舞踏会、お姫様への献上品は魔獣たち

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舞踏会、お姫様への献上品は魔獣たち

日暮れ前に昇った月は、前にいた世界と同じように白かった。皇城の広間に集まった令嬢たちのドレスも白、白、真っ白。 レースをふんだんに使った初夏らしい軽やかなドレスや、いかにも正装といった雰囲気のクラシックなドレス。その中でもナリッサのドレスは清楚で涼やか&ゴージャス。 やっぱりブライダルファッションショーみたいだ。 皇帝陛下への謁見がメインだからか露出は控えめで、裾は長く足首も見えない。髪は基本的にアップ。ナリッサも朝から侍女にあれこれされるがまま、イアンが馬車で迎えに来たときには完璧なお姫様になっていた。お姫様っていうより小さな花嫁。 皇帝が会場に来るのは月がふたつ昇った後。今はまだ夕刻。 オーケストラが広間の右手で準備をしている。 デビュタントたちもすでに皇城広間に集められ、皇帝陛下謁見のためのリハーサル中。広間中央に通路を開けて左右ふたつのブロックに分けられ、パートナーと一緒に担当官吏の説明を聞いている。 本番では、デビュタントはパートナーと並んで順番に中央通路を行進する。そのときのダンスがパヴァーヌ。ゆったりした歩調にあわせてユラユラ揺れてるだけのようにも見えるけど、たまに男女の位置が入れ替わったり、膝を曲げたり。とにかく軽快なワルツとは正反対。 中央通路の先には階段があり、本番ではその上に皇族が並ぶ。 真ん中の大きくて高そうな椅子は間違いなく皇帝カインの席。向かって右にふたつあるのは、おそらく皇太子ユーリックと皇太子妃エルゼの椅子。左手にはテーブルがいくつか置かれ、花や贈り物がのっている。ナリッサの椅子がないのは腹立たしいけれど、皇妃の席がないのも不思議だった。 デビュタントの舞踏会は若者向けイベントだから皇太子夫妻がいればいいってこと?  それともナリッサと顔をあわせたくないとか? だとしたらやっぱり腹立たしい。 もしナリッサの椅子があったとしたらエルゼの横か、それとも皇帝をはさんで左に座るのか。あたしの知ってるナリッサは三人いるけど、階段の上に席が準備されたことはない。 回帰前のナリッサは麻薬取引の濡れ衣を着せられて謹慎。十四才の初夏の舞踏会には出席していない。 回帰後のナリッサは今回と同じくイアンにエスコートされて舞踏会に出たけれど、ユーリックがダンスに誘ってくれなかったせいで〝ツン〟が発動。ジゼルにノードを呼びに行かせ、遅れて会場に現れた魔塔主とワルツを踊っている。 今回、ノードはすでに会場にいた。 魔塔主にも毎年招待状は届いていたらしい。でも、皇帝が出席を望んでいないのは明らかだったからこれまで欠席していたのだとか。 「今回はナリッサが可愛いから出席するんですか?」 あたしが聞いたら、 「皇太子殿下から内密に依頼されました。招待客に扮した警護です」 とノードは言っていた。 麻薬の件にしろ、魔獣襲撃にしろ、ナリッサの周りが物騒なのは間違いない。ドレスに防御魔法を付与するくらいではユーリック(おにーちゃん)は安心できないのだろう。しかも両事件に魔術師が絡んでいるとなると普通の騎士だけでは心許ない。 あたしがカーテンの陰からチラッと階下に目を向けると、タイミングを見計らったようにノードがあたしを見上げた。その視線は別のところに流れていったけど、完璧な微笑から伝わってくる警告? 脅迫? 大人しく留守番してくださいと言いましたよね――みたいな。 ジゼルはノードの足元でケケケッと笑ったようだった。 まったく、主を差し置いて舞踏会に行くなんて、ずいぶん薄情な魔獣。