憑依実験と石榴宮の新しい執事

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憑依実験と石榴宮の新しい執事

「はじめてお目にかかります、魔塔主様。わたくし、ナリッサ皇女殿下の家庭教師を務めさせていただいておりますゾエと申します」 ずいぶん小柄なその家庭教師は、身長も体の凹凸加減もナリッサといい勝負だった。けれど、臆することなくノードを捉える視線に少女らしい初々しさなどなく、どう見ても二十一歳のあたしより年上。 「ダンスの練習をされるのですね。急にお邪魔して申し訳ありませんでした」 出で立ちからして明らかに平民のゾエにも丁寧な言葉を使うノード。幽霊のあたしにもデスマス調だけど、からかう時もその言葉遣いだから余計に神経を逆なでされる。わかってやってるんだろうけど。 「ナリッサ様。魔塔主様とのお話が長くなるようでしたら本日のダンスの練習はやめにしておきましょうか?」 この家庭教師をかわいがっている公爵の名前はなんだったっけ、と考えていたら、 「ゾエ、今日はガルシア領に帰る日だったかしら?」 とナリッサが口にした。ゾエは「はい」とうなずく。 「この度は数日で戻りますので、ダンスの練習はその後で始めても舞踏会には十分間に合います」 そう、ガルシア公爵だ。 あたしの頼りない記憶によると、ガルシア公爵のフルネームは 〈マティス・%$#!・ド・ガルシア〉 みたいな感じ。マティスという名前を覚えていたのは皇帝が彼をそう呼んでいたから。 登場人物がみんな平民のゾエみたいにシンプルで覚えやすかったらいいんだけど、それだと箔が付かない。 グブリア帝国の現皇帝であるカインの側近、皇帝補佐官をしているガルシア公爵。 彼は政務をつかさどる宰相とは違い、カイン皇帝の個人秘書みたいな立場にある。ナリッサの出生の秘密を共有しているのだから、そりゃあ傍に置いて監視しないと皇帝は心配で心配で仕方ないだろうけど、その二人の親密さは本宮に出仕する他の官吏、特に文官たちにとって望ましいものではないようだった。 ガルシア公爵は皇帝の手足となって平民優遇施策を推し進めた人でもあるから、グブリア帝国の宰相であるなんちゃら公爵だか侯爵と敵対していた気がする。 平民出身のゾエは、ガルシア公爵が主導して行った平民教育施策の青空教室で見出した天才少女、っていう設定だった。いつも無表情で、ナリッサの回帰前も回帰後も淡々と自分の責務を果たすだけ。ナリッサとガルシア公爵の親子関係は知らないはずだ。 回帰前を描いた序章にゾエは登場しなかったけれど、たぶんナリッサの処刑が決まるその日まで傍観してたんだろうな――と考えたら急に怒りが湧き上がり、と同時に閃いたことがあった。 思いついたら即実行! あたしはゾエに向かって跳躍した。 もしゾエに憑依できたらとりあえずガルシア公爵に会うようナリッサに提案してみよう。もしくはあたしがゾエのふりをしてガルシア公爵に掛け合おう、などと一瞬のうちに算段したにも関わらず、あたしの幽体はゾエの体を素通りして部屋の外に出てしまう。まあ、半分くらい予想してたけど。 振り返った先にゾエの背中、その向こうに額を抑えて呆れ顔を誤魔化すノード。 近い未来のノードの尋問に説教が加わることを予測し、あたしの脳裏にはこのまま逃亡してやろうかという考えが過る。 だって、ノードがいるからいいじゃない! 「サラ」って呼んでくれたら憑依した体から抜け出せるんだから! 「どうぞ、部屋の中に入ってください」 ゾエに言ったふうを装っているけれど、ノードの言葉は明らかにあたしに向けられたものだった。逃げるなよ、と。 ゾエは魔塔主に促されたと思い一歩だけ寝室に足を踏み入れる。 「ノードがいるからいいじゃないですか」 あたしはゾエの隣で開き直って言ってみた。