怪しい護衛騎士とオクレール男爵家の裏の顔

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怪しい護衛騎士とオクレール男爵家の裏の顔

イタチ魔獣の襲撃から一週間。雨が何度か降り、石榴の庭園を彩っていた朱色の花はすっかりなくなってしまった。 空色の鳥も見かけない。スクルースの人間バージョンを見たあのとき以来、石榴宮には来ていないようだった。 事件のことで忙しいのか、ジゼルが居座っているから来たくないのか。それか、あまりに大胆な諜報活動が危なっかしくてユーリックからお役御免を食らったのかも。 あたしのうっかりもスクルース並みに危ないけど、石榴宮での諜報活動は継続中だ。別にノードに頼まれたわけじゃないし、気持ち的にはナリッサの守護霊。 石榴宮の日々は表面的には平穏に過ぎていた。 ナリッサの主な日課は勉強とダンスの練習。使用人が寝静まった深夜に執務室に行ってケイルからの手紙を読んでいる。 内容は彼が治癒にあたったマナ滞留症状に関することがほとんどで、ナリッサの出生やローズとガルシア公爵の関係に触れているのはあの夜ナリッサが最初に手にした一通だけだった。おそらくナリッサがまだ赤ちゃんの頃に書かれた手紙。 ケイルは手紙の中で繰り返しローズに帝都を出るよう説得していた。 ――ローズが言うように公爵様は悪い方ではないのだろう。でも、治癒の光を見られた相手が悪すぎる。彼らのは破壊の光だ。我々も魔術師のように完全管理されるか、それとも二百年前の惨劇をこの目で見ることになるのか。どちらも悲劇だ。利用されるだけでは済まない。おそらく彼らは我々一族を探しているだろう。君とナリッサは人質のようなものだ。逃げられるうちに早く帝都を出た方がいい。 ナリッサは何度もその手紙を読み返し、彼女がため息を吐くたびジゼルが「聖女にはなれても魔獣使いには向かんな」と笑う。 外出はしばらく控えるようにとユーリックに言われていたせいもあり、ナリッサは半ひきこもり状態だった。天気が良くてもジゼルと一緒に庭を散歩するくらいで、石榴宮の敷地外へは出ていない。 「外出する必要がある時は言うように。わたしも一緒に行く」 先日石榴宮を訪れたユーリックがそう口にしたとき、あたしは憑依してデートの約束をとりつけようかと思った。断念したのはノードがまだ忙しそうだったのと、ナリッサが速攻で「出かけないので平気です」と言い切ったせいだ。 ここで〝ツン〟はいらないんだよ、〝ツン〟は。 ユーリックにはおそらく〝デレ〟の方が有効。実際、このときのユーリックがちょっと残念そうにしていたのを、あたしはチェストと同化して見守っていた。 「それにしても、皇太子はずいぶん過保護だな」 ジゼルの言葉に「そう?」とナリッサが首をかしげる。 二人が並んで見ているのは、たった今石榴宮に届けられたばかりの真っ白なドレス。送り主はユーリック。 ジゼルは物珍しそうにドレスの周りをぐるっと一周し、裾の下から内側に潜り込んだ。 「あっ、ジゼル様」 ポピーの顔が真っ青になる。 「平気よ、ポピー。ジゼルは汚したり破ったりしないから」 ナリッサはそう言ったけど、うっかりトリオ所属のあたしはちょっと心配。 普通のドレスだったら頭を突っ込んで中の様子が見れるけど、このドレスには魔術が施されている。 細かな鉱石を散りばめた純白のドレス。透明な石はすべてマナ石で、光を乱反射してキラキラ光っていた。そばに寄っても魔力は感じられないけれど、それはジゼルのリボンやノードのローブのように魔力を抑える魔術が付与されているから。 「ユーリックにドレスの魔術付与を頼まれました」とノードが言っていたのは三日前のことだ。 白いレースの裾から白猫がヒョコッと顔を出した。 