父親たちの思惑と不審者と黒猫

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父親たちの思惑と不審者と黒猫

闇夜に浮かび上がる皇城は地上から溢れる明かりに包まれ、まさにシンデレラ城みたいだった。今夜、あのお城の中で何組の恋人が生まれたんだろう。 こうして上空をフラフラ飛んでいると、あやしげな雰囲気の男女が建物の陰に身を隠し、舞踏会そっちのけでイチャつくのが見える。それに比べれば衆人環視の中ダンスにかこつけて腰に手を回すくらい可愛いものだ。 あたしが皇城内に戻らず夜空を飛び回っているのは、別に拗ねてるからじゃなくて今宵の闖入者を待っている。 〝闖入者〟というほどおかしな客ではないけれど、小説『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の回帰後の舞踏会エピソードではその人物が現れたことで修羅場っぽい雰囲気になった。 青白い月と赤銅色の月とが東と西に四十五度の角度にある時、もっとも安定した状態で悪魔を召喚できる――と、ノードが教えてくれたのはあたしとジゼルが召喚された日の夜。 あの日と同じように細いふたつの月が四十五度にあるとき、あたしの待っていた馬車が皇城の前にやってきた。白と銀と菫の馬車は皇族のもの。中に乗っているのは銀色のオーラを受け継ぐ皇太子妃ヒメナのはず。 あたしは皇城の正門側にある、一番低い屋根に降り立った。 馬車からはわずかなオーラ。それよりも数十倍強いオーラと、ジゼルとノードの気配があたしの足下にあった。服で魔力を抑えていてもノードの居場所がわかるのはピアスのおかげだ。ナリッサとオクレール卿の居場所は魔力が抑制されているから分からない。 現在の登場人物それぞれの位置を考えると、あたしの知っている小説通りにはなりそうになかった。 小説の悪女ナリッサは、回帰後の舞踏会でノードと踊ったあとユーリックに呼び出された。紫蘭宮ではなく、皇城にある執務室に。そこでユーリックはナリッサに忠告している。 ――魔塔主には気を許すな、と。 ここはお気に入りのシーンで何度も読み返した。ノードを信頼するなと言うユーリックに、ナリッサは毅然と問いかけるのだ。 「では、わたしは誰に気を許したらよいのですか?」 「……わたしでは頼りにならないか?」 「殿下はダンスにも誘ってくださらないのに?」  悲しげな笑みを浮かべ、お兄様はわたしの前にスッと手を持ち上げた。広間の楽団演奏がかすかに聞こえる。躊躇っているわたしの手を、お兄様が強引に引き寄せた。 「そなたが見世物になる必要はない」  回帰前に何度も踊ったワルツ。考えごとしながらでもステップを踏めるほど上達したというのに、お兄様と踊るのはこれが初めてだった。 ……って感じで密かにラブ展開が繰り広げられていたところに現れるのが銀髪と菫色の瞳を持つヒメナ。 彼女はナリッサではなくエルゼへの対抗心から舞踏会に姿を見せた。けれど、本当のライバルはエルゼではなくナリッサだと悟り、二人のいる執務室へ向かったのだ。 小説でのナリッサは、回帰前の一年遅れの社交界デビューでヒメナと顔をあわせている。二人の外見から「皇女よりも皇太子妃のほうがよほど殿下の妹のようだ」という貴族の陰口にブチ切れたのが悪女誕生の瞬間。ヒメナの銀髪をジゼルの魔法で燃やし、自ら水をかけて消したものの麻薬事件の冤罪に続いて謹慎処分となる。 回帰後のナリッサが一番わだかまりを持っていた皇太子妃がヒメナだった。