石榴宮の執務室で宝探し

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石榴宮の執務室で宝探し

ナリッサが手にした封筒は、昨日今日準備されたものには見えなかった。紙は少し黄ばんで、青いインクの文字がくすんでいる。 『失われし力を手にした君へ』 表にはそう書かれていた。 鍵は小粒の宝石で彩られた親指サイズくらいのもの。鎖を通してペンダントになっている。アクセサリーにしか見えないけど、マナ石も混じっているらしくわずかに魔力を帯びていた。 「ガルシア公爵様がこれをわたしに?」 はい、とゾエがうなずいた。 なぜ、とナリッサは考えているのだろう。 ガルシア公爵と話したいとゾエにお願いしたのは、あたしが憑依していたときのナリッサ。その返事がこれということは、親子水入らずの対面を実現するまでは長い道のりになりそうだ。 「手紙をナリッサ様にお渡しするのは、もう少し先のつもりだったと公爵様はおっしゃってました」 「それは、わたしが〝失われし力〟を手にした後ということかしら?」 「……おそらく」 ナリッサもゾエも、ここにいる全員が手紙に何が書かれているのか見当がついている。きっと、金色のオーラに関すること。 ナリッサは青いインクの文字をじっと見つめていた。封を開ければ、自分が何者なのか明らかになってしまう。 「さっさと開けたらどうだ?」 あっけらかんとしたジゼルの言葉に、ナリッサの気持ちが固まったようだった。 「レターナイフは執務室にあったわね」 部屋を出ていこうとするナリッサをゾエが引き止めた。 「その鍵の持ち手を、封蝋の印章に合わせてみて下さい」 小さな宝石で装飾された鍵の上部の凹凸は、よく見ると封蝋の葉っぱ模様と一致している。ナリッサが鍵を持って封蝋の印章に合わせると、パッと光が散った。 封蝋が剥がれ、ナリッサが中から二つ折りにされた紙を取り出して広げる。便箋が数枚くらい入っているかと思っていたら、メモ用紙サイズの小さな紙が一枚だけだった。 そこに書かれていたのはひと言。 『石榴宮の執務室』 誰かがゴクリと唾を飲む音がした。 ナリッサもゾエも緊張の面持ちでたったそれだけの文字を食い入るように見つめている。 「さっさと行くぞ」 扉に向かってスタスタ歩いていく白猫を、二人が慌てて追いかけた。 使用人たちが寝静まった深夜の石榴宮は真っ暗だ。通路の左右は部屋になっているから月明かりもなく、ゾエが持参した手提げランプを頼りに足音を忍ばせて執務室に向かう。 エントランスから続く階段を上がってすぐ右手の扉が目的地だった。エンドーが来るまでは前任の執事が我が物顔で使っていたようだけど、最近ナリッサがよくここで勉強している。 入って正面奥に執務机、その手前にはソファとテーブル。昼間であれば窓から池が見えるけれど、今はカーテンが引かれている。左右の棚にはびっしりと本が並んで、入口のドア脇にもガラス戸のついた本棚がある。 「で、ここに何があるんだ?」 二人と一匹、そして幽霊のあたしも一緒にキョロキョロと部屋を見回した。 「普通の人間なら無理ですが、ナリッサ様なら見つけられると公爵様は言っておられました。おそらく魔力ではないかと思うのですが」 「なるほどな」 床を蹴って執務机に飛び乗ったジゼルは、くるっとナリッサを振り返った。 「見つけたか?」 聞きながら、明らかに自分はもう見つけている顔だ。 「たぶん、その下?」 自信なさげな表情で、ナリッサは窓の横に飾られた花瓶を指さした。ジゼルはニヤッと笑い、彼女が指さした花瓶のそばにストンと飛び移る。 部屋の左奥、窓のすぐ横から壁際にかけて、腰の高さに妙なでっぱりがあった。階段上に部屋があるとこんなふうになったりするけれど、この建物はそんな造りになっていない。 「花台だと思い込んでましたが、壁と一体になってるんですね」 ゾエは執務机を回り込んで窓辺に行き、興味深そうにでっぱりを観察している。 