しかも皇室許可証の真鍮製タグを首にぶら下げている。ペット同伴のイケメン貴族令息っぽいコンビは、デビュタントの視線をチラチラ集めていた。 あたし一人石榴宮でお留守番なんてつまんない。小説の中で描写された皇城での舞踏会はキラキラして華やかだったし、読者として主人公の晴れ舞台を近くで見守りたいじゃない? ついでに言うと舞踏会用に着飾った推しをこの目で見ないなんて許されるはずがない。ピシっと決まった燕尾服はいつも着てるローブと同じ濃紺で、襟に金糸で刺繍が入れられている。強力な魔力抑制の魔術付与がされているらしく、あたしがノードから感じる魔力はいつもより少ない。オクレール男爵が魔力探知の魔法具をつけて来る可能性を考え、警戒されないよう準備したらしい。 めずらしくひとつに束ねた黒髪。後ろ姿のうなじからは魔力でなくフェロモンが溢れ出している。彼は会場中にフェロモンをまき散らしてデビュタントの令嬢たちを魅了しながら、不審な魔力がないか探っているようだった。 皇城の広間は小説から想像していた絢爛豪華なイメージとは違い、白をベースに銀、菫色でまとめられていてどこか宗教的で荘厳だ。 あたしが隠れているのは皇族席より高い位置でぐるりと広間を囲う細い通路。観覧席というほどの幅はなく、学校の体育館によくある点検用のキャットウォークみたいな感じ。 広間の三方にアーチ形の窓があり、ゆったりかけられたカーテンは菫色の生地に濃い紫で月と剣の紋様が入れられている。あたしはそのカーテンと同化し、たまに通り過ぎる警備の騎士に冷気をプレゼントしていた。 今のところ注意しなければいけないほどのオーラや魔力は感じないし、ノードも大丈夫だと思うから何も言って来ないのだろう。 ノードとジゼルは官吏に声をかけ、警護をひとり携えて階段を上がって来た。あたしを追い返すつもりかと思ったけど、ふたりが確認しているのは皇族席の後ろにある扉。 「この通路の先にあるのは皇族の方々の間です」と扉を開けて騎士が説明する。 「一般官吏の方も出入りしてますね」とノード。 「はい。銀月宮や紫蘭宮は皇家の方の私的な宮ですが、本宮と呼ばれるこの皇城は国務に携わる官吏の仕事場ですから」 「あ、スクルースだ」 密かに(じゃないけど)そばで説明を聞いていたあたしが通路の奥を指さすと、ノードが小さくため息を漏らした。足早に青い髪の騎士が歩いて来る。その背後に長身の騎士が見えた瞬間、ノードがあたしの手を掴んだ。 「ありがとうございました。では戻りましょうジゼル」 ノードが急ぐ理由はあたしも気づいてる。あれはランドの気配。 ノードが手を掴んでなければ幽霊スキルの数秒移動で隠れられるんだけど、彼は皇族席の端に寄せられた垂れ幕の陰にあたしを押しやった。そして、扉から出てきた副官と皇太子補佐官に声をかける。 「シュレーゼマン卿((スクルース))アルヘンソ卿((ランド))」 二人は同じタイミングでビクッと足を止めた。 「これは魔塔主様。ずいぶん早くお着きになられたのですね」 いつもの小鳥さんとはずいぶん印象の違う、落ち着いた口調の猫かぶりスクルースにあたしは思わず吹き出しそうになった。ノードを案内していた警護の騎士は「魔塔主」と聞いて驚いたようだ。彼は副官に促されて自分の持ち場に戻っていく。 「魔塔主殿、堅苦しい呼び方は気持ち悪いのでやめて下さい」 スクルースの隣に立つ、濃い灰色の髪の男性。瞳はふたつ目の月みたいな赤銅色で、左目の上に傷痕がある。背が高くがっしりしていて、〝騎士〟というより〝軍人〟という印象。 「ランド殿とお会いするのはお久しぶりですね。