それは「妹」という立場への複雑な想いと嫉妬によるものだと思うけど、執務室でのワルツにヒメナが割り込んで来たとき、ナリッサは銀髪の二人を見比べて「たしかに兄妹のようだ」と感じてそれを素直に口にした。 「ヒメナ様の方が殿下の妹のように見えますわ」 ハッキリ書かれていたわけではないけれど、このとき妹ではなく一人の女性として兄に惹かれていることをナリッサが自覚したんじゃないかと思う。 脳内リプレイしながら、あたしは肝心なことを思い出した。 回帰後のナリッサがユーリックへの恋心を自覚できたのは、彼女の内面が大人だったからだ。だからこそ肉体的には年上のヒメナを、ナリッサ自身が年下の妹のように感じた。 小説と違ってここにいるナリッサは正真正銘十四才の少女。壮絶な経験を経て回帰した悪女ナリッサとはまったく違う。 二人にダンスを踊らせるというあたしの目的はすでに最高の形で達成されている。小説の悪女ナリッサなら喜んでくれたはずだけど、ここにいるナリッサは果たして喜んでくれたのだろうか? 皇室の馬車からヒメナが降り立ったとき、建物から赤髪に白ドレスの女性が出てくるのが見えた。やはり小説通りにはならないらしい。 少し前からノードとジゼル、それにユーリックの気配が外に向かって移動していたのは感知していたけれど、思っていた以上に大所帯だった。ナリッサとマリアンナ、イアンとオクレール卿の姿もあり、最後におまけのようにオクレール男爵が後をついて行く。 どうやら庭園の魔獣が目的のようだった。ヒメナの姿にユーリックが足を止め、彼女も加わって庭園へ入る。皇族たちの登場に、庭園にいた若者たちはアイドルグループが登場したようなはしゃぎっぷり。アイドルスマイルで手を振ってるのは皇族じゃなくてイアン。 これだけ原作と違ってくると、魔獣討伐なんて恐ろしいエピソードもなくなるんじゃないかと期待してしまう。でも魔獣生息域の移動が起こってるらしいし、きっとそう都合よくはいかない。 どうあがいても魔獣討伐に向かうことになるのなら、ユーリックとノードの関係が小説より良好なのはいいことだ。グブリアの騎士団に魔術師を配属し、銀色のオーラを受け継ぐ者が剣の腕を磨けば、シドが黒龍を引き連れて来ても余裕で倒せちゃうかもしれない。 皇帝の座を守るために銀色のオーラを受け継ぐ貴族に剣を持たせないなんてバカげている。ユーリックもそう思ってるはずだけど、小説で彼がその心の内を吐露するのは魔獣討伐が終わりカインが死んだあと。 いっそ、ユーリックが早めに皇帝の座に就いたほうが良くない? ……いや、いやいやいや。 ちょっと妄想が膨らみすぎ。あたしは帝都民でも帝国民でもない異世界人の幽霊なんだから。 とはいえ、一度浮かんだ考えはなかなか消えないどころか、時間を追うごとに「いけるんちゃう?」って気になってくる。その理由は、現皇帝のオーラが想像以上に弱まっているからだ。オーラを持つ宰相は当然それをわかっているわけで、息子やオクレール男爵を焚き付けて大胆に動き始めたのも納得できる。 皇帝がオーラを抑制する衣服を身につけていたという可能性はあるだろうか? あの紫のマントとか。 そんなことをする理由は思い浮かばないし、むしろデメリットしかない気がするけど、あたしはカインの本当のオーラがどれくらいのものか確かめてみたくなった。 オーラの気配に集中すると、皇城内には思いのほかたくさんオーラを受け継ぐ者がいるようだ。 桁外れのオーラを発しているユーリック、その近くにあるわずかなオーラはヒメナ。イアンもいるはずだけど、彼のオーラはジゼル曰く微々微々微々たるものだからよくわからない。それ以外に感じられるのは、官吏たちの仕事場になっている皇城の奥の方。 