「あっ、穴があります。たぶんさっきの鍵じゃないでしょうか」 でっぱりの床近くに、ゾエが鍵穴を見つけたようだった。彼女が場所を譲ると、ナリッサがペンダントチャームにしか見えない小さな鍵を手に花瓶の下にしゃがみ込む。鍵を持つ手がかすかに震えていた。 「金銀財宝かもしれないぞ」 ケケケッとジゼルが笑う。 金色のオーラや銀色のオーラに関する何かなら、その表現もあながち間違いじゃない。 「開けるね」 ナリッサは宣言し、穴に鍵を差し込んだ。でっぱりに沿って光が走り、その光がおさまるとちょうど彼女の目の前に直径二センチほどの丸い穴が開く。取手のようだ。 ナリッサは無言のまま穴に人差し指を突っ込んで手前に引いた。パカッと軽い音を立て、扉になったでっぱりの一面が開く。 「木箱よ」ナリッサが口にした。 縦横五十センチ、深さは三十センチほど。鍵はかかっていないらしく、ナリッサはヒョイと上蓋を持ち上げる。中身はもちろん金銀財宝などではなく、手紙と数冊のノートだった。 ナリッサは一番上の封筒を手に取ってながめた。 「お母さん宛てのものだわ。差出人は……、ケイル。たぶん、お母さんの従兄だと思う」 その言葉であたしとジゼルはピンときた。 「治癒師か?」ジゼルが聞く。 「うん。辺境地で活動してる流浪の治癒師だって聞いたわ。わたしのお母さんもずっとそうだったの。ケイルおじさんには会ったことないけど、お母さんがおじさん宛てに手紙を書いているところは何度か見た。マナ滞留症状のことでやりとりしてるみたいだったけど」 ナリッサが封筒から便箋を取り出すと、ゾエが手に持っていたランプをかざした。 彼女が手紙に目を通している無言の時間、ジゼルはナリッサの肩に乗って文章を読み、ゾエは意図的に便箋から視線をそらしていた。あたしはナリッサにうっかり憑依してしまわないよう、少し離れたところで目を凝らしたけれど、字が小さくて読めない。 「ねえ、ジゼル。なんて書いてあるの?」 「予想通りだ」 ジゼルが口にして、ナリッサが肩の猫をチラッと見た。 「予想通り、か。そうね、考えてなかったわけじゃないわ。ゾエはきっと気づいてたんでしょう? わたしがイブナリア王族の血を引いてるって」 ゾエは神妙な顔でコクリとうなずく。 「やっぱり、わたしは皇族じゃなかった」 「えっ? どういうことですか?」 目を見開いたゾエの顔は、青白いマナ石ランプの光に下から照らされてちょっと怖い。ナリッサは不思議そうに首をかしげている。 「ゾエは知ってたんじゃないの? わたしの父親がガルシア公爵様だって」 「えっ? ……いえ、わたしは。……本当なのですか?」 「イアンはおそらく気づいてるぞ」 ジゼルが言うと、ナリッサは「やっぱり」と苦笑する。 「ゾエ、わたしはガルシア公爵様とイブナリア王族の血を引く治癒師、ローズの娘みたい。お母さんは皇帝陛下の命を救ったみたいだけど、わたしは陛下の娘ではない。陛下もすべてご存じのようだわ」 「公爵様が……」 ゾエは呆然とした顔をしていた。亡国イブナリアの末裔が目の前に存在することよりも、目の前の少女がガルシア公爵とローズの娘だということの方がよっぽど信じられないと言うように。 「お兄様は知っているのかしら」 ナリッサはため息をつく。 「どうして急にわたしに構うようになったのか不思議だったけど、もしかしたら金色のオーラを受け継いでいると知ったのかもしれないわね。利用できると思って優しくしてるのかも。でも、皇帝陛下はわたしの素性を知りながらずっと遠ざけたままでいる」 八才で皇宮に来て十四才近くまで放置されたナリッサ。疑り深くなるのは仕方のないことだけど、 「ユーリックはナリッサが好きなんだってば」 あたしの言葉はどうしてナリッサに届かないんだろう。この世界の誰よりあたしがナリッサのことを知ってるはずなのに。 