魔術師の襲撃、たまたま弾や球や玉や「たーまやー」

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魔術師の襲撃、たまたま弾や球や玉や「たーまやー」

ジゼルを抱いて飛んだ。高く、高く、花火が弾けるくらいの高さで、あたしはキラキラ光るお城の群れを見下ろす。そしてポツンと外れにある丘の裏手の明かりを目指す。 「こうしてみると夜の石榴宮までの道は襲い放題だな」 ジゼルはあたしの胸に抱かれたままぐるりと皇宮の丘を見回した。皇城から街へ続く大通りだけにマナ石ランプの外灯が灯っていて、宮と宮をつなぐ他の道には明かりがない。紫蘭宮の城壁の上に登れば、移動する不審な光はすぐ見つけられそうだ。 石榴宮への道は城壁から監視できる範囲を完全に外れている。石榴宮への分かれ道である月光の庭園近くの交差点を見張っておけばいいという考えなのかもしれないけど、森の中に身を潜めてしまえば上からの監視は意味がない。 「そういえば、主。魔塔主が話があると言っていたぞ」 ゲッ、と思わず声を漏らしたら、ジゼルがケケケッと笑う。 「怒られるかなあ」 「それは知らんが、状況を把握しておきたいのだろう。皇帝の部屋で主が何をして、犬に何を見られたのか。ああ、ついでに猫のことも魔塔主に伝えておいた方がいいな」 真っ黒な雌猫。話し方はチャラい感じだったけど、あの猫が人間になったら大人っぽいアジア系美女になりそうだ。ってことは、当然あたしの双子の妹であるエリとは似ても似つかない。 「まあ、魔塔主はもうしばらく皇城から出れんだろう。魔術師の仕業だと犬が騒いでいたからな。あれは幽霊だと言うわけにもいかんだろうし」 舞踏会のあいだ「ニャア」しか言えなかったせいか、ジゼルは鬱憤を晴らすように一人喋り続けている。そういえば、 「さっき黒猫の前では喋らなかったけど、あの獣人はジゼルの声が聞けるの?」 ん? とジゼルが腕の中であたしを見上げた。「そうそう、その話なんだが」と、他人事のように話し始める。 「魔塔主が言っていたのだが、ぼくの魔力が強まるほどぼくの声を聞ける人間は増えるようだ」 「そうなの?」 それって不便になるだけなんじゃ……と思ったけど、話せる相手が増えるってことは便利になるってことだ。 「主の姿が見えるかどうかも同じじゃないかと言っていた」 「どういうこと?」 「見える見えない、聞ける聞けないというのは要は互いの魔力の波長が合うかどうかだから、魔力が増えれば相手にその波長を合わせることができるようになるとか。主のいた世界の言い方だとストライクゾーンが広がるってことだ。球場全体がストライクゾーンみたいな魔塔主には主が見える」 なんとなくしか分からないけど「ふうん」と肯いておく。 「だが、たまに例外がある。ランドがそうだが、獣人の一部の種族は相手と波長を合わせるのがうまいのではないかというのが魔塔主の考えだ。それに、さっきの獣人は猫だ。猫というのは特別だからな」 「それ、ジゼルが猫だから言ってる?」 ジトッと不満げな顔をあたしに向ける白猫。 「主は獣人ではないが、おそらく特別な人間だ。前の世界で、人には見えないものが見えていただろう? ランドと主は波長を合わせるのが上手い者同士ということだと思うぞ」 「あっ……」 生きてた頃、この世から去った人たちの姿を普段から目にしていた。それは通りすがりの野良猫さんや散歩中のワンちゃんにも見えてるようで、それに気づいてからあたしはあまり悩まなくなったんだ。 「猫は注意した方がいい」と猫が言う。 「わかった」 うなずいたとき鬱蒼とした木々の中に動くマナ石ランプの明かりを見つけ、あたしは一気に高度を下げた。 明るいお城の群れからはずいぶん離れたし、このスピードで移動すれば正体を見破られるおそれがあるのはランドくらい。そのランドは皇城に張り付いている。このまま馬車の屋根に下りればジゼルは御者にゴロニャンして勝手に上手くやるはず。