「魔力抑制と魔力付与による強化だけかと思ったら、防御魔法も付与されているようだ。このまえ魔獣に襲われたせいか、お前の兄はよほど心配らしいな」 兄じゃない、と言うようにナリッサがそっぽを向く。 なかなかドレスに触れようとしないナリッサの代わりに、あたしは近くに寄ってながめた。指先でそっと触れるとちゃんと布の感触がある。 初夏の舞踏会でのデビュタントのドレスは白と決まっているらしい。純白ドレスの令嬢ばかりが集まるなんて、ブライダルファッションショーみたいだ。着るのは十四才の女の子たちだけど。 コンコンとノックの音がし、執事の声が聞こえる前に「到着された?」とナリッサが扉の向こうに声をかけた。 「はい、下でお待ちです」とエンドーの声。 「すぐ行くわ」 「来たか」 やけに嬉しそうに扉へと駆けて行くジゼルに、ナリッサは不満げな表情を浮かべる。それを察したのか、ジゼルは大人びた流し目で振り返った。 「ぼくはイアンからも頼まれてたんだ。お前の傍にいた方がいいって」 ナリッサは驚いたようだったけれど、ポピーがいる前で話すわけにいかない。どういうこと? と聞く代わりに彼女は首をかしげた。 「イアンは変人で腹黒だが、イブナリア王族の血を引くお前を傷つけることはない。そういえば、イアンはゾエに惚れてるからあいつも呼んでやれ」 ナリッサはエッと声を漏らし、ゴホンゴホンとわざとらしい咳払いで誤魔化した。ポピーが「大丈夫ですか」と心配そうにナリッサの顔をのぞきこんでいる。 「大丈夫だから、行きましょう」 ポピーがドアを開けると、白猫はダッシュで階段を駆け下りて行く。いつか本当にピアスを壊してイアンと契約しちゃうんじゃないだろうか。 あたしは誰もいなくなったナリッサの部屋で、窓の外にスクルースがいないことを確認してドレスに触れた。裾と袖口には細かな銀糸の刺繍が施されている。 赤い髪のナリッサには銀糸より金糸が似合う。でも、この銀糸の刺繍はユーリックの気持ち。 銀糸は騎士団の制服にも使われている。皇家以外使用禁止というわけではないらしいけど、皇族または元皇族以外の貴族たちは使用を避けるのが普通なのだとポピーが言っていた。ユーリックは、ナリッサにも銀糸を身に纏う権利があると言いたかったんだ。 「これがプロポーズだったらロマンチックなのに」 ユーリックがそこらへんの貴族の令嬢に銀糸の刺繍をしたドレスを送ったとしたら世間はざわつくはず。それは「皇家に入ってくれ」という意思表示のようなものだから。 そういえば、ノードの寝室にある白いローブには縁に紺色の糸で刺繍がされている。サイズ感は明らかに女性のものだけど、召喚翌日にユーリックが突然魔塔を訪れたときにはすでにあったから、あたしのために準備されたものでないのは確かだ。だとしたら、やっぱりミラニアのものだろうか。 ――こうやって白いローブをはおると本当に彼女が生き返ったようです。 ノードはそう言っていた。 二百年前に死んだ人のローブにしては傷みも汚れもないけれど、亡国イブナリアの魔術師ノード様なら劣化防止も状態回復もできそうだ。それに、汚れていなくても新品という感じはない。 カリカリと爪でドアを掻く音がした。廊下に顔を出してみるとジゼルが「何やってたんだ?」と宙に浮いたあたしを見上げる。 「ドレス見てただけ。ナリッサたちは?」 「執務室だ」 「執務室?」 階段近くにイアンの護衛騎士オクレール卿が立っている。彼はチラチラと白猫の様子をうかがっていた。 「あの人、まだイアンについてるんだね」 「イアンのことだから傍において尻尾を掴むつもりなんだろう。まあ、イアンの勘が外れたのかもしれんが」 「あたしの勘もオクレール卿が怪しいって言ってる。男爵が魔獣の商売してる上に裏で情報屋やってるんだもん」 捜査によってイタチ魔獣の出どころはある程度絞れたらしい。