ノードはもちろん無視したけれど、ジゼルはタンッと床を蹴ってナリッサの肩に乗る。ノードの肩に比べると少女の肩は華奢過ぎて、バランスを崩しかけた白猫は赤髪に爪を立てた。 「いたっ」 小さく叫んだナリッサに構うことなく、ジゼルは企み顔であたしに手招きする。あたしとジゼルはうなずきあい、ノードの笑顔に凄みが増した。 「魔塔主様、これは確認のためです。確認はノードがいるときじゃないとできませんからね」 ノードが何も言えないのをいいことに、あたしは以前憑依したときのことを思い出してナリッサの肩を掴んだ―― と思ったけれど、あたしの手はスカッと彼女の体をすり抜け思わずつんのめる。これにはノードも驚いたらしく、何度もナリッサに触れようとするあたしの動きを観察しながら「ふむ」と声を漏らした。 一体どういうことだろう。 ナリッサ以外の人には憑依できない、というのなら納得できる。だってここはナリッサが主人公の小説『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の世界。あたしはその世界をナリッサ目線で読んでいたのだから。 じゃあ以前ここに来た時はナリッサに憑依できて、今回憑依できない理由は何? 近い未来に行われる尋問と説教に検討会が追加されそうだった。 ふと視線を感じて振り返ると、ゾエがじっとこちらを見ていた。もちろん魔力のないゾエの網膜にあたしが映るはずはなく、彼女が観察しているのはナリッサ。でも、ゾエの青い瞳はナリッサの表情ではなく彼女の腕に抱かれたジゼルに向けられているようだった。 「その魔獣は魔塔主様が飼われているのですか?」 ゾエの言葉に「おや?」という感じでノードがわずかに目を見開いた。 「ゾエさんにはこの白猫の魔力がわかりますか」 「はい」 彼女は左手首の袖口をめくってみせた。二連になった細いチェーンのブレスレットにキラリと透明な石が輝いている。あれはおそらくマナ石。 「魔獣専用の魔力探知用魔法具(アーティファクト)ですね。熱反応するタイプのようですが、帝都で身に着けている方は珍しい」とノード。 ゾエは袖口を戻すと、いかにも家庭教師然とした態度でノードをまっすぐ見つめた。彼女の観察対象はジゼルから魔塔主に移ったようだ。 「わたしがガルシア公爵様に良くしていただいているせいか、以前魔獣を使って襲われたことがあります。そのため危険が迫ったら逃げるようにと公爵様から渡されました」 公爵様に良くしてもらっただけで平民の家庭教師が襲われるなんて物騒な世界。と思ったけれど、ノードが眉をひそめているから頻繁にあることでもなさそうだ。 「ゾエさんが襲われたのは帝都でですか? 帝都にペットとして持ち込める魔獣の魔力はかなり低く設定されているはずですが」 「帝都ではなくガルシア領に滞在していた時のことです。ガルシア領の魔獣持ち込み基準は帝都の定めたものに準拠していますが、持ち込むのは帝都ほど難しくありません。魔塔の監視の目も及びませんし」 最後の一言には皮肉が込められていたようだけど、魔塔主の表情が揺るがないのを確認してゾエは話を続ける。 「通常、魔獣生息域から離れるほど魔獣の魔力は低下するはず。ですが、わたしを襲ったあの時の魔獣は辺境地域でなければ見られないレベルのものでした。キツネに似た魔獣でしたが、尻尾の形状が明らかに魔力に適応したものに変形していましたから」 「何本でしたか?」とノードが聞いたのは尻尾の数だろう。 「数える余裕はありませんでしたが、少なくとも五本以上。わたしが調べた資料によると、グブリア辺境域でも自然生息しているのは多くて三本程度、帝都を中心とした帝国中央部では尻尾の枝分かれした魔獣を見ることも珍しいくらいです。おそらく魔獣生息域近くで捕らえ、魔力を保持したまま連れて来られたのでしょう。