と思っていたのに、 「主、止まれ!」 「えっ?」 空中で急ブレーキをかけ、あたしはすぐジゼルの意図を察した。 「またうっかりだな、主」 「……うっ、ごめん。もっと慎重になる」 そうしろ、というようにジゼルはフンッと鼻息で返事をする。 あたしが目指した光は馬車のものではなかった。いくつかの人影が、山道を横切って茂みの中に隠れる。チラチラ見えていたマナ石ランプの明かりもしばらくして消えた。 「怪しいよね」 「ああ。どう見ても待ち伏せだ」 「ジゼル、魔力は感じる?」 「いや、魔力の気配はない。マナを感じるが魔法具のようだ。だが魔力を隠している可能性もあるし、ただの人間だとしてもろくなもんじゃない」 たしかに人間だから大丈夫ってわけじゃないんだ。 「まあ、魔術師だとしても魔法具で隠せるような魔力ならたいしたことはないし、様子を探ってみるか」 「でも馬車が来ちゃうよ」 ベルトラン家の白い馬車が森を抜けたのが目に入った。馬車の先を行く騎兵はマリアンナ。視界が悪いせいか昼間に比べてずいぶんゆっくりしたペースだったけど、次のカーブを曲がれば不審者の待ち伏せ地点まで一直線。 「敵が魔術師でなければ護衛のサルだけで十分だろう」 「もし魔術師だったら?」 「どうせもう馬車の位置は把握されている。逃げるにしてもこの山道を馬車で方向転換はできん。まあ、心配しなくてもぼくがいるから平気だ」 ジゼルは自信満々に言うけれど、あたしはやっぱり心配だった。うっかりトリオ所属のジゼルが自信満々ってとこが不安だし、しかも明らかに楽しんでる顔。 あたしの不安をよそに馬車は着実に道を進んでいる。 「ジゼル、あたし、あいつらのとこに行ってみる」 「わかった。ぼくもやつらの声が聞こえるあたりにいる」 どうやら魔力感知を警戒したようだった。近くの木のてっぺんにおろすと、ジゼルは様子をうかがいながら枝を渡り、不審者たちから少し離れた梢の上で体を伏せる。 一方あたしは堂々と彼らの中に紛れ込んだ。 男が三人。真っ黒なローブにフードをしっかり被って、顔の下半分も黒い布で覆い隠している。道から外れた茂みの陰に並んでしゃがみ込み、三人とも馬車が来る方向をじっと見ていた。たぶん、マリアンナが腰にぶら下げたマナ石ランプの明かりが最初に見えるはず。 車輪の音はさっきからずっと聞こえていた。林の向こうに時々明かりがチラつくのが皇女一行のようだ。 「もうじきだ」 一人が口にした。 「くれぐれも殺すなよ。身の危険を感じさせるだけでいい。間違って殺したらこっちが消されるからな」 「先に馬を狙うぞ。興奮させれば騎士ごと突っ走るだろう。馬車だけなら御者と皇女と公子。赤子の手をひねるも同然だ。ただし公子は傷つけるなよ。男爵に念押しされてる」 男爵、ってことはやっぱりオクレール男爵の仕業ってことで間違いなさそうだ。魔獣で皇城に意識を引き付けておいて最初から帰り道を狙うつもりだった? だとしたら、悔しいけどあたしの起こした騒ぎは男爵の作戦を手助けしたことになる。 「男爵の息子がついて来てないようだが」 「何か手違いがあったんだろう。合図がないなら計画通りだ」 「皇女の乗る馬車が襲われてベルトランの息子だけ無傷というのは、それはそれで面白いことになりそうだな。男爵が媚を売りまくってる宰相には面倒なことになるんじゃないか?」 「そんなのはおれらの知ったことじゃない。だが、この件が済んだらオクレールとは完全に手を切るぞ。金払いはいいが思慮が足りん。一旦バンラードに戻ろう」 「そうだな。グブリアは常に魔力を隠さないといけないから面倒だ。久々に魔獣でも狩って憂さを晴らすか」 「そのためには後腐れなくこの仕事を終えないとな。間違っても魔術の痕跡は残すなよ」 「そのためのこれだろう」 男が肩を上下させると、背中に背負ったものがガチャと鈍い音を立てた。どうやら三人は魔術師らしいし、バンラード王国で魔獣討伐の経験があるなら思ったより強いのかもしれない。 