その中には魔獣の販売事業をしているオクレール男爵の名もあったようだけど、男爵が事件の時の魔獣を販売したという確証は得られなかったとか。 イタチはペット魔獣として取引されるだけでなく、毛皮に熱耐性があることから別ルートでも頻繁に取引されていて、複数の業者から仕入れたのかもしれないとノードは言っていた。 事件のとき一匹だけいた三本の尻尾を持つイタチ魔獣は帝都ではペット不可。他領地では許可しているところも多く比較的高価で取引されているらしいけど、その販売元も掴むことはできなかったようだ。 イタチたちを使役した魔術師のことも今のところ情報は皆無だった。魔力抑制マントで気配を消したと推測され、現場に残った魔力の気配から低級魔術師だろうと言われている。 こういう事件が起こるたび、魔塔では一斉聞き取り調査が行われるらしく、シドの時に続いてまただから魔塔内はちょっとザワついているらしい。 ノードも大変。 あたしは右耳のピアスに触れた。ノードが触れたあたしのピアス。最近、ノードのことを考えると無意識にピアスに手を伸ばしている。 「主、ぼんやりしてないで行くぞ。ゾエもいる」 執務室の前に来ると、内側から結界が張られているのが分かった。この感じはたぶん防音結界だと思うけど、 「これって、ゾエの仕業?」 「ああ。研究所やガルシア公爵邸にあったのと同じ魔法具だ。主が入れないと思って迎えに来てやったんだぞ」 「さすが聖魔様」 最近言い過ぎたせいか、このお世辞はもう通用しないらしい。ジゼルの目が「心にもないことを」と言っている。 白猫がドアに爪を立てようとしたとき、何を思ったかオクレール男爵がチッ、チッと舌を鳴らしながら手を伸ばしてきた。ジゼルがピクッと耳を立て、横に飛び退る。 「こいつ、魔力があるのか?」 「えっ? もしかして魔術師なの?」 「いや、ギリギリ治癒師になれるかなれないかという程度だと思うが……」 ジゼルがチラッとオクレール卿の手首に目をやった。前に見た腕輪はそこにない。必要なくなったということ? 「ジゼルの声は聞こえてないみたいだけど」 「お前、あの日の魔術師を知ってるか?」 ジゼルがオクレール卿に向かって問いかけたけれど、彼は変わらず舌を鳴らして魔獣を手懐けようとしている。 不意に執務室のドアが開いてゾエが顔を出した。オクレール卿は素知らぬふりでいつの間にか直立している。 「あ、ジゼル様が戻って来られました」 結界が作用するのは閉鎖空間らしく、扉が開いている隙にあたしは部屋の中に侵入する。ナリッサとイアンはソファに向かい合って座っていた。 「ジゼル、何しに行ってたの?」 「お前の寝室のドアで爪研ぎすると落ち着くんだ」 雑な言いわけだなあ、と思いながら、あたしは窓辺に行って池を見下ろした。結界のせいで窓に触れるとガラスの感触がある。そういえば、足裏にもちゃんと床を感じる。 「おい、イアン」 白猫はぞんざいに公爵令息を呼び捨てにした。 「何ですか、聖獣のジゼル様」 イアンの言葉にジゼルがピンとヒゲを立てる。 「聞いたよ。ナリッサ様の傷を治癒したって? 召喚獣ってやっぱりすごいんだね。そこら辺の魔獣とは全然違う」 「あたりまえだ。召喚獣には自我があり理性がある。本能で生きてるだけの獣と一緒にするな」 ふとゾエの表情に目をとめ、ジゼルは「これでいいか?」と光の文字を浮かべた。イアンが首をかしげているのは周りが明るくて字が見えないからだ。ナリッサが窓辺に駆け寄ってカーテンを引くと、イアンのテンションが爆上がりする。 「ゾエ先生もこれで完全な共犯ですね!」 「共犯なんて言い方はやめてください、ベルトラン卿」 ゾエの無表情が困惑している。彼女の無表情の微妙な変化を一番正確にとらえているのはイアンかもしれない。 「ところでイアン、あの護衛騎士のことだが魔力がおかしくないか?」 