の手で人を傷つけたこと? ユーリックと血が繋がっていないという事実? 一方、ナリッサが悪女になった理由は明白だ。 母親を亡くし、突然皇女として皇宮に引き取られたナリッサ。通常十四歳までは皇帝宮か皇后宮で過ごすはずのところを、ナリッサは八才で皇宮の丘の外れに建てた石榴宮に追いやられる。それ以降は皇帝からも皇太子からもほったらかし。その扱いを見た貴族たちには「偽物皇女」と囁かれ、挙句の果てに石榴宮の使用人たちにまで軽んじられる始末。 こんなの鬱になるか開き直って悪女になるしかないじゃない。 「ジゼル、わたしとは契約してくれないの?」 ナリッサの声にあたしはハッと思索から引き戻された。彼女は不安げに両手のこぶしを握りしめている。 「悪魔と契約なんてダメ」 あたしの言葉にノードの瞳がチラと動いた。もちろんあたしの声はナリッサには聞こえない。 ジゼルはノードの肩から降りるとナリッサの足元まで行き、首のリボンを爪で引っかけて解いた。その瞬間、ナリッサはブルっと身震いする。 「ジゼル、……その魔力は?」 「ちょっとした事故があって召喚時よりも魔力が増したんだ。だから今のおまえではぼくと釣り合わない」 言い終えるとジゼルはリボンを手でツンとつつき、そのリボンはふわりと白猫の首に巻き付いて蝶々結びにされる。ナリッサは気が抜けたようにペタンと床にお尻をついた。 「気落ちしないで下さい、ナリッサ様」 ノードは彼女のそばで膝をついて顔をのぞき込んだ。 「ジゼルと契約できないからと言って、すべてが台無しになったわけではありません。ジゼルの召喚時の事故はあり得ないものだったのですから」 「事故って、一緒にくっついてきた死体のこと?」 ……死体って言われるのは、本人的には微妙です。 「ええ、あの死体の大量の血を浴びたため、ジゼルは予想外に魔力が増大してしまいました。ジゼルのことがお気に召したのであれば、ナリッサ様がこのジゼルと同等かそれ以上の魔力を持つ必要があります。そのためには当初の計画通り低級魔獣を召喚し、ナリッサ様自身が扱える魔力を増やし、そして徐々に魔力を高めていけば」 「そうすればジゼルともいつか契約できるのね」 「ええ」と躊躇いなく微笑む魔塔主に、ジゼルは「無理だろうがな」とさりげなくあたしを見る。 あたしはノードの耳元で「魔塔主様は嘘がお上手ですね」と悪女っぽく囁いてみたけれどピクリとも動じなかった。悔しいからあたしは勝手にしゃべり続ける。 「いたいけな少女を悪魔と契約させるなんて三百歳の大人がすることじゃないと思います。だいたい、この国では悪魔との契約は禁止されてるはずなのに、ノードのせいでナリッサが処刑されたらどうするんですか? 悪魔の力なんてナリッサには必要ないのに。ナリッサの孤独につけこんでノードは何がしたいんですか? イブナリア王国が滅んだ恨みをナリッサで晴らしたいならそれは筋違いです。絶対後悔するから。処刑場のナリッサを見て泣くのはノードなんですからね……」 ハッと、あたしは自分の口に手を当てた。 「ノード?」 床に座りこんだままのナリッサが怪訝そうに魔塔主の顔をうかがっている。あたしはごくごく近い未来にノードに尋問されることを予想して内心頭を抱えた。ジゼルだけがニヤニヤ楽しそうだ。 「ナリッサ様。契約に関してはもう少し落ち着いてからにしましょう」 ノードのいつも通りの笑顔が怖いのはあたしだけでなくナリッサも同じようだった。ジゼルの魔力の変化を感知できるくらいだから、穏やかな顔をしたノードの魔力が桁違いなのはナリッサもよく分かっているはず。 それなのに、皇太子のユーリックでさえ「殿」をつけて呼ぶ魔塔主をナリッサが呼び捨てにしているのはどういうわけなんだろう。 ノードが手を差し出し、その手を借りて立ち上がったナリッサは彼に触れることに慣れているように見えた。ズキ、と存在しないあたしの心臓がうずく。 そのときあたしは重要な事実を思い出した。 ナリッサがわずか十三才ということと、彼女の恋の相手が皇太子ユーリックだということですっかり失念しかけていたけれど、小説本編でのノードの役回りは二人の恋の噛ませ犬。 ノードは三百歳のくせに、回帰後のストーリーではやたらとナリッサに取り入ろうとする。