「バンラードから仕入れたこれなら、多少マナの痕跡が残っても追跡されるリスクが少ない」 「魔術師が自分の魔力を使わず魔法具に頼るとはお笑いだな」 自虐的な冗談に、三人の男たちは声を潜めて笑った。 「それにしても、皇女が金色のオーラを持つというのは本当なのか?」 「その確証が欲しくておれらを雇ったんだろ。命の危機にオーラを発現するというから、多少の怪我は大目に見てもらえるだろう。金色のオーラといえば治癒の力だし、万が一オーラが発現しなくても皇女は治癒師だというから死にはしない。回復薬くらい持ってるはずだ」 ……やっぱり。 予想はしてたけど、命の危機でオーラを発現するわけじゃないって知らないらしい。それに、ナリッサは回復薬なんて携行してなかった。 「そういえば、あの女は死んだよなあ? 皇女の母親ってことはあの女も金色のオーラを持っていたはずだろう?」 「何の因果か、あの夜と同じ顔触れで母娘を襲うことになるとはな。しかも皇宮の丘でだ」 ククッと一人の男が笑った。 本当に? 何の因果かって問われたら、小説で言うところの伏線回収的な因果としか思えないんだけど、この人たちがローズを殺したのなら絶対逃すわけにいかない。ナリッサに憑依してでも全部白状させないと。 「あのときガルシア公爵の傷は魔術師が治したんだと思っていたが、金色のオーラで治癒したのかもな。公爵とできてた(・・・・)というから、惚れた男を治癒したあと力尽きて死んだということか。泣かせる話だ」 笑い声が聞こえ、あたしは無性に腹が立った。即刻ジゼルに捕まえてもらおうと立ち上がると、なぜか男たちも一緒に立ち上がる。 「来るぞ、配置につけ!」 ええっ!? 男たちは素早く散り、一人は最初から目星をつけていたのかすぐ後ろの木の枝に飛び乗った。背中に背負っていたのはライフル銃みたいな魔法具。それを道の先に向かって構える。 凝縮したマナの気配をその銃から感じた。平民街を襲撃したイタチの、熱波を発する直前に尻尾に宿ったマナの塊みたい。 「もうちょいだ」 木の上の男がボソリとつぶやく。馬に乗るマリアンナの姿と、馬車を引く二頭の馬の頭も見え始めていた。 ジゼルの気配が動き、木の上の男の背後へ向かう。 「ジゼル! 殺しちゃダメだよ」 あたしが叫ぶと、枝に飛び移ろうとしていた愛らしい白猫が「うえっ?」と面倒くさそうに顔をしかめた。 「ローズを殺した犯人なんだから、捕まえて全部白状させるのっ!」 ハァ、とため息をつき、ジゼルはライフル銃の上に着地する。 「なんだっ!? ……魔獣?」 「ニャア」 ひと鳴きすると、ライフル銃の中にあったマナ弾らしきものが氷が解けるように小さくなった。 「クソッ! この魔獣、魔法具のマナを食うのか?」 異変は他の男たちも察知したようだった。 「早く撃て! 馬を脅すだけなら十分だ!」 パァンと銃声が鳴り響いた。 馬がいななき、そのシルエットが立ち上がってマリアンナが振り落とされる。興奮した馬はマリアンナを置き去りにして目の前を突っ走っていった。 「どう、どう」と聞こえるのは御者の声。馬車を引く二頭も興奮しているらしい。 「どっか行け! このクソ猫!」 ジゼルがケケッと笑って男の腕に噛みつき、カッと熱が弾けた。呻き声とともにドサッと音をたてて地面に落ちた男は、服に点いた火を消そうと必死に土にこすりつけている。追い打ちをかけるようにヒュッと風切り音が聞こえ、男のズボンが裂けて血が飛んだ。 「うああっ!」 火は消えたけど、男が立ち上がる気配はない。 「あいつはもう動けない。主、馬車を捨てて逃げさせろ。魔塔主が気づくくらい派手にやらかしてやる」 「わかった!」 あたしはすぐさまその場を離れ、馬車に向かう途中一人の男を追い越した。もう一人は……と、周囲を見回したとき火花のように魔力が弾ける。 「魔剣士……?」 マリアンナが剣戟を受け止めたようだった。その声が動揺している。 男が振り下ろした剣には魔力が宿っていた。