ジゼルは音もたてずテーブルに飛び乗った。 大きな白いバラの花束がテーブルに置かれている。ゾエの手にはその三分の一ほどの小さな花束があり、ふたつともイアンからの贈りもののようだけど、ゾエのはバラではなくもっと庶民的な感じのかわいらしい花束だ。 ゾエが「どういうことですか?」とドアを振り返った。 「騎士のマントはおそらく魔力抑制の魔術が施されている。ぼくのリボンや、皇太子がナリッサに贈ったドレスにかけられた魔術と同じものだ」 ああ、とイアンが納得した様子でうなずいたのは、騎士の魔力のことではなく別件のようだった。 「皇太子殿下を通じて舞踏会のお返事をいただいたとき、ドレスも贈りたいとお話したのですが断られたんです。魔術付与のためだったんですね。それにしてもオクレール卿に魔力なんて、ぼくは何も感じなかったけど」 「お前はオーラも魔力も雀の涙だから感知できないだろうな。ぼくもたまたまマントから漏れた魔力を感じただけだ。魔力自体は微々たるものだが」 「ぼくとどっちが多い?」 イアンは真面目に聞いたけれど、ジゼルは呆れ気味にフンと鼻を鳴らした。 「騎士のが微々たる魔力なら、お前のは微々微々微々たる魔力だ。それよりも、あの感じはお前のに似ている」 イアンの魔力に似てるってことは…… 「似ているが当然オーラの気配はない。先日お前から感じた魔力に似ているんだ。おそらく人間と魔獣では体内での魔力錬成が微妙に異なるのだろう。だからこそ自我のない魔獣の魔力が体内に入ったら精神錯乱が起こったりするのだが」 ジゼルとイアンのやりとりを、ナリッサは怪訝な顔つきで聞いていた。ゾエは能面を保ちながらも花束を持つ手がかすかに震えている。 「聖魔様、それは文字にしないでくれた方がありがたかったんだけど」 隠すのも限界と思ったのか、イアンは「実験ですよ、先生」と作ったような笑みをゾエに向けた。次の瞬間花束が飛び、イアンの胸にぶつかって膝に落ちる。花びらがヒラヒラと舞って床に散った。 「何考えてんの?」 ゾエの声は怒りを押し込めるようにわなわなと震えている。 「ぼくの銀色のオーラは魔力と融合するのか。実験結果はふたつの力は融合することなく一方を増やせば一方が減る、です」 「そんな平然と。魔獣との契約は重罪よ」 ゾエの言葉にナリッサの肩がピクッと動いたけれど、ゾエもイアンもお互いしか目に入っていないようだった。 「証拠はありません。素質がないらしく、いくらがんばっても魔力探知に引っかからないほどの微々たる魔力しか得られませんでした。バレる心配はありません」 「でも、ジゼル様がさっき精神錯乱を起こすって」 「それは討伐対象になるほどの魔力を持った魔獣の場合です。そんなのと血の契約なんて、ぼくには一生かかっても無理でしょうね」 「無理だな」とジゼルがすかさず言う。 「それに、イアンが魔獣から得た魔力はすでに放出されている。今持っているのはお前自身が錬成した魔力だ。おそらくだが、オーラ発現時に一度塞がれたマナ経路が血の契約によって強引に開かれたのだろう」 「マナ経路が開かれてオーラが減少するってことは、マナとオーラは経路を共有してるってことだよね。でも、それならオクレール卿の場合はどうなの?」 「素質があったんだろう。子どもたちに魔術を教える者がいないグブリアでは能力に気付けない者が多く埋もれている。だが、魔力コントロールできない者が外部からの魔力供給で強引に魔力を増やしたのだとしたら、少々心配だな。今のところ大丈夫だとは思うが」 「イアンが教えたの?」 ゾエがドスの効いた声で聞いた。 小説の中でのゾエの〝能面〟は無表情の意味だったけど、ゾエが今つけているのは能面の中でも〝般若〟だ。 「オクレール卿とあなたは同じ方法で魔力を増やしたんでしょう?」 