帝国で流通している結界檻での捕獲は無理かと思いますが、おそらく――」 「密輸ですね」とゾエの言葉を遮ってノードが引き取った。 小説では「能面のような無表情」と表現されていたゾエの口元に、わずかに笑みが浮かんだように見えたのは気のせいだろうか。ゾエとノードの絡みなんて小説にあったっけ? 「魔力保持結界はさほど難しい魔術ではありませんので、檻ひとつ分くらいの魔術付与なら低級魔術師でも可能です。頑丈な檻と魔術師がいればそれでいい。魔獣生息域付近なら魔術師など探さなくとも腐るほどいます」 「魔塔主様、魔塔の林に張り巡らされているのも魔力保持結界だと思うのですが、あれは難しくはないのですか?」 個人的な好奇心と思われる脱線気味のゾエの質問に、ノードは「基本は」と微笑を返した。 魔塔を囲う林には魔獣が住んでいる、というのは小説にも描かれていたから普通に受け入れていたけれど、たしかに結界がなければ帝都は魔獣の危険に晒される。でも、何度か魔塔の林に足を踏み入れた身(幽体)としては、林を結界が覆っていると言われてもあまりピンと来ない。 「それより、問題はゾエさんを襲わせる目的で魔獣を違法に密輸した者がいるということです」 「わたしを狙ったというよりも、ガルシア公爵様の情報を持っていそうな者なら誰でも良かったのでしょう。その中でわたしを選んだのは少々愚かと思いますが」 理由を問いかけるようにノードが首をかしげた。 「剣の腕は騎士並みだそうよ」 答えたのはナリッサだった。ゾエは恐縮した様子で頭を下げる。 「十三、四の頃はガルシア公爵邸で小公爵様の剣術のお相手をさせていただいておりました。もう何年も剣は握っておりませんし、騎士でも貴族でもありませんので帯剣はできませんが、護身用魔法具があれば自分の身を守るくらいのことは」 ふうん、とジゼルが興味をそそられた顔で唸り、ナリッサの腕から降りてゾエの元へ歩いて行く。ゾエは前屈みになり、ジゼルの頭にそっと指先で触れた。 「この魔獣は持ち込み基準ギリギリの魔力を持っているようですね。魔獣生息域から遠く離れた帝都ではいずれ浄化されて普通の猫になってしまうのでしょうが」 そういう設定だったの? と、あたしは頭の中で小説の作者にツッコミを入れた。作中ではそんな説明一切なかったし、ジゼルの魔力が減るなんてこともなかった。 「あ……」 ジゼルが喋りかけて途中でやめた。たぶん「(あるじ)」と言いかけ、ナリッサに聞かれたらまずいと思ったのだろう。ゴホン、と猫らしくない咳ばらいをして改めて口を開く。 「ぼくは召喚獣だから関係ない。この世界の魔獣はマナの循環の影響を受けているから、この女が言ったようなことが起こるんだ。世界樹があった頃は循環の中心にある世界樹がマナを浄化し、循環の辺縁にある魔獣生息域の汚れたマナから魔獣が生まれると考えられていた。けれど、二百年前の戦争で世界樹が失われてもマナの循環が保たれているということは、世界樹がマナを浄化していたというわけではないのだろうな」 「博識ですね、ゾエさんは」 「ジゼル様は、だろう?」と、ノードに向かって白猫がケケケッと笑う。この悪魔っぽい笑い声もゾエにはニャアと聞こえるのだろうか。 「ナリッサ様、ダンスの練習をなさるのですよね」 ノードは話題を変え、ゾエはすっかり魔塔主に気をとられていたのか「アッ」と能面の家庭教師らしからぬ声を漏らした。 「下の広間でエンドー様が準備して下さっています。ですが、まだ魔塔主様とお話があるようでしたらそうお伝えしましょうか」 エンドー? どこかで聞いたことがある名前だけど、なんか日本人っぽい名前……といえば! 「エンドー様というと、リアーナ皇太子妃殿下の執事をされているエンドー殿ですか?」 あたしが聞きたかったことをノードがそのまま口にしてくれた。 「はい。