銀色のオーラを継ぐ者は領地がなく帝都住まいで騎士にはなれない、というのだから、政務を担う文官が集う皇城にオーラが複数あるのは必然と言えば必然。 それにしても、みんな働き過ぎじゃない? 舞踏会の運営で残業してるの? オーラの気配はちょろちょろと城の中を動き回り、その中にひとつ、外れた区域でじっとしているオーラがあった。それはちょうど広間の奥、皇族の間があると騎士が説明していたあたりだ。しかも、建物の外にいる感じがする。 あたしは屋根からヒョコッと頭を出し、オーラを感じた場所をのぞき込んだ。眼下のバルコニーに白髪頭が見え、かすかに話し声が聞こえる。それは間違いなくグブリア帝国皇帝カイン。 あたしは覚悟を決めて、彼の部屋に降りてみることにした。万が一カインに姿を見られたら即刻逃げるつもりでバルコニーの手すりに飛び乗ったけれど、予想通り彼のオーラ量ではあたしを見ることはできないようだった。 カインは手すりにもたれかかり、部屋の中に控えるガルシア公爵に目を向けていた。猫足テーブルを挟んで置かれた紫色のソファー。その向こうに立っている公爵。 図書館の一角を切り取って持ってきたみたいな広い部屋だった。天井が高く、向かって左手に室内階段があって二階部分がある。その上下階に書架が並んでいた。部屋の右手にはアイランドキッチンみたいな大きな執務机が置かれている。 部屋の中央部は広々として、ユーリックの執務室もここと同じような作りならワルツを踊れたのも納得。でも、今夜ナリッサが執務室で踊ることはなさそうだ。 「マティス、ユーリックは気づいていると思うか?」 卑怯な問い方をするなあ、とあたしは思った。 気づいてるって、どっちの話? ナリッサがイブナリア王族の血を引くこと? それともナリッサの父親がガルシア公爵だということ? 「陛下が抜けられたあと、お二人でワルツを踊られたそうです」 「ほう」と、カインは何とも言えない笑みを浮かべた。 「皇太子殿下がどのような意図をもって皇女殿下の宮に出入りされているのかは判りかねますが、今夜のことで貴族らの見方が変わったのは間違いありません。なにより、陛下が皇族席から降りられたことが貴族に衝撃を与えたのではないかと」 「満足か?」 伏し目がちだった公爵がパッと顔をあげ、「それは」と狼狽する。 「皇女をめぐり皇帝派・皇太子派などという分裂が起こることは防がねばならん。なあ、マティス。わしはたまに考えるのだ。ナリッサはそなたに引き取らせるべきだったと。ユーリックに娶らせれば皇宮に迎えることもできた」 今さら感半端ないけど、たしかにそうすれば万事うまくいったんじゃないだろうか。 「陛下。当時わたしが命を狙われていたのは平民教育を推し進めたことへの反発でした。そこに平民の娘を引き取ったとなると、反発の矛先が皇女殿下に向かった可能性があります」 事故の直後に慌てて皇宮に入れたのはナリッサを守るためだったってこと? 「忠義な男よ」カインは笑った。 「わしに恩義があるように言うが、皇女は人質(・・・・・)だぞ?」 人質ってことは、やっぱり皇帝はイブナリア王族の血を引く治癒師たちに何かしようとしてる? 「ユーリックのオーラが発現していなかった当時の状況で、金色のオーラを継ぐ娘を皇室の外に置くことはできなかった。平民から信頼を得たそなたが聖女を擁して立てば帝国は簡単にひっくり返る」 「わたしは皇帝補佐官です。貴族の反発を抑え平民教育施策を議会で可決させたのは皇帝陛下。平民たちを救ったのが陛下だということは明白です」 「議会でのやりとりなど平民には通じぬ。それに、そなたでなければ平民教育は継続できておらぬ。