その魔力はあらかじめ付与されたものではなく、男の手から剣へと流れ込んでいる。 「……貴様、密入国者か」 言うと同時にマリアンナは左手でナイフを投げ、男が一歩飛び退った。そのときあたしの背後を別の男が駆け抜け、慌てて追い抜き返す。 あぶないあぶない、またうっかりやらかすとこだった。 あたしは勢いのまま馬車に飛び込み、そのままナリッサに向かってダイブする。「キャッ」と耳元でナリッサの声がした。 ……あれ? 憑依できてないどころかハグ状態。あたしは急いで離れたけれど、ナリッサの顔が困惑している。 「ナリッサ様、どうかしましたか?」 窓の外をうかがっていたイアンがいつになく真面目な顔でこっちを見た。手には護身用の短剣が握られている。 「何か、冷気に包まれた感じがしたの。魔術師の仕業かしら」 はい、幽霊の仕業です。それより、憑依できないどころかすり抜けることもできないなんて……魔術付与されたドレスのせいか! 「たしかに、急に寒くなりましたね」 イアンも魔法を疑っているのか、不審げに眉を寄せる。 あたしはドレスに覆われてない場所を探し、頭を触ろうとしたときナリッサの視線がじっとこちらに向けられているのに気づいた。 「……お母さん?」 ナリッサのつぶやきにイアンが首をかしげる。 「イアン卿、わたしのお母さんが死んだのもこの辺だったのかしら?」 「……事故があったのは銀月宮からの帰路だそうです。あと、ナリッサ様がここで死ぬことはありません」 「そうね。こんなとこで死ぬつもりなんてないわ」 もちろんこんなとこで死なせない。 あたしは純白ドレスの裾をめくりあげ、「キャッ」「エッ」という二人の声を無視してナリッサに襲いかかっ……、もとい、ナリッサの体に触れた。 「イアン!」 「えっ?」 よし、ナリッサの声、ナリッサの視界。 窓の向こうの暗闇で影がふたつ動いているのはマリアンナが応戦しているようだった。幽体のときより視界が悪いけど仕方ない。とりあえずあたしはヒールの高い靴を脱ぎ捨てた。 「逃げるよ、イアン!」 あたしがドアに手をかけると、イアンが慌てて制止する。 「危険です。ぼくは殿下を守れるほど強くない」 「大丈夫よ。あたしたちが馬車を出たらジゼルがどうにかしてくれる」 「ジゼルが?」 強引に扉を押し開け、あたしはドレスの裾を掴んで飛び降りた。裸足の足裏に小石が痛いけどガマン。 「ほら、早く! 御者のおじさんも逃げるわよ!」 イアンが馬車から降りたのを確認し、駆け出そうとしたときザッと草を分ける音がした。目の前にフッと人影が現れ、その肩が笑い声にあわせて揺れる。 「おっと、どこに行かれるんですか? 皇女様」 「ジゼル!」 あたしが叫んだ瞬間、男のローブに火が点いた。 「ナリッサ様!」マリアンナの叫び声。 「このクソガキがぁっ!」 火に包まれた男はローブを脱ぎ捨て、隠されていた魔力が溢れ出る。それは思っていたよりも強く、あたしはイアンの手を引いて男と反対方向へ走った。そっちにはマリアンナだけじゃなく魔剣士もいるから、森に入った方がいいかもしれない。 背後から男の低い声で詠唱が聞こえた。 魔術の痕跡は残さないと言っていたのに、どうやらジゼルのせいで焦っているようだ。魔力の接近を感じ、振り返ろうとした瞬間左の太ももに衝撃があり、パッと目の前に光が散る。 「ナリッサ様! お怪我はありませんか?!」 感覚としては三歳の子どもにゴムボールをぶつけられたくらいなのに、イアンの狼狽ぶりがひどい。 「平気だろう」 あたしより先にジゼルが答え、白猫がスタッとあたしの足下に降り立った。鼻をヒクつかせながらマナ石で飾られたドレスを観察し、フウン、と声を漏らす。 「さすが魔塔主の防御魔法が付与されてるだけあるな。あの攻撃がこの程度で済むとは」 もしかしてドレスの防御効果を見るために放置した? 「ジゼル、のんきなこと言ってないでどうにかして?」 ノード張りの威圧的笑顔で言ったつもりだけど、ジゼルにはまったく通用しない。