それはもちろん彼女の金色のオーラがあってのことだけど、ナリッサ目線で描かれたノードはけっこう必死にアプローチしていた。 ……もしかしてノードって若い子が好き? ……マジカル戦士ラブルーンの膝上ヒラヒラスカートが似合うってあたしに言ったのも、本当にそういう趣味? いやいやいや、とあたしは首を振る。 「ナリッサ様、今は麻薬事件のことで宮内は敏感になっています。われわれのしようとしていることがどれほど危険なことかはナリッサ様もお分かりでしょうから、今はただ静養に努めて下さい」 コクリとうなずいたナリッサの頭をノードが優しくなでた。グブリア帝国では魔塔は明白に皇室の下にあるのだから、普通に考えたら皇女の頭を魔塔主がなでるなんて考えられない。 「ノード、もうひとつ確認しておきたいんだけど。わたしが記憶を失ったのはユーリック殿下の仕業ではないわよね」 上目でノードの表情をうかがうナリッサの瞳に警戒の色が浮かんでいる。 「もちろん違いますよ。殿下のオーラでも優れた魔法具(アーティファクト)でも記憶を消すなんてできませんし、わたしもできるかどうか分かりません。記憶を失って不安なのはわかりますがあまり疑心暗鬼にならないようにしてください。いつかふたたび召喚術を行うとして、疑心暗鬼になることが最も危険だという話は以前しましたよね」 ナリッサはうなずいたあと「でも」と続ける。 「熱を出して起きたらあたしの周りの世界がひっくり返っていたのよ。疑わない方がおかしくないかしら」 たしかにそうだ。 それまで自分をほったらかしていた兄が頻繁に顔を出すようになり、門兵が配置され、草ぼうぼうだった庭もきれいに剪定された。そのうえ一番信頼していた侍女は寝込んでいるうちに宮を辞め(ほんとは死んだんだけど)、嫌がらせをしていた侍女のポピーが親身に看病し、あの場にいた使用人たちはユーリックがナリッサにどんな気遣いを見せたのか話しているはず。 そりゃあ「ドッキリですか?」って疑いたくなるよね。 せっかく憑依してユーリックと仲良くなれるように熱演したのに、まさかナリッサの警戒心を煽ってしまうなんて。女優サラ、一生の不覚です。(一生はすでに終わってるんだけど) 「見返したいと思っていた相手に気遣われるのは居心地が悪いかもしれませんね」 ノードの言葉でナリッサは顔を伏せた。あたしの頭には召喚された部屋で見たユーリックの写真が蘇る。胸に五寸釘をぶち込まれたセピアの写真。あたしはゾッとしながら釘の理由を考えた。 あの釘はきっとあれだ、あの〝キューピッドの矢〟みたいなやつ。あなたのハートを射止めちゃう的な。なんてジゼルに話したら「呪いだろ」と一蹴されそうだけど。 「殿下が何を考えてるのか分からない」とナリッサは悩まし気につぶやく。 「ノードも何考えてるか分からない」あたしが便乗して言う。そのときコンコンとノックの音がした。 「ナリッサ様、ゾエです」 女性にしては低めの声がドアの向こうから聞こえた。ゾエって誰だっけ、とあたしは頭の中で昔読んだ小説のページをめくる。 「そういえば今日はダンスの時間を早めたんだったわ。すっかり忘れてた」 ナリッサが言い訳するようにノードを見ると、彼はお構いなくとでも言うように右手でドアを指す。こういう優雅な仕草は、イブナリア時代に身に付けたものなのだろうか、それともグブリア皇家の下に入ってからだろうか。 「入って」 ナリッサの声に応じるようにドアが開いた。姿を見せた小柄な女性はふとノードに目をとめ、日本でよく目にする、両手を重ねて頭を下げるお辞儀をする。 能面のような無表情。頬に点々とそばかすがあり、こげ茶色の髪はうしろでひとつに束ね、着ている服もドレスではなく膨らみのないスカートと白いシャツにジャケット。あまり見ないタイプの服装だったけれど、そのおかげで彼女が何者なのか思い出した。 ナリッサの本当の(・・・)父親であるなんとか公爵が目をかけている平民の家庭教師ゾエ。 彼女はナリッサの行動を密かに公爵に報告している。石榴宮の人事に関与できなかった公爵が、なんとか手を回して送り込んだ唯一のスパイ(?)がゾエだ。
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