「そうかもしれないけど、ぼくは教えてない」 「それなら誰が教えたっていうの? そこら辺の騎士が本を読んで知れるようなことじゃないでしょう? 血の契約なんて、わたしでも詳細は知らないのに」 膝の上の花束を軽く整え、イアンは立ち上がってゾエに差し出した。当然ながらゾエは無視したままイアンを睨んでいる。 「ゾエ先生は知らないでしょうが」 やや皮肉っぽくイアンが言葉を止めた。こういうイアンは見ててムカつく。ゾエは苛立ち紛れに彼の手から花束を奪い取って「何?」と先を促した。 「宰相の情報源の一人なんですよ、彼の父親であるオクレール男爵は。裏稼業で情報屋をやってますし、特に魔術に関する情報をかなり持ってる。息子が血の契約の魔法陣を知っていても不思議ではありません。ゾエ先生も聖女降臨のために魔獣を使った儀式が行われているという話を知ってるでしょう?」 ナリッサと視線を交わし、ゾエは警戒の眼差しをイアンに向けたままうなずいた。 「オクレール男爵は魔獣取引事業をしてるので今回の事件で捜査対象になったのですが、元々聖女に捧げる供物として魔獣を仕入れていたのが事業の始まりらしいです。たぶん、男爵は世界樹信仰の中でも独特な一派」 「宰相はどうしてそんな家門を放置しているの?」 花束を握りしめたまま反応のないゾエに代わり、ナリッサが訊ねた。 「実害がないからです。自然生息する魔獣の捕獲はむしろ農作物被害の減少に繋がってる。捕まえた魔獣を売るのは違法ではありませんし、魔力のない人間が魔法陣を描いて儀式を行ったところでただの〝ごっこ遊び〟。おそらく聖女降臨の魔法陣というのも魔術師が構築したものではなく信者が勝手に作り上げたものだと思います」 ケケッとジゼルが笑った。 「だろうな。そんな魔術は聞いたことがない。だが、ごっこ遊びは家の中でとどめておいてもらわないと困る。あの騎士を傍に置いておくのは危なくないのか」 ジゼルの視線につられ、みんながドアに目をやった。外からの音は完全に遮断されているわけではなく、時おり廊下を歩く音や話し声が聞こえてくる。オクレール卿がどうしているのか気になるけど、結界が張られている以上あたしがここから出るにはドアを開けるしか方法がない。 「オクレール卿をぼくにつけてるのは宰相だから、あの人が任を解かない限りどうしようもない。宰相はズルい人です。宰相に確認してみたら、与太話として皇女殿下のオーラの可能性を男爵に話したと言っていました。それを聞いたオクレール男爵がどう動くか予測していたはずだ」 「わたしのオーラの可能性って?」 ナリッサが射るような目でイアンを見たけれど、彼が返すのは受け流すようなアイドルスマイル。 「聖女降臨ですよ」 押し黙ったナリッサを見てイアンは申し訳なさそうに眉を寄せた。そのとき、廊下からドサッと何か崩れ落ちる音がした。 全員が顔を見合わせ、一番近くにいたゾエが扉を開ける。 「あっ、オクレール卿」 慌てて廊下に飛び出したゾエに、イアンとナリッサが続く。扉が閉まる前にジゼルとあたしも彼らを追った。 「ナリッサ様、熱があるみたいです」 廊下にはオクレール卿が倒れている。先に駆け寄ったゾエがナリッサを振り返ったのは、彼女が治癒師だからだ。ナリッサはオクレールのマントを脱がせ、右の手で彼の首に、左の手で手首に触れる。 「これって……」 ジゼルがケケケッと笑った。 「噂のマナ滞留症状か」 「マナ滞留症状?」 光の文字がなかったせいか、イアンの言葉で一瞬遅れてゾエが驚いた顔をした。 エントランスにいたエンドーとポピーが異変に気づいて階段を上がってくる。オクレール卿は意識を失ってはいないようだったけれど、自分の足で立つことはできなさそうだった。
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