政務院に任せたところで貴族どもに骨抜きにされるか魔塔と通じるのに利用されるかだ」 皇帝が一番恐れているのはガルシア公爵の裏切り、ということだろうか。だとしたら、ローズの手紙とノートがナリッサから魔塔主に渡ったと知れたら……。 「魔塔主は気づいたようだな」 皇帝の言葉にギクッとしたけれど、どうやら手紙とノートのことではないらしい。 「石榴宮に出入りしていると聞いてはいたが、今夜ここに現れたことがその証拠。よほど皇女のことが気にかかると見える」 「オーラが発現すればいずれわかることです。それが少し早まっただけかと。むしろ、これまで気付かれなかったことのほうが不思議なくらいです」 「会う機会がなかったからな。例の麻薬の件で顔を合わせたのか」 「おそらくは」 「ユーリックが石榴宮を訪れるようになったのもその頃からだったな。現実を知って同情したのかもしれんが、あやつにそのような感情があったのが驚きだ」 この父親たちは子どものことを何もわかってない。親子の交流がなければそうなるのは仕方ないのかもしれないけど。 「ユーリックは、きっとわしよりも上手く立ち回るであろう。皇女のオーラが発現しても」 カインは星に願うように空を仰いだ。屋根と木々のあいだの空には赤銅色の月が見えている。 「皇太子殿下と皇女殿下にその気がなくとも、オーラが発現すれば皇女殿下を担ごうとする者は現れるでしょう。皇家の結束を強く世に知らしめないことには収集のつかない事態となります。皇女殿下とは別の〝金色のオーラを継ぐ者〟を担ぎ上げる貴族も出てくるはず」 「マティス」と、カインはため息をついた。 「やはりわしはグブリア帝国の皇帝だ。金色のオーラを支配下におきたい。だが、一方でその望みが恐ろしくもある。二百年前の過ちを繰り返してしまうのではないかと。イブナリア王族に干渉することは世界樹に火をつけるのと同罪に思えてならん。だからこそわしは怖いのだ。皇女の顔を見るのが。魔塔主と顔を合わせるのが。魔塔と皇室の契約があるとはいえ、二百年前に交わした約束がどれほど効力を維持しているかもわからぬと言うのに」 皇帝がノードを遠ざける理由が、まさか罪の意識だったなんて思いもよらなかった。 自ら経験したわけでもない戦争になぜそこまで、と思ったけど、ローズとの出会いが影響しているのかもしれない。皇帝は、直に金色のオーラに触れたのだ。 「流浪の治癒師として暮らす彼ら一族を、陛下は今後どうされるおつもりですか?」 「支配下に置かねば守ることもできぬが、彼らはそれを望まぬだろう。ならば放っておくしかない。対等な関係にはなれぬのだ。この世界が世界樹を失った日はグブリア帝国建国の日。わしがそれを覆すわけにはいかん」 ジゼルがことあるごとに皇帝を凡夫と言うわけが分かった気がした。この人は、人一倍怖がりなんだ。 いっぱい悩んで、迷って、後悔して、それでも決断していかないといけない皇帝という地位。へなちょこ感あふれる皇帝、あたしは嫌いじゃない。上司にはしたくないけど。 「陛下、皇太子殿下に皇女殿下のことを打ち明けてはいかがでしょう。ベルトラン公爵(宰相)が密かにローズの事故とイブナリア王族について調べているようです。宰相の息子がすでに皇女殿下に接近しておりますし、万が一宰相側から皇太子殿下の耳に入ることがあっては」 「そうだな。金色のオーラが発現するのは、たしか皇女くらいの年頃だと言っていたか」 「はい。十四才から十六才くらいで発現するのが普通のようです」 「皇女も銀色のオーラではなく金色のオーラが発現したら動揺するだろう。冷静かつ極秘裏に対応できる者がそばに必要だ。公にするのはタイミングを見計らわねばならん。