頬をふくらませたらプッと笑われた。 「そうだな。せっかくだから本気出すか。魔力がどれくらい強くなったか試してみたかったんだ」 ジゼルは首のリボンに前足をかけて解き、紋章付きの真鍮タグが青いリボンとともに地面に落ちて鈍い音をたてる。周囲の魔力が一変し、魔術師と魔剣士、そしてマリアンナの視線がジゼルに集まった。「アハハッ」と笑い声をあげたのはイアン。 「魔獣風情が!」 魔術師は声を荒げ、早口言葉のような詠唱でバスケットボール大の火球が現れた。それを躊躇いなく白猫に向かって放つ。 ジゼルはあたしの肩に飛び乗り、短い言葉を唱えて光の文字をしっぽで投げた。それはイアンのすぐそばで火球とぶつかり、球体の炎はその場で静止する。 「うわぁ。ジゼル、ここで止めたのわざとだよね」 イアンは熱さに顔をしかめながら、数歩後ろにさがった。 「たまたまだ。火の玉だけにな」 えぇ……。 「せっかくだからキャンプファイヤーでもするか」 ジゼルは今日一番の悪魔らしい顔でケケッと笑う。 「デビュタント祝いの花火だ」 ジゼルがしっぽをゆらりと動かすと、魔力が凝縮して発射された。それが宙空で止まっていた火球にぶつかると火は数倍に膨れあがり、馬車に直撃してドン、と地面が揺れる。バサバサッと羽音をたてて無数の鳥が上空を舞った。 「たーまやー」 お気楽な白猫。 花火は空で弾けるものなんですが? 男は爆風に吹き飛ばされたようだった。あたしたちはジゼルが魔法で防壁を張ったらしく無傷。 「ああっ、馬が……」 御者が地面にへたり込み、馬車のあった場所を呆然と見ていた。さっきまで馬車に繋がれていた二頭の姿はそこになく、車体の燃えカスが散乱して火がパチパチ弾けている。かすかに、生き物の燃える匂いがした。 「あっ、ナリッサ様!」 力が抜け、あたしは御者の隣で地面に膝をついた。手がガクガク震えている。 「大丈夫ですか」 イアンに問われて反射的にうなずいたけど、内臓の奥から湧きあがる恐怖に手だけでなく体まで震えはじめる。召喚された時の、自分の燃え跡を思い出していた。でもそれだけじゃなかった。 召喚術を使った違法黒魔術師の処刑は火あぶり。 あたしの脳内に小説の序章で描かれた残虐なシーンが再生されている。夜ではなく快晴の空の下、後ろ手に杭に縛りつけられたナリッサ。足元には藁と薪。 皇女の口の中にはユーリックから渡された薬があった。嚙み砕けば即座に意識を失う強力な睡眠薬。 ――「意識がなければ苦しまずに済む」なんて、自分勝手なお兄様。処刑人の松明が藁の上に投げ置かれ、爆ぜた火の粉が薄汚れた服に燃え移った。熱気が体を包み、炎で見物人たちの姿が揺らぐ。煙で目が痛い。髪の焼ける匂いが鼻をつく。 「うわああぁぁぁっあっ!」  力任せにもがくと、皇族席でお兄様が立ち上がったようだった。咳き込みながら、わたしは彼を睨んで口の中の丸薬を吐き出す。お兄様が何か叫んだ。  わたしはこの世界で唯一の味方の名前を呼ぶ。 「ジゼル! ジゼル!!」  わたしの死によって血の契約が終了するまで囚われの身となった悪魔。わたしのかわいい白猫。どうせ焼かれるならジゼルの火が良かった。まだ自分が生きているのだと分かるのは、熱と痛みがあるからだ。 「主!」  男の子の声が聞こえた気がした。それが、回帰前の最後の記憶だった。 「ナリッサ!」 ジゼルの声にあたしはハッと顔をあげた。あまりに生々しく思い出された処刑シーンに、自分が誰だかわからなくなる。 「ナリッサ、ぼくは魔術師を追う」 そうだ。ジゼルはナリッサのことを〝主〟と呼ばない。ジゼルの主はあたし。 異世界人の幽霊サラ。 爆風で飛ばされたときに負傷した魔術師が、足を引きずりながら林に入っていくのが見えた。あたしがぼんやりしているせいか、ジゼルはこの場を離れるのを躊躇っている。 「わかった。殺しちゃダメだよ」 「ああ。あっちもじきに片が付きそうだぞ」 あたしの背後に顔を向け、「おいサル! 