リアーナ様が昨日静養のため宮を立たれ、一年ほどはアルヘンソ辺境伯領の傍にある皇家直轄領の別荘で過ごされるということで多くの使用人が配置換えになりました。エンドー様は本日付けで石榴宮の執事に」 「以前いた執事殿は?」 「彼は職を解かれたようです。もっぱら求職中だとか」 さほど表情も変えずにゾエは口にしたけれど、腹の内では大爆笑している気がする。それはあたしの願望だろうか。今度ナリッサに憑依したらあの無礼な執事に「クビよ、クビっ!」って言ってあげようと思ってたのに。 「リアーナ様もずいぶん回復されたようですし、しばらく静かな場所で静養するのがよろしいでしょうね」 ノードは当たり障りのない言葉と微笑で曖昧に会話を締めてしまう。 表向きは皇宮医があたったことになっているリアーナの治療。その本当の主治医はノードだ。すでにノードの手を離れたのか、それともゲートで別荘まで往診するのかは分からないけれど、一年間の療養のあとは正式に皇太子と離婚することになるのだろう。 なんとなく、リアーナには月光の庭園にいた騎士が付き添っている気がした。まさにファンタジー小説的な妄想だけど、皇宮を追われた元皇太子妃と僻地まで添う専属騎士との恋物語がこの世界の片隅で展開されるなら、ちょっと救われた気持ちにもなれる。 リアーナに直接会った記憶がないナリッサは、どこか居心地悪そうに話を聞いていた。あたしはどうにも居たたまれなくなって「先に行ってます」と部屋を出て階段を下りる。背後で「降りましょうか」とノードの声がした。 階段を下りてすぐの扉が開け放たれ、その扉の傍で階上を見上げているのは侍女のポピーだった。 「なかなか降りて来られませんね」 彼女は部屋の中にいる誰かに向かって話しかけた。それはおそらく――、 「魔塔主様が気にかけて下さるなんてありがたいことですから、ゆっくり待ちましょう」 聞き覚えのある声に確信を抱きつつ部屋をのぞくと、やはり月光の庭園にいたあのエンドーだった。 お茶会の日の一部始終を目にしたエンドーは、おそらくリアーナ妃の治療の際にもノードと言葉を交わしたのだろう。彼の言葉にノードに対する信頼が滲んでいる。 「それにしても立派なラランカラですね」 エンドーは広間中央の丸テーブルに活けられたチューリップのような花に手を触れた。花の名前がラランカラらしい。 ラランカラはナリッサの髪色に近い赤と同系統のオレンジや黄色でまとめられ、他の種類の草花とともに部屋を彩っている。 「陛下からの贈り物です」 ポピーが躊躇いがちに口にした。 そうなの?  何の心境の変化? 「年に一度だけ、ナリッサ様の誕生日にこうしてラランカラを贈られるのが陛下とナリッサ様の唯一の繋がりなんです」 小説に描かれない意外な裏設定……! 説明するポピーの顔は寂しげだった。きっと去年までは他の侍女たちと「花だけなんて」とせせら笑っていただろうに。 エンドーは「誕生日ですか?」と動揺を隠さずウロウロと目を泳がせ、ポピーがクスッと笑った。 「エンドー様、ラランカラの花が日持ちするのはご存じでしょう? ナリッサ様の誕生日は三日も前です。風邪で寝込まれている間に過ぎてしまいました」 「……そうなんですか」 エンドーはがっくりと肩を落とし、ポピーはまた口元をほころばせる。ぽっちゃり体形のポピーと若くて痩せぎすのエンドーのやりとりは姉と弟みたいでなんだか微笑ましい。 「皇女様は十四才になったばかりなんですね」 エンドーがどこか感慨深げにつぶやいた。そのとき複数の足音が聞こえ、まっ先に広間に飛び込んで来たのはジゼル。 突然の闖入者にエンドーはラランカラの活けられた花瓶を守ろうと両手を広げ、それが月光の庭園にいたあの白猫だと気づくとホッと緊張を解いた。
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