「やっぱりお前は魔獣使いには向かないな」 引っくり返した木箱の上蓋の中で丸くなったジゼルが、むくっと顔をあげてナリッサを見上げた。 「生き残るには疑うことも必要だが、ほどほどにしないと待っているのは孤独な人生だぞ」 ランプの光を映したナリッサの瞳が、真実を探すようにふらふら揺れている。ゾエが「あの」と躊躇いがちに口を開いた。 「ナリッサ様、金色のオーラと銀色のオーラの関係は複雑です。イブナリア王国を滅ぼしたのは銀色のオーラを持つグブリア皇家ですし、イブナリア王国が滅びた後も王国の象徴であった世界樹を信仰する民は帝国に多く存在します」 「世界樹信仰……。〝聖女〟もそうよね」 「そうです。世界樹信仰は帝都においては盛んではありませんが、帝都から一歩外に出ると多くの地域で根強く残っています。といっても形態は地域ごとに様々で、狂信的な信者が聖女降臨のために魔獣を捧げた儀式を行っているという噂も耳にします」 愚かな、とジゼルが鼻で笑ったのはゾエにもわかったようだ。彼女は背を押されたように話を続ける。 「世界樹が失われた今、信仰が危険思想に向かわないためにも世界樹が果たしていた役割を解き明かす必要があります」 「解き明かしたところで事態が良い方に行くとも限らないだろう?」 ジゼルはゾエに問いかけたけれど、当然伝わるはずもなく、白猫はハァと吐息を漏らした。そのあと何か思いついたようにニッと笑う。 「そういえば、召喚待機世界にこういうのがあったな。鏡文字は面倒だから」 ストッとゾエの肩に乗り、ジゼルは「これなら伝わるか?」と宙に光で文字を書いた。 『これなら伝わるか?』 目の前に浮かび上がった文字にゾエは歓喜している。 そういえば、前にいた世界に喋った言葉がすぐ表示されるガラス板みたいなのがあった。耳の聞こえない人と会話するためのものだったはず。 「すごいです、ジゼル様。さすが聖魔様です」 ゾエの信仰の対象が白猫になりそうな予感がした。祈るように両手を組んで光の文字を見つめている。ジゼルも聖魔と呼ばれるのはまんざらでもなさそう……というか、たぶん呼んで欲しがってるよね。 「よっ、さすが聖魔!」 あたしが横から声をかけるとヒゲがピンとなる。あまり調子に乗せるとこのまま夜が明けてしまいそうだ。 「で、ジゼルは何を言おうと思ったの?」 何の話だったっけ、というようにジゼルは首をひねったけれど、すぐ思い出したようだった。 「世界樹研究やイブナリア研究を進めたところで、信仰が過激になるのを抑えられるとも思えん」 光の文字になったジゼルの言葉をゾエが目で追っている。「なぜですか?」と彼女は聞いた。 「そもそも世界樹を信仰している人間のほとんどが平民だろう? お前がいくら論文を書いても文字すら読めない人間には無関係な話だし、貴族でさえ閲覧するのに皇家の許可がいるのだ。研究と信仰は結びつかん。それにしても、グブリア帝国が世界樹信仰を禁制にしなかったのは不思議だな」 たしかに、グブリア帝国が焼き払った世界樹の信仰を許してるなんて。 「世界樹信仰は民間信仰です。決められた教義があるわけではなく、経典もありません。禁止しようにも禁止しようがなかったのです。ですが、昨今、聖女降臨の儀式のようなことも耳にしますし今後どうなるかは」 「じゃあ、皇女のわたしが金色のオーラを発現したらどうなるの?」 ナリッサの蒼白な顔は、マナ石ランプの色のせいというわけではなさそうだった。 「混乱が起きることは間違いないでしょう。でも、皇帝陛下がすべて知った上でナリッサ様を皇女として迎えられたのなら、きっと何か考えがおありになるのだと思います」 「ないと思うぞ、あの凡夫は」 失笑するジゼルに、二人は意外そうに顔を見合わせた。「いずれにせよ」とゾエが咳払いする。ジゼルの言葉に同意したら不敬罪にあたるのだろう。 「グブリア帝国民の多くはおそらく金色のオーラを持つ聖女を皇帝にと望むはずです。