スクルース殿は少し前までよく見かけ(・・・)ましたが」 ノードの皮肉にスクルースはプイッと顔をそむけ、ランドがクッと吹き出す。 「皇太子殿下が皇女様を心配されてのことですので、鳥の粗相は大目に見て下さい。それより、陛下は皇太子殿下があなたに依頼されたことを知りません。招待客と思っておられますので、あまり目立つことはしないで下さい」 「白猫を連れて来いと命じたのは殿下ですが、それだけですでに目立っていますよ」 ニャア、とジゼルが猫っぷりをアピールする。 「他にも魔獣が来るのですぐ目立たなくなるかと。オクレール男爵が魔獣を献上するためここに連れて来ます」 エッ、とめずらしくノードが驚きを顔に出したのは批判の意を込めてだろう。 「あの事件の後なのにですか?」 「すでに魔獣の魔力測定は終えました。低ランクのペット魔獣。持参した結界檻も過剰と言えるくらい十分なものでした。魔獣は安全だとアピールしたいようです。そのオクレール男爵が到着したというので、今から行くところです。魔獣は庭園で一般客が観覧できるようにします」 「ランド殿、あの事件で重要なのは魔獣ではなく魔術師の存在だということはお分かりですよね」 「ええ。魔塔主殿が来てくださってとても心強い。オクレール男爵がこの件を伝えてきたのは昨日でした。明らかに何か企んでいると思いませんか?」 「そう思うなら断った方が賢明です」 「魔獣がすでに帝都に入ってしまったのなら、目の届かないところに魔獣をおいておくより、魔塔主殿の近くに連れてきた方が安全です。上手くいけば尻尾を掴めるかもしれません。では、急ぎますので」 ランドは「行くぞ」とスクルースの肩を押し、並んで階段を降りるとデビュタントたちの群れの中にいる銀髪の青年に声をかける。その隣には赤髪の皇女。 「サラさん」 垂れ幕に近づいて、ノードがこそっと声をかけてきた。 「魔獣を見に行きます。サラさんはくれぐれも大人しくしていて下さい」 「はいっ」 返事だけはいいんだから、みたいな顔をして、ノードとジゼルも階段を降りて行った。 ランドたちは会場の隅に控えていたオクレール卿に声をかけ、一緒に広間から出て行く。オクレール卿はイアンの護衛として来ているようだった。マリアンナも警備ではなくナリッサの護衛として控え、不安げなナリッサの視線を受け止めている。 場内で帯剣しているのは貴族の護衛騎士が数人、それに警備の紫蘭騎士団。デビュタントのパートナーの中にも騎士はいるけれど、彼らの腰にあるのは飾り物のようだ。 あたしはノードとジゼルが広間から出て行ったのを見届け、窓をすり抜けて外に出た。庭園ではせわしなく準備が進められ、点々と置かれたテーブルには花とグラスと、それにタパスみたいな軽食が並べられている。 開場待ちの貴族たちが何人かいたけれど、女性はデビュタントと違って色とりどりのドレスを身にまとっていた。ほとんどが若い令嬢令息。たまにいい年のオッサン貴族がいるのはオクレール男爵のように招待を受けたどこかの領主だろう。 盗み聞きした情報によれば、謁見のパヴァーヌが終わったら皇帝は退場して無礼講になるらしい。広間では舞踏会のワルツ、庭園で余興が行われる。 その余興のひとつに、今運び込まれている魔獣のケージが加わるらしい。鳥籠サイズのものから大きくても男性一人が抱えられる程度の大きさで、中にいる魔獣もハムスターみたいなのとかウサギっぽいのとか、いかにも無害そうなのを選んで持ってきたのがよく分かる。 魔獣が運ばれて来ると若い貴族たちは興味津々に近づいて行き、あっという間に人気の余興になった。 「反魔術ですか」 通りのいいバリトンは、オクレール卿の隣いるオッサン貴族の声だった。 オクレール卿はいかにもモブといった特徴のない顔だけど、オクレール男爵もその顔に口ひげと眼鏡が加わった中年モブ。