永遠に隠し続けることになるかもしれんしな」 永遠に隠すのは無理だろうな、とあたしは直観している。それはたぶん読者だから。 「マティス、皇女の護衛は紫蘭騎士団の者だったか」 「はい。トッツィ男爵家の令嬢が」 「令嬢か。男よりも適任だな。ユーリック本人に常時皇女を見張っておけと言うわけにもいかん。トッツィ男爵家とその娘が秘密を明かすに足る人物か調査してくれ」 ……えっ? そこはユーリックに相談しないの? 調べられたらユーリックがピンチなんじゃないの? マリアンナが獣人ってバレたら…… 「承知しました」 承知しちゃったよ。当たり前だけど。 「マティス、裏切るなよ」 「わたしは常に陛下のことを第一に考えております」 ガルシア公爵が恭しく頭を下げたときパン、と音がした。カインが「おお」とわずかに笑みを浮かべている。 花火だ。 パン、パンとたて続けに夜空に花が咲き、庭園の方から歓声が聞こえてきた。 「そろそろ宴も終わりのようだ。あとはユーリックに任せて宮に戻ろう」 もしかして、何かあったときのためにここにいたのかな。 玉座にふんぞり返ってパヴァーヌを眺め、ナリッサのところに降りたけどその後は短い言葉だけ残してあっさり広間を出ていったカイン。 あれからもう何時間? 何かあったときのために執務室で待機してたなんて、それは部下の仕事だと思うんだけど。 「魔塔主が何かしでかすかと思ったが、意外におとなしくしていたようだな」 あ、そっちか。 「裏門に馬車が控えております」 「うむ」 皇帝は名残惜しそうに空を見上げ、ガルシア公爵とともに執務室を出ていく。しばらくして下っ端らしい官吏がやってきて、戸締まりを確認するとマナ石ランプの明かりをおとした。 あたしはさっきまでカインが立っていた場所でバルコニーの手すりにもたれかかり、空を見上げる。花火はおしまいらしく、星と赤銅色の月があった。 石榴宮に帰ろうか、魔塔に帰ろうか、それとも誰かの後をついて行ってみようか。そんなことを考えていたら、うっかり魔力感知をおろそかにしていたらしい。 「おい、お前! そこで何してる!」 下から聞こえたこの声は……ランド! あたしは空を見上げたまま反射的に床を蹴った。屋根に手をつき身を隠す。たぶんこの間ゼロコンマ一秒。ランドにはその場で消えたように見えたはずだけど……。 「陛下の執務室バルコニーに不審者! 常人とは思えぬ速さで屋根の上に逃走したから魔術師かもしれん。誰か陛下の所在を確認しろ!」 えー……、ランドの動体視力どんだけ〜? このままこっそり逃げようとしたあたしが足を止めたのは「エリ」と聞こえたからだ。 「はい、補佐官」 「行けるか?」 「屋根に上がるのはいいですけどぉ、……魔術師なら追いつくのは無理かと」 「ああ、おそらくもういないだろう。安全確認だ。ピンク色のドレスを着ていたから、やはり舞踏会に紛れ込んでいたんだろう」 逃げなきゃいけないのに、あたしはこの場から離れられない。 下にいる〝エリ〟が妹なわけないのに、もしかしたらあたしみたいに小説の世界に入り込んでしまったんじゃないか、なんて。そんな期待をしてる。 「エリ、魔塔主がいることを忘れるな」 「ああっ、そうでした。いっそ魔塔主に行ってもらえばよいのでは?」 「魔塔主とつながっているかもしれんだろ」 「そっかぁ、なるほどです。じゃあとりあえず行ってきまぁす。あっ、報告は副官のとこに直接でいいですか?」 「またお前は……。まあいい、好きにしろ」 「はぁい♡」 なんか、ノリが軽い。 って、そんなことより。逃げな……くてもよくない? 顔だけ出して、「あ、あのシミ、人の顔みた~い」って感じにすれば。 