それを利用しようとする貴族もいるでしょう。反対に、銀色のオーラを支持する皇帝派からは……」 ゾエが言葉を濁すと、「殺されるかもしれないわね」とナリッサが続けた。 「まあ、殺されそうになったら助けてやるさ。気が向いたらな」 「ジゼルは今日も助けてくれたしね」 ナリッサは傷の癒えた手の甲をさすった。 「言っておくが、今日のやつはおそらくお前を殺そうとしたんじゃないぞ。危ない目に合わせてお前のオーラを発現させようとしたんだ」 「本当? 誰がそんなこと」 「それが分かったら苦労しない。ただ、色々状況を考えると犯人はお前が金色のオーラを受け継ぐ者だと知っている」 「色々な状況って?」 「それはまあ色々だ」 ジゼルがすっとぼけたのはイアンを庇ったのだろう。 まあいいわ、とナリッサは箱の中身をごそっと取り出して執務机の上に広げた。手紙はケイルからのものばかり。箱に入っていたときは手紙に隠れていたノートの表紙に全員の視線が集中した。 「オーラ(・・・)滞留症状とありますね」 ゾエが口にし、ナリッサがそのノートをめくった。 「今から十五年ほど前のようだな」 「わたしが生まれる前ね。記録を見る限りマナ滞留症状の治癒方法と変わらないようだけど、オーラの滞留ってことは」 「患者の名前はないが皇帝の治癒記録で間違いないだろうな」 ナリッサは別のノートも一冊ずつ確認していった。 オーラ滞留症状の記録が一冊、オーラの回復維持に関する考察が一冊、マナ滞留症状に関する辺境地の状況や症例をまとめたものが数冊。どれも正規の記録ではなくローズが個人的につけたもののようで、走り書きの文字に、あちこちに考察が付け加えられている。 すべてパラパラとめくったあと、ナリッサは最初に開いたオーラ滞留症状の記録を開いた。 「〝マナと違い、オーラは世界を循環していない。人間の内部から湧き出て、放出すれば戻って来ることはない。マナのように外部から吸収することもできない。オーラの経路に異常が生じて放出が滞るとマナ滞留症状と酷似した症状を起こす。魔力の大きさとは水を溜める器、もしくは池や湖の大きさのことであり、オーラの大きさとは泉から湧き出る水量に例えられる〟」 ナリッサが読み上げるのを「なるほどな」とジゼルがうなずいて聞いている。 「〝マナとオーラは水と油のようでもある。オーラの滞留を魔力によって治癒できるかは不明。オーラの滞留症状にはオーラによる放出経路の回復が必要だが、銀色のオーラの放出は〝放出〟というより〝発散〟に近く、他者の放出経路を回復するような細かなコントロールは難しいと思われる〟」 ゾエはこぶしを握りしめ、衝動的にノートをめくりたくなるのを堪えているようだった。ナリッサはパタンとノートを閉じ、縋るような目つきのゾエに苦笑しながら木箱に入れる。 「ねえ、ゾエ。これはきっと表に出てはいけない記録よね?」 「……そうですね。少なくともオーラ滞留症状に関するものは皇家の人間以外が知ってはならないことだと思います。正規の治癒記録はきっと銀月宮に保管されているでしょうが」 「ガルシア公爵様は、どうしてわたしにこれを渡したのかしら。お母さんがそうしてと言ったのかしら。万が一、陛下がまたオーラ滞留症状を起こしたとき、わたしが治癒できるように?」 「そういえば」とジゼルが蓋の開いたままの木箱に手をかけた。 「オーラの回復維持という記録もあったな。お前の母親が死んでから皇帝のオーラはずいぶん弱まったらしい。お前にオーラ回復させるつもりなのかもしれないな」 ジゼルの言葉に、ナリッサはじっと木箱を睨みつける。そして過去を封印するように蓋を閉じた。 「ごめん、ゾエ」 唐突な謝罪の言葉にゾエは困惑したようだった。 「どうしてわたしに謝られるのですか?」 「ガルシア公爵様が何を考えているのかよく分からないわ。