この上なく普通の見た目なのに、中身が魔術狂いの狂信者というのが逆に怖い。 あたしはランドに見られないよう建物内から階下に降り、壁をすり抜けて植え込みの陰に隠れつつ彼らに近づいた。 古今東西、これほど他人の目を気にした幽霊がいただろうか、いやいない。 「たしかにそうですな」 オクレール男爵の声が聞こえてくる。 「檻に反魔術を施しておけば魔獣が操られる心配もありません。こんなに可愛らしい魔獣でも魔術で凶暴化されたら何をするか分かりませんから」 「あなたがそれをして下さると言うのですか?」 「ええ。わたしの魔力は低いですが、それほど難しい魔術ではありません。皇太子殿下の許可もいただいております」 どうやら魔術狂いは魔塔主の顔を知らないようだし、ノードは自分を低級魔術師と偽っているらしい。 オクレール男爵がチラッと左手首を見た。そこには以前オクレール卿がしていたのと同じような腕輪がはめられている。ノードの魔力を確認し、低級魔術師で間違いないと判断したようだった。 「ところで、魔術師様の連れているその白猫は魔獣ですね。噂では魔塔主様が白猫のような魔獣を飼っていると聞いたのですが、もしかしてその猫がそうなのですか」 「ええ。皇女殿下に可愛がっていただいているので、本日は特別に入城の許可をいただきました。先日の事件でこの子が活躍したのはご存じですか?」 ハッハ、とオクレール男爵は演技っぽい笑い声を出す。 「実は、その事件の関連で魔獣取引事業をしてるうちにも治安隊の方が聞き取りに来られましてね、その時に話を聞きました。イタチの熱波をものともせず首に噛みついたとか。さすが魔塔主様の魔獣ですな」 本当は部下に聞いたんだろうけど。 オクレール男爵はその場にしゃがみこみ、ジゼルに手を伸ばしてチッ、チッと舌を鳴らした。ジゼルは地面を蹴ってその手から遠ざかり、スクルースの足元に着地する。 「うあっ」 副官が片足をあげて猫を避け、ランドがクッと笑った。 「笑うなよ。急に来たら誰だって驚くだろ」 顔を赤くして反論する姿はやっぱり副官に見えないけれど、近くにいた騎士たちもクスクス笑っているから元々そういうキャラで副官もこなしているようだ。意外に和やかな騎士たちのやりとりに、ケージを囲んでいた若い令嬢たちが狙いを定めたハンターの目つきになる。 「警備ごくろうさまです」 「紫蘭騎士団の方ですか」 わらわらと令嬢たちがスクルースとランドのまわりに集まり始め、あたしはその流れにノードも巻き込まれるんじゃないかと心配したけれど、彼はいつの間にか檻の裏手に回り込んで魔術付与を始めている。ノード狙いの令嬢がそっと彼に近づこうとし、声をかけられる雰囲気ではないと悟って騎士を囲む輪に加わった。オクレール男爵はその隙に息子を連れて広間の方へ向かう。 「ご来賓のみなさまお待たせいたしました。ただいま開場いたしました」 ベルの音が鳴り響き、庭園にいた貴族たちが建物に吸い込まれていく。ようやく令嬢たちから解放されたランドに、魔術付与を終えたノードが近づいて行った。 「アルヘンソ卿、よいお相手はいませんでしたか?」 「帝都貴族の令嬢は苦手です。ご存じでしょうが、わたしは嗅覚が異常なので」 「そう言っても、いずれどこかの貴族令嬢とご結婚することになるでしょう? 慣れておかれないと」 「ずいぶん慣れた方です。わたしのことより、魔塔主殿はどうなのですか?」 妙に思わせぶりな言い方をするランドに、スクルースが小鳥みたいな仕草で首をかしげた。 これって、たぶんあたしのこと? 「いつまで生きるのかさえ見当もつかないわたしに、結婚など無意味なことです」 魔塔主はしれっと答えたけど、ランドはその答えを予想していたようだ。 