幸い皇城の屋根はシンデレラ城みたいに円錐屋根をいっぱいくっつけた複雑な造りになっている。おそらく皇帝の執務室の真上にあるこの屋根に真っ先に来るはずだから、隣の一段高い三角屋根の下の壁際に身を潜めれば……。 「主」 「ひやっあっ!」 振り返ると、さっきまであたしがいた屋根の縁に白猫がスタッとカッコよく着地した。 「下が騒がしいのは主が犯人だろう?」 あ、バレてる。 「皇帝の部屋のバルコニーにいたらランドに見つかっちゃった。顔は見られてないと思うけど、服は見られて舞踏会の参加者と勘違いしたみたい。とりあえずあたし隠れるね」 「壁にか? 空を飛んで逃げればいいだろう? ナリッサはもう城を出たぞ」 「えっ? そうなの」 気配を探ろうとしたけど、そういえばナリッサのドレスは魔力抑制の魔術付与がされてるんだった。マリアンナが一緒だろうけど、彼女の魔力は近くじゃないと分からない。 ジゼルがピクッと耳を立て、その瞬間あたしも違和感をおぼえて一段上の屋根に飛び乗る。 「ニャア」 こんなときに猫の鳴きまねなんて、と思ったら、ジゼルの声とは少し違った。それに、下の屋根から感じる気配がジゼルの魔力ともうひとつ。 たぶん、獣人。 気配を殺し(たつもりになっ)て、そっと様子をのぞき見る。ジゼルは後ろ足で耳裏を搔いていた。獣人の気配はたしかにあるのに、と目を凝らしたら、闇に紛れるように真っ黒な猫が屋根の縁を歩いている。ジゼルよりも二回りくらい大きい。 黒猫の獣人、エリ。 まさか異世界召喚されて獣人になるわけないし、もしかしたら転生? ……なんてつい考えてしまうけど、どう考えても妹と名前が同じだけの別人。人間姿が気になるけど、ジゼルがいる限り姿を変えることはたぶんない。 黒猫はジゼルを遠巻きに観察していたけれど、任務が優先とばかりに背を向けた。あたしのいる屋根ではなく、しなやかな跳躍で同じ高さの隣の屋根に飛び移る。 黒猫の姿が見えなくなると、ジゼルがあたしのいる屋根にやって来た。 「主、さっきの猫はじきにここにも来るぞ」 「うん、帰ろっか。ノードは?」 「魔塔に戻るところだったようだが、この騒ぎで足止めを食らった。まあ、主の仕業なのはわかっているようだが」 だよね。 「わざとじゃないよ」 「ああ、うっかりだろう?」 ……グサッ。 「ところでジゼル、オクレール男爵は?」 「息子と一緒に庭園にいたぞ。イアンはナリッサと同じ馬車だ。護衛にはサルが付いていった。ぼくも馬車に乗るところだったんだが、騒ぎが起こったから見に来た」 ノードもジゼルもあたしを置いて帰るつもりだったのね。まあ、勝手に来たんだから勝手に帰るけどさ。 「ねえ、ジゼル。オクレール男爵が持ってきた魔獣はまだ皇城にいるんだよね。何か仕掛けるのかと思ってたけど、考え過ぎだったのかな?」 「魔獣は魔塔主の魔術で檻から出られない状態だ。そうでなくとも、今夜事故に見せかけてナリッサを襲ったとして、先日の事件に続いてだから男爵が疑われるのは目に見えている。さすがにそこまで愚かではないだろうが、念のためイアンがオクレールの息子を置いていった。男爵の動きを見張らせるためにな」 馬車が続々と皇宮の丘を下っていくのが見える。そのほとんどが月光の庭園の横をまっすぐ街へと向かう中、左へ曲がって林に姿を消した馬車があった。あれは石榴宮へ続く道だ。 「ジゼル、馬車を追いかけよう。マリアンナだけじゃ心配」 「そうだな。遠足は家に帰るまでが遠足だって言うからな」 いや、どうして猫がそんな言葉知ってるの……。
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