わたしを陛下の専属治癒師にしたいだけなら自分が父親であることをバラす必要はない。ひとつ分かったのは、公爵様がわたしと直接会って説明してくれるつもりがないってこと」 ナリッサの強い口調に、「そんな」とゾエは狼狽している。ジゼルは楽しそうにニヤニヤ笑いを浮かべている。 「わたしが今夜目にした公爵様の言葉は『石榴宮の執務室』それだけよ? 父親だと打ち明けるために他人の書いた手紙をよこして、こんな重大な秘密まで押し付けて、わたしにどうしろっていうのかしら。だからね」 と、ナリッサは悪女の笑みを浮かべた。 「このノートはノードに渡すわ。あら、ノートにノードだなんて語呂がいい」 えっ、とゾエが声を漏らした。ナリッサは悩みの吹っ切れたような顔をしている。 「ですがナリッサ様。もしナリッサ様が魔塔に情報を漏らしたと知れたら……」 「今さらよ。ジゼルがここにいるんだから。わたしがこのノートを持っていてもオーラ滞留症状の治癒方法は発展しないわ。きっとオーラ滞留症状と気づかずに亡くなってしまった人もいるはずよ」 「でしたらニール研究所で……」 「ニールでできるの?」 「……いえ、ニール研究所ではオーラや魔力を直に扱った研究はできません」 ゾエは悔しそうに下唇を噛んだ。 「大丈夫よ、ゾエ」とナリッサは明るく笑う。 「こんな危ないもの石榴宮に置いておくより、ノードの亜空間に隠してもらった方がいいのよ。いざとなったら本当に怖いのは皇家よりも魔塔主様なんだから、共犯者にしておかなくちゃ。だから、ノートはノードに譲渡(ジョート)!」 決め台詞にナリッサは満足そうだけど、完全にオヤジギャグだぞ。 「それにほら、わたしには皇家の血が流れてないんだから、皇家に従う義理はなくない?」 「悪女だな」 ジゼルがケケケッと笑った。ナリッサは「ひどい」と頬をふくらませたけど、あたしも小説の中のナリッサが目の前に現れたような気がしている。女優サラが演じてるナリッサ役はだいたいこんなイメージだ。 「ねえジゼル、ノードはやっぱり忙しい?」 ああ、とジゼルは耳をピンと立て、ノードの居場所を探ったようだった。この気配の方角と距離感は、どうやらもう帰ってそう。 「どうせなら今魔塔主を呼んで来るか? 魔塔には戻ってるようだからな」 ナリッサに聞くふりをしながら、ジゼルはあたしに視線を送ってくる。それはつまり、 「あたしが呼んで来るの?」 「ゲートで今ここに来れば、ちょうど護衛の騎士もいないし誰にもバレる心配はない。魔塔主もオーラの貴重な資料があるとわかれば飛んで来るだろう」 そうかな。疲れてないかな。 ナリッサは「いいの?」と期待の眼差し。 ジゼルは尻尾をひょいと窓に向けて振り、「行け」というジェスチャーで主をこき使う。まあいっか。あたしはすでに行く気満々だ。 「じゃあちょっとだけ待っててね。呼んで来るから」 カーテンの引かれた執務室の窓から外に飛び出すと、池に赤銅色の月が映り込んでいた。頭上に赤い月、青白い月はここからはもう見えなくなっている。 皇宮の丘の暗く沈黙した木々は、夜毎眺めてきた魔塔の林よりもどこか不気味だった。魔獣の住む魔塔の林の方がよっぽど危険なのは分かっているけれど、林の生き物たちは魔力を纏っているから気配がわかる。闇に包まれた皇宮の丘は、魔力のない人間が気配なく蠢いている。 河の上を飛びながら後ろを振り返ると、紫蘭宮の白い城壁が月の光でわずかに赤みを帯びていた。 事件のあった市場の外れの広場にはまだいくつか明かりが灯っている。人が動く気配はなく、残っているのは見張りだけ。 ノードは、あたしが近づいてることに気づいてるだろうか。 魔塔の林を過ぎて裏門側から敷地に入り、円錐屋根に降り立つと小窓から中をのぞきこんだ。お疲れノードはローブをはおったままベッドに突っ伏している。
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