聞こえるか?」とジゼルが叫んだ。キィンと剣の打ち合わさる音のあと、同時に距離をおいたマリアンナと魔剣士が牽制し合いながらこっちを横目でうかがう。 「おいおい、召喚獣かよ」 魔剣士の男が半笑いのような声で言い、ジゼルはチッと舌打ちする。 「この魔力でもまだサルには聞こえないか」 「……聞こえている」 強張ったマリアンナの声とは反対に、ジゼルは満面の笑みを浮かべた。召喚獣だとバラしてこの後どうするつもりなのか、うっかりじゃなく今のは絶対に確信犯だ。 「おい、サル。足止めしてやるからそいつの足の腱を切れ。殺すなよ。ローズを殺した犯人らしいからな」 エッ、とイアンが声を漏らしたときには、ジゼルはイタチ魔獣のように熱風を放っていた。イタチと違うのは、その射程範囲と温度を調節したらしいということ。 「ぐあッ!」 魔剣士は右手に握っていた剣を落とした。もう一度叫び声をあげたのはマリアンナのナイフが彼の足を切ったからだ。彼女は男の傍に立ってジゼルを睨んでいる。 「サル、もう一匹を仕留めて来るから見張ってろ」 小生意気な白猫は、走り出す直前に「すぐ戻る」とあたしに言い残し、闇の中に消える。逃げた魔術師の位置がわかるのは、たぶんナリッサの魔力のおかげだ。ジゼルはあっという間に距離を詰め、林の中から「ギャッ!」と短い悲鳴が聞こえた。 数秒後、夜の散歩みたいな顔をして白猫が草むらから現れる。口元には血がついていた。魔力の気配が少し変わった気がするのは、 「もしかして、魔術師の魔力?」 あたしが問うと、「もらえるものはもらわんとな」と満足げだ。 「おいサル。男は森の中で気絶してるから運んで来い」 マリアンナは魔剣士の喉に剣を突きつけたまま動こうとしなかった。 「その魔剣士も気絶してるのだろう? 子猫が人間を運ぶのは重労働なんだ」 できるけど面倒なんだろうな。 「召喚獣に命令される筋合いはない。悪魔と皇女殿下をここに残して離れるわけにいかないからな」 「おい、ぼくがナリッサに危害を加えたことがあるか?」 その言葉にマリアンナはハッと目を見開き、一瞬の間のあと「まさか」と声を震わせてあたしを見た。これは否定しないとマズいやつ! 「あたしは契約してないよっ! 喋れるから仲良くなっただけ。ね、ジゼル」 「なら、禁を犯したのは魔塔主ということか」 マリアンナはあたしではなくジゼルに聞いた。魔剣士の傍から離れ、剣を構えたまま一歩ずつ近づいてくる。 ハァ、と煩わしそうにジゼルはため息をついた。 「ぼくは野良の召喚獣だ。ぼくを召喚したやつは契約の直後に魔法陣の中で死んだ」 「なら、なぜお前はまだこの世界にいる? なぜ魔塔主とつるんでいる?」 「なぜ召喚解除されないのかは知らん。それを魔塔主に調べてもらってるんだ。それに魔塔の林は餌がいい。言っておくが、魔塔主といるのはただの暇つぶしだぞ。なあ、魔塔主」 「そうですね。ジゼル殿は興味深い存在ですから、よい暇つぶしです」 林の中から現れたノードは、さっきの魔術師を肩に担いでいた。ゴミ置き場はここか、というように魔剣士の隣にドサッと落とす。マリアンナは唖然とした顔でその様子を眺めていた。 「そうだ、魔塔主。もう一人向こうに転がってるはずだ」 「殺したのですか?」 「いや。足の腱を切っておいた」 物騒な会話を天気の話のテンションでするのはやめてほしい。 「ジゼル殿は意外に優しいですね。主のいない召喚獣なら暴走してもおかしくないものを」 「どうせ皇族を襲ったら死刑だろう? だから殺そうかと思ったんだが、こいつらがローズとガルシアを襲撃した犯人だという会話を耳にした」 ほう、とノードは興味深そうに足元に転がる男たちを見下ろす。 「魔剣士までいるところを見ると密入国者のようですが、雇ったのは誰かわかりますか?」 「今回の件はオクレール男爵のようだ。ローズの方はわからん」 やっぱり、とイアンは悔しげに唇を噛んでいた。