「魔塔の林で会った匂いのないあの女性なら、わたしは歓迎なのですが」 思わぬ言葉にあたしはドキッとする。 アラサーで年上。たぶん脱がせたらすごいんだろうなぁ、腹筋何個に割れてるかなぁ、などと邪なことを考える。 「魔塔主殿、あの女性を紹介していただけますか?」 これはたぶんユーリックに探りを入れるよう言われてるに違いない。 スクルースは同僚の意外な恋バナに仕事なんかそっちのけ……ってことは、これまであたしの存在を知ってたのはユーリックとランドだけだった? でも、スクルースの耳に入ったなら獣人騎士には広まりそうだ。 「ランド殿と彼女では身分が違いますよ」 ノードは穏やかな笑顔で答える。 「平民と聞きました。おれ(・・)も元はしがない採掘工ですから、貴族相手よりよっぽど相性がいい」 「あなたはすでに平民ではなくアルヘンソ辺境伯の跡継ぎです。それに、平民同士だからといって相性がいいとは限りません。彼女は魔塔主のわたしから見てもかなり変わった人ですから」 「わたしもある意味変わり者(・・・・)です。魔塔主殿も知っているでしょう?」 あたしを取り合って二人の男がバチバチ火花を散らしてるように聞こえる。実際は違うけど、そう聞こえるだけで満足♡ 「魔塔主様、わたしも堅物のランドが惚れたお相手が気になります。ぜひ会わせて下さい」 副官は仕事しろ。 「嫌です。彼女は惚れっぽいので誰にも会わせるつもりはありません」 スクルースはパチパチ瞬きし、ランドはクックッと堪えきれず笑い声を漏らした。 ノードの言葉があたしを獣人と近づけないためだと分かっていても、今の言葉だけで成仏してしまいそう。 「殿下がようやく魔塔主殿の弱みを握ったとおっしゃってましたが、これは確かに愉快ですね」 「変わり者(・・・・)のランド殿も、殿下の弱みがあなた方であるという事実をお忘れなく」 犬と鳥、そしてケージの中の魔獣たちがビクッと体をすくめたのは、燕尾服では抑えきれず漏れ出した魔力のせい。怒ったわけではないようだけど、余計なことは口にするなという脅しだ。 「無礼を働きました。お許しください」 頭を下げるランドに、ノードはいつもの笑顔を向ける。 「番犬が吠えるのは仕方ありませんから」 やっぱ怒ってる。 「では失礼します。行こう、スクルース」 遅れを取り戻すように二人の騎士は小走りで皇城に姿を消した。 警備の騎士と使用人がちらほら残る庭園で、魔塔主の視線があたしを捉える。繁みに同化してるから見えてるのは緑の葉っぱなんだろうけど。 サク、サク、と芝を踏む足音が近づいて来て、あたしは繁みからヒョコッと頭を出した。ノードは行儀悪く芝の上に腰をおろし、ジゼルが彼の腹の上に乗っかる。 「年上が好みですか?」 えっ? 「ガルシア公爵殿にも好意を持っていたようですが、彼に比べたらランドは年が近いですね。ユーリックやベルトラン卿のこともお好きなようですから、どちらかといえば年下の方が?」 あたしがランドで邪な想像をしたのがバレたのだろうか。 イケメンに萌えるとジゼルがいつも冷たい視線を送ってくるし、もしかして顔に出てたのかもしれない。でも、茂みで見えなかったはず。 「どっちかといえば年上がいいです」 「じゃあランドを紹介しましょうか? 向こうにもサラさんの姿は見えるわけですし」 本気じゃないくせに。 「ランドより年上がいいです」 「では、ガルシア公爵?」 「もっと、三百才くらい年上」 ケケケッとジゼルが笑って、通りすがりの警備がチラとこっちを見た。 「ジゼル殿の調子の良さは、やはり契約主に似たようですね」 呆れ顔をこっちに向け、口元に浮かぶ笑みに手をやって誤魔化そうとする仕草が好き。