あの間抜けヅラの男爵にやられたのが腹立たしいのだろう。 「魔塔主様、証拠が出ない限りオクレール男爵は認めないでしょう。こいつらが自供したところで、違法入国者の証言だけじゃどうにもなりませんから」 「なら、難しそうだな」とジゼル。 「こいつらもオクレールに愛想を尽かしたのか、この依頼を終えたら関係を切るつもりでいたようだ。繋がりを示すものを残しているとは思えん。オクレールの方は言わずもがな」 ふむ、とノードは顎に手を当てた。 「ジゼル殿に証言してもらうわけにもいきませんしね」 「ぼくの存在こそ違法だからな」 ケケケッとジゼルは笑う。ノードは未だに剣を構えたままのマリアンナにニコッと微笑みかけた。 「トッツィ卿、ユーリック殿下に報告に行かれるのでしたら、ナリッサ様はわたしが石榴宮までお送りしますよ。馬も馬車もないようですし」 翻訳すると「さっさと行け」ってことなんだろうけど、マリアンナにその気はなさそうだ。 「わたしが離れたあと魔塔主様がすべての痕跡を消してしまうと困ります。皇族を襲った魔術師、それに召喚獣がいるというのに」 「そんなことをしてもわたしには何の得もありません。爆発の火は本宮からも見えましたから、そろそろ騎士団が到着してもいい頃です。紫蘭騎士団は本宮周辺の警戒にあたっています。ここに来るのは銀月騎士団。彼らに足止めされたらあなたも困るでしょう?」 ジゼルがピクッ耳を立てて周囲をうかがった。 「馬が近づいてるぞ。五、六頭というところか」 聴力は負けますね、とノードはこの期に及んでのんびりした口調で言う。 「トッツィ卿、今のうちに行かれては?」 クッ、と声を漏らし、マリアンナはあたしの前に跪いた。 「不本意ではありますが、この場は魔塔主様におまかせしたいと思います。申し訳ありません、皇女殿下」 心配してくれてるのかな。ユーリック側の人がナリッサの心配してくれるのがうれしくて、あたしはギュッとマリアンナを抱きしめた。 「……あの、皇女様?」 「心配してくれてありがとう、マリアンナ。あなたも気をつけてね」 マリアンナが動揺して頬を紅潮させたのが月明かりでもわかった。彼女は「はい」と頭を下げ、あっという間に森の中に姿を消す。じきに草を分ける足音も聞こえなくなり、反対に耳に届いたのが蹄の音。 「トッツィ卿は魔術師ではないですよね?」 イアンがノードに問いかけた。 「ええ、違います」 「もしかして獣人ですか? ジゼルが〝サル〟と呼んでいました」 ジゼルはノードの視線から顔をそらし、ペロッと舌を出した。「へえぇ」と、イアンは感嘆の声を漏らす。 「意外です。殿下はそれを知った上で騎士団に入れたのですよね」 「知ったから騎士団に入れたのですよ」 訳知り顔の魔塔主にイアンの好奇心は刺激されたようだったけれど、ノードは片手をあげてイアンが口を開こうとするのを遮る。 「騎士団が来ます。ナリッサ様、面倒なのはお嫌いでしょうから少し眠って下さい」 ノードの手のひらに小さな青と黒の光が現れ、それが消えると丸く黒い玉が乗っていた。 「治癒師のナリッサ様に説明する必要はないかと思いますが、興奮を抑える安眠薬です。即効性がありますから、あとはわたしにお任せ下さい」 「レムリカスですか」 イアンはその薬を知っているようだった。「なぜ今?」と彼は問う。 「自覚はないかもしれませんが、ナリッサ様の魔力状態が乱れています。悪化しないうちに対処した方がいいでしょう。この薬を口に入れて噛み砕いてください」 ナリッサの手のひらにコロンと丸薬が置かれる。これはたぶん、処刑前のナリッサにユーリックが渡した薬だ。 あたしはその玉を口に放り込み、大きくなる蹄の音を聞きながら思いっきり噛み砕いた。そうしたら火の中で悶え死んだナリッサの苦しみが少しは和らぐような気がして、もの凄く苦かったけど意識が途切れるまで噛み続けた。
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