ふとノードが空を見上げ、つられて顎をあげるとふたつめの月が昇り始めていた。 馬車の出入りがまばらになり、「来賓の方々は広間へお入りください」と声が聞こえる。 魔獣のケージには三人の騎士がつけられていた。最初は恐るおそるケージをのぞき込んだ騎士たちも、中にいるのが小動物だとわかったせいか緊張はあまり感じられない。 「ジゼル殿、そろそろ行きましょう」 ああ、と白猫は入口へと駆けて行く。 「ノード、あたし魔獣の檻を見張ってたほうがいいですか? 魔術師が貴族のフリして潜り込んでるかもしれないんですよね」 予想外だったのかノードは立ち上がりかけたのを再び座り込み、じっとあたしを見つめた。茂みを見つめる貴族令息って、傍から見たらたぶん変。 「低級魔術師と思いますが」と彼は口にする。 オクレール男爵の部下の魔術師が死んだという情報が入ったのは、今から一週間ほど前だった。魔術師はオクレール卿がマナ滞留で倒れたその日には帝都の男爵邸からいなくなり、地下の魔法陣もご丁寧にきれいに消し去っていた。 オクレール卿の血の契約の件がバレては困るからユーリックに魔術師の情報を伝えるわけにいかず、ノードが密かに調べていたところに死亡の報。といっても正式なものではなく、オクレール卿の言葉は「魔術師が死んだようです」という曖昧なものだった。男爵の部下といっても裏稼業の情報屋の方の部下だから、消されるときには一切合切消されてしまうらしい。 魔塔所属の魔術師がオクレール領と帝都を行き来できるわけはなく、明らかに未登録魔術師。シドのときと同じように密入国者である可能性が濃厚だ。 「どういう理由で消されたのか知らないけど、血の契約に関する口封じ程度で殺したのだとしたら、代えは他にもいると考えるべきだよ」 すっかり密談場所となった石榴宮。イアンがそう言ったのは防音結界を施した応接間だった。そこに魔塔主が現れた時点でオクレール卿は完全に〝こっち側〟になった。 オクレール卿の魔力の増加はすでに男爵にも知られている。ノードが彼に言ったのは「次の契約を父親から強要されたら、事前に知らせて下さい」ということ。現場を押さえるつもりのようだけど、今のところその要求はないっぽい。 「舞踏会が見たいんでしょう?」 ノードが言った。正門から皇城へと続く石畳を馬車が走ってくる。白に銀の装飾、紫色で描かれたふたつの月と剣。グイッと頭を押され、あたしは茂みに身を隠した。 「サラさん、オクレール男爵が持っているあの檻の鍵はもう使えません。強力な魔術を施しましたから、この場で開けられるのはわたしくらいです。それより、ユーリックが入場する前にいい場所を確保しなくていいんですか?」 「……いいんですか?」 「ダメと言っても行くでしょう? 皇帝陛下にあなたの姿は見えないでしょうが、ランドには気をつけてください。あと、平民騎士は城外警備らしいので外に出るときも注意してください。こっちで把握していない平民出身の獣人騎士にサラさんが見えるかどうか分かりませんから」 「はい!」 馬車が止まり扉が開けられると、銀髪の皇太子殿下が石畳に降り立った。彼に手を支えられて姿を見せたのは緑眼の皇太子妃エルゼ。 エルゼの姿がナリッサよりよっぽどイブナリア王族のイメージに近かったのは、マナ石ランプの外灯の光を受けて輝く見事な金髪のせいだった。 亡国イブナリアといえば世界樹と金色のオーラ、そして聖女。 樹の緑とオーラの金の象徴